パトロンだったグエル氏が彼の工場の労働者の村を計画し、1890年にはガウディに発注されていたその村の教会。
礼拝堂の地下部分が完成している↑ガウディはデザインと下準備に長い時間をかけ、実際に建設がはじまったのは1908年。
当初建てる予定だった塔などはひとつも姿をあらわしていない。
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完成予定のシルエット図がこれ↑上の写真と見比べていただくと、その雰囲気が伝わりやすいだろう。
入口ヴォールトの装飾
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そして、他のガウディ作品ではあまり見た事がない迫力の自然石の柱↓
上の写真左側に写っている、こちらもど迫力の自然石を組み合わせた入口は、まるでギリシャの神殿のようである。あとでふたたび登場するので記憶しておいていただきたい。
内部を支える柱も迫力の自然石の角柱
泉水盤は自然の巨大な貝
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ステンドグラスの窓が色彩豊かな蝶のよう
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この窓は手動でぱたぱた開け閉めできる
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ガウディが展開する空間に、唯一守り神の様に立つ聖母マリヤ像
これは、晩年のガウディが毎日通っていた、バルセロナ旧市街にある聖フィリッポ・ネリ教会から寄贈されたものなのだそうだ。
聖家族教会からのけっして近くはない道のりを、ガウディは毎日歩いて通っていた。この聖母に祈っていたのか。1926年6月7日、市電にひかれたのはこの教会へ行く途中だった。教会の司祭がガウディが来ないのをいぶかったのが、身元不明だったガウディがみつかるきっかけになったのだそうだ。
祭壇の後ろにもあがることができる
この「地下」聖堂は、1914年に工事が中断した時には、いま見るよりももっと未完成だっただろうことが、コンクリート補修された部分から感じられる。まだまだ未完成。それでも、ガウディ作品の中でも「最高傑作」と呼ぶひとがあるほど、他にみることのできない空間である。
***横をまわって
未完の上階へむかう
窓ガラスの保護につかわれている鉄の細工をよく見てみると・・・
これは、なんと、繊維工場でつかわれている針である。
ガウディらしいアイデアと、そこに祈りにやってくる人々への気の効いた配慮である。
本堂になるはずだった、現在屋上の様に見える場所はこんなふうになっている。
黒い丸い表示は地下の柱の位置を示している。
鳥居の様にたてられた入口の石が古代ギリシャ遺跡の様な迫力を感じさせる。ひと目見て、ギリシャのミケーネ遺跡入口のまぐさ石を思い出した。 これは前出の写真に見られる、下の階の礼拝堂入口に使われているのと同じスタイルである。ガウディがどのような手順で空間を形成していったのかを、少し伺う事ができる。