旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

屋久島でシドッティ上陸記念祭

2022-11-23 14:00:18 | 国内
屋久島の南端。シドッチ教会と小島公民館の前からモッチョム岳が青空に映える。

この時期にこんなにきれいに花が咲くのは偶然ではなかったと、記念式典に参加して知ることになった。

★シドッチ(シドッティ)がどういう人だったかについて、2021年12月に訪れた時のブログをお読みください

雨の東京から鹿児島空港を経由して屋久島行きのプロペラ機に乗りこむ。

航路はずっとどんよりした雲り

眼下に屋久島へ向かうフェリーがみえた。
この飛行機が屋久島に着陸できなかったら、鹿児島からあのフェリーにのることになる。
そしたら式典にはとても間に合わない…

雨は降っていたが幸い屋久島空港に着陸(^^)

小さな到着エリアはツアーを迎えるガイドさん、ホテル、レンタカー会社でいっぱいだった。

小松は今回カーシェアを利用。空港すぐ外に島を周回する公共のバス停があった。
一時間に一本。
今回この車で約26時間の屋久島訪問。
一時間ほど走って島の南端・小島(こしま)地区に到着。
冒頭のヒマワリが咲いていた。

雨はすっかりあがり、モッチョム岳のひとつ「マドンナ岳」とも呼ばれる「耳岳」がくっきりとみえる。
たしかに耳のカタチだが、上陸した宣教師シドッチの目にはキリストを抱いた聖母マリアに見えただろう。

教会前のシドッチの記念碑↑これは2001年に建設された新しい方。
※こちらに詳しく解説されています

午後二時からの記念ミサにも参加した。
ここは、1990年代にイタリアからやってきたコンタリーニ神父がおられた場所。

↑堂内のステンドグラスは1708年にシドッチが上陸した時携えていた小さな袋に入れられていたメダルのデザインからきている。
↑このホンモノは上野の国立博物館が所蔵している↑小松はどうしても見たくて「見せてくれませんか」と電話したことがあるがにべもなく断られた。間近に見られる機会はいつやってくるのだろう。

一時間ほどのミサの跡、坂を下って1980年に設置された記念碑の前へ移動。

↑1980年に建立された最初の「シドッチ上陸記念碑」

↑神山小学校の教員をしていた斉藤邦彦氏が設置に奔走されたそうだが、その名前は刻まれていない。
※こちらごらんください
新井白石がシドッチと交流したことで表した書物がきっかけになり、八代将軍吉宗は洋書の禁止をおおはばに緩和した。それが日本の近代技術の発展の契機となった。

式典は小島区と教会が交代で毎年行われている。
小島区長が「この日に合わせてヒマワリが満開になるように植えようとしたのですが、先月の台風で一週間遅くなっています。」と挨拶された。そうか、ヒマワリもコスモスも偶然に花盛りだったわけではなかった。

37回目となる式典には日本全国ならずイタリアから参加された方もあり、新しい動きがはじまる胎動を感じる。
シドッチ神父の出身地シチリアのパレルモで列福にむけて運動をしておられるマリオ・トルチヴィア神父の手紙が読み上げられた。シドッチの信念を貫いた生き方を、バチカンが正しく評価してくれる日はきっとくる。

宣教師・神父シドッチが屋久島に上陸した1708年は、
わかりやすく言うなら赤穂浪士討ち入りの六年後。
江戸幕府のキリスト教禁止政策は盤石で
潜入すれば生きて帰れないと思っていただろう。

それでも、四年間をマニラですごし、
※マニラには追放された日本人切支丹のコミュニティがあった
日本語を学び、わざわざ侍姿に偽装して、日本を目指した。
上陸した時の様子は彼を乗せた船長の日誌に書かれていたのではっきりわかっている。

※シドッティ記念館設立のためのNPOのHPにわかりやすく書かれています

小松も屋久島の旅を造っている時↑引き寄せられるようにこの本を読んだ。
島の「里めぐり委員会」を通じて著者の古居さんにお会いし、2021年12月の《手造の旅》でシドッチについてお話をしていただいた。

三百年前にここに上陸した一人の異邦人が、その貫いた信念で人を呼び寄せているようだ。
種子島と屋久島の巡回司祭をしておられるパク神父が朗々とCaro mio benを歌われた。

小島公民館へ移動。
四時から古居さんの講演会。

会場には「シドッチ記念館」の模型が飾られている。

実際に入っていく気持ちで接写(^^)


↑奥の壁に掲げられた世界地図は、江戸で新井白石がシドッチの前に広げて見せたもの。
白石自筆のメモ付箋がついているものが東京の国立博物館に所蔵している。

東京の博物館はシドッチが上陸の時に持っていた「親指の聖母」も所蔵しているが、特別な時以外には公開していない。「シドッチ記念館」が完成したら、この場所にこそあって、希望する人が見られるように展示するべき品なのではないだろうか。

↑古居さんの講演は昨年よりも厚みを増していた。

↑シドッチを乗せてマニラを出航した船=サンタ・トリニダード号はシドッチをどこで下ろすべきか迷いながら北上しているように見える↑この時の航海日誌がバチカンにあるのは分かっていたが、

↑なんと日本の天理市にも保管されているのをつきとめ、撮影してこられていた。
↑左ページに平仮名が書かれているのはなぜ?本筋と違うので訊きそびれてしまったが気になっている。


「シドッチ記念館」是非とも実現させてほしい。
今後も小松に協力できることをしていきます。

コメント
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