旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》奈良桜井エリア~橿原考古学博物館から益田岩船

2022-11-04 15:32:26 | 国内
作った人の指の跡までみえる↑「この馬は疫病を表していると思われます。
馬のように早くひろまる疫病を止めようと、馬のカタチにしてそれを壊して祈ったらしいのです」

Mさんにこう解説してもらうと、いっきに身近に思えていた。

木簡や墓誌や、こまこました発掘物たちは自分たちで見ていてもわからない。
適切な展示と分かりやすい解説が必要。
今回ご案内いただいたMさん、ありがとうございました。
人が違えば同じ場所でもちがった解説がきける※2022年春に訪れた時のブログをこちらからご覧ください
橿原考古学博物館展示品の中でも有名なひとつ↓

「太朝臣安萬呂…」と読める
古事記の編纂者「おおの(あそん)やすまろ」が火葬された墓から見つかった青銅の墓誌。

小さな真珠四粒も納められていた※墓誌の下に見えます

みつかったのは1979年1月。斜面の茶畑下から。
※こちらのページに発見された時の様子が詳しく書かれています


茶畑の下にあった火葬された炭の穴が再現展示されていてわかりやすい。

先月長野の茅野市縄文考古館を訪れたせいか、縄文時代のモノに目が留まる

↑人の誕生は宗教の原点↓

「縄文土偶は東高西低です」
長野や東北でみつかったような大きなオモシロイ土偶は西日本ではみつかっていないのだそうだ。


↑二メートルを超える日本最大の埴輪はメスリ山古墳から発見された↑
↓五世紀の宮山古墳から発見された埴輪↓

「矢を入れる筒を描いてある『靫(うつぼ、ゆぎ)型埴輪」↑


↑遺体をぐるりと鏡で囲った「天神山古墳」の様子↑

↑こちらは「黒塚古墳」、同じように銅鏡三十三面でぐるりと取り囲まれた埋葬場所がみつかった。水銀朱で真っ赤だった。
この二つ、遺体は消失していて被葬者は判別できていないが、武具や馬具でなく鏡でぐるりと囲うというのは女性的?


↑未盗掘で発見された藤ノ木古墳からのモノはすべて国宝にしていされている。

発見されたモノは右↑復元が左、

藤ノ木古墳の石棺からは↑男性二体が見つかった↑
これは誰?
説によると、蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子とそのいとこの宅部皇子二人。
大化の改新の半世紀ほど前の話。蘇我馬子は聖徳太子と親戚で二十歳ほど年長と推定されている。

古墳時代から飛鳥時代へ。

この事件のあった後に蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の仏教寺院・飛鳥寺の瓦六世紀末から七世紀はじめ↑
この時に鋳造された飛鳥大仏が(修復を繰り返しているとはいえ)、いまでも残っているのは奇跡的↓

※益田岩船へ行かなかったお二人だけが今回訪問

橿原考古学博物館は訪れる度に新しいものがみえてくる。
展示物が変わっていない場合でも、自分の目の方が変わっていくから。
**
今回の旅の最後に、天智天皇のお母さん・斉明天皇の墓⇒牽牛子塚古墳と、謎の巨石・益田岩船を訪れることにした。

※今年五月に訪れた時のブログをごらんください
この白いピラミッドにはびっくりする。
が、古代の記述の通り白い石を敷き詰めていくと、ほんとうに八角形のピラミッドのようなカタチだったようだ。
「牽牛子」とは朝顔のこと。

ここから竹藪の中をしばらく歩いて、謎の巨石・益田岩船へ向かう。ところどころ倒木をくぐったりまたいだり、地元のMさんが用意してくださった軍手が役に立つ(^^)

突然…

周囲を圧する巨石が見えた

あきらかに削った末に放置されている

先の、今年五月のリンクにもう少し詳しく書いたのでお読みください(^^)


《手造の旅》奈良桜井エリア、
皆さんにお渡しした日程表にはこの益田岩船は書かなかった。
幸いお天気に恵まれて最後にお見せすることができました(^^)




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《手造の旅》奈良桜井エリア~オーベルジュ桜井から長谷寺へ

2022-11-04 07:44:50 | 国内
オーベルジュ桜井の入口目の前に「実習農場」がある。

昨夜のダイニングで使われていた食材もあったにちがいない。
※昨夜のダイニングのメニューは写真と共にこちらに書きました
このダイニングと全九室のオーベルジュは「なら、食と農の魅力創造国際大学」の付属施設として、奈良県とヒラマツグループが共同で運営している。

目の前に、今年から動き出したもうすこし簡易な宿泊施設と手軽なレストラン

大和三山を見渡せるウッドデッキもある


散歩からもどるとちょうど朝食



※奈良五条市の山にある「ばあく」で手作りされたソーセージ
**
九時半に出発し長谷寺へ

地名は「初瀬」だが、寺の名前は「長谷」。

伝説によれば七世紀・天武天皇の頃に道明上人により創建。いわゆる「本長谷寺」。

道明上人の墓とされる小塔が回廊の横にある。※今年四月に訪れた時のブログに載せております
現在みられる回廊は1650年徳川家光の時代のもの。

回廊が寄進された経緯についても↑上のリンクからの4月のブログに書きました↑

道明上人の弟子・徳道上人が初代の巨大十一面観音を完成させたのが、長谷寺信仰の実質的なはじまりに思える。
徳道上人のお堂と像↓

徳道上人は「西国三十三カ所巡礼」の基礎を築いたとされる人
※こちらにその経緯が書かれています

↑傾斜地に建てられた本堂の前は清水と同じような広い舞台になっている↑

地の利を最大に生かした1650年江戸時代に落慶した建築。

↑上の写真左手奥に高さ十メートルを超えるご本尊が立っている。

↑今回も足元までお参りいただきました(^^)


訪れる度に新たな発見のある長谷寺

この大黒様もなにやらおもしろそうだったのだけれど、追いかけきれておりません。
また、次回以降にて(^^)


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