旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

チンギス・ハーン博物館②

2023-10-07 17:15:39 | モンゴル
モンゴル帝国の首都だったカラコルムの遺構はこの亀石しかない。
実物そっくりが置かれている。
※2008年に現地を訪れた時のブログをごらんください

チンギス・ハーンの三男で第二代皇帝となったオゴデイが建設したはじめて城壁都市にあったとされる。

↑草原に埋まっていた都市の存在は
1990年代に衛星を使った調査で確実になった↑写真で下のほうに見える四角が現在のエルデニ・ゾー寺院の城壁※先の2008年のブログに写っております
四角の外側=今は草原にもどった広大なエリアに都市遺跡があったことがはっきり写っている。

↑衛星写真と最新の発掘を反映した復元都市模型↑右下がエルデニゾー寺院
↑池の左に大きな塔が見える↓

↑この塔の遺構は現在発掘中。2024年夏に現地を訪れたい(^^)

復元模型では固定した建物ばかりだが、
一般の人々が住んでいたのは移動式のゲル。
動かない「家」に住んでいる我々の目からみると、
移動式のゲルは「簡易住居」に見えてしまうがそうではない。
モンゴルにおける快適な住居とは、第一に冬の寒さをしっかりと防ぐ構造であること。
ゲル内部の暖かさは夏に滞在する観光客でさえも実感する。
壮麗な建築であっても寒すぎる家には住みたくない。

↓これは19世紀後半のウランバートル中心部の絵↓※ザナバザル美術館展示より

↑一般住民の住居はゲルなのがわかる。

オゴデイがカラコルムを建設しはじめたのは1235年ごろ。
フビライ(=クビライ)が今の北京を占領し「大都」の建設をはじめたのは1267年から。
つまりカラコルム(=ハラホリン)が首都であった時代は三十年ほどでしかなかった。

モンゴル帝国はやがて「元」という中国の王朝となり、
ユーラシア大陸を横断する多民族・多宗教・多言語・多文字の世界最大の国家になってゆく。

↑カラコルムから大都(=現北京)に移動する途中に築かれた街から発掘された瓦には↓

↑(復元模型)不思議な漢字的な象形文字が見られる。

建築はほとんどが中国式の寺院だった
↑モンゴル民族が暮らすのはあくまでゲル。


モンゴル人がゲルで暮らさなくなるのは大都(=現北京)を首都にしてから。

移動しない壮麗な宮殿=故宮を中心とした都市を建設し↑その入口に建設した門が残されている↑「チンギス・ハーン博物館」にはそのアーチ部分が再現してある↓※名前がわかりません


縦書きのモンゴル文字が刻まれている↑

大都を建設させたのは第五代皇帝フビライ(=クビライ)。
ユーラシア大陸を平和に行き来できる、いわゆる「パクス・モンゴリア」を出現させた。
その時代に叔父につれられてヨーロッパからやってきたのがマルコ・ポーロ
※マルコ・ポーロの故郷=コルチュラ島(クロアチア)を訪れた時のブログにリンクします

・・・続く


コメント
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