手掘りで山の下を220m掘り抜いた水抜き穴
穴の高さは160㎝ほどのところが多い。少し頭を低くして歩き続ける。
途中で高くなったところがあるが、それは方向を間違って修正した跡だそうな。
両方から掘ってよく接合できたものだ。
一説には、掘りはじめるしばらく前に伊能忠敬がやってきたことがあったので、測量の技術を学んでいたのではないか、とのこと。
なんどか曲がりながら琵琶湖側に抜けた
すぐとなりに昭和23年に建設された二番目の水抜き穴が見える
↑案内のNさんが子供の頃はこちらからどうどう水が流れていた。
「昔はここで泳いでいた場所ですよ」
↑その水が流してきた土砂が溜まって↑こんな地面になっている。
1980年にさらに大きな三番目の水抜き穴=トンネルがつくられ、現在の余呉川はここから琵琶湖に注いでいる。
昭和23年の二番目の穴を通って戻る↑
この水道ができたことで西野地区の収穫量は格段に増えたのだそうだ。
水道建設を指揮した恵荘上人がおられた寺へ
ここにも村の人々が護ってきたお像がある
もともと天台宗の泉明寺という寺があったが兵火に焼かれ焼失。
村人が救い出したお像二体が簡素なお堂に伝わっている
共に平安時代の作とされる、元国宝(※文化財法の改正により現重要文化財)。
十一面観音の頭の顔は小さすぎるので別物を移植したのかもしれない。足元に焼けたような頭が置かれていた。身体の表面が褐色なのはあとから漆が塗られたから。
幾多の変遷を経てもともとのカタチではなくなっているが、千年以上大切に護られている。
薬師堂のすぐ横に●正妙寺のお堂があり↓千手千足観音が祀られている。
ここでは撮影禁止だが、今年「東京長浜観音堂」にお出ましだった時には撮影したもの↓
※千手千足の由来などを書きました
●冷水寺には焼けこげた木像がある。
※2020年9月にはじめて訪れて知った話が興味深い
自称世界一小さな博物館で、今回も西嶋さんにお話していただいた(^^)
***
北國街道、木之本を少し歩く。
↑まだ緑が残る杉玉はつい先日今年のモノにしたばかりだった。
こちらの酒屋は「七本槍」が有名。
それをシェリー酒で使った樽を再利用して「純米シェリー酒熟成」という新商品を開発されている。
一本買いました(^^)
↑「本陣薬局」は大名行列が宿泊していた宿↑明治には薬局となり、新設された薬剤師の第一号さんがここに居られた↓
↑木之本地蔵の交差点がこのあたりの中心
※片目のカエルの話をこちらに載せました
高さ六メートルの「木之本地蔵」
もう一軒、老舗の酒屋さん↓
↑杉玉はまだ換える前のもの
↑こちらの名物は桑酒
普通のお酒というより養命酒・保命酒※瀬戸内の鞆の浦で保命酒の蔵を訪れた日のブログはこちら
ラベルもそんな感じ↑
↓これを使ったカクテルを試してみることにした
けっこうどっぷり桑酒を入れ、炭酸水で割って、レモンとライムを
桑酒そのものよりぐっと飲みやすくなりました(^^)
11月末、午後五時をすぎるとぐっと暗くなる。
歩いてすぐの「すし慶」へ
大きな大津絵が迎えてくれた
★湖北の味満載
●びわマスの昆布〆 ●丁子麩のからしあえ※農水省の頁に解説がありました茗荷がのっています ●海老豆 ●バイ貝 ●栗とサツマイモを練って ●チーズと干し柿(ぐるぐるしたカタチ)
●鴨
こぶりな焼き鯖そうめん
●鯖寿司は肉厚で酢で〆すぎていない
上皇様ご夫妻が皇太子時代に来られた際に「すし慶」が料理を出していた。
↑あぁ、ぜんぶ食べたい(^^)
秋の旅の宿泊には己高庵を選んだ。
さて、明日の朝のお天気を祈ります。