2006年フランスの旅より
ローマ遺跡ではない。
ルイ14世治世下の1685年、ヴェルサイユ宮殿に水を運ぶために建設がスタートした。
工事は三年続いたが八十キロの水道は完成せず、アーチの一部だけが放置されている。
↑完成予定地図に四十七のアーチが見える↑
建設したのは築城の専門家ヴォーバン
マントゥノンは水源となったウール川が流れる。
小さな町の中心は15世紀半ばルイ12世の頃から建設されていたという城
↑両端に見える赤い二つのドンジョンがフランソワ一世(ダ・ヴィンチのパトロン)、アンリ二世の時代のもの。
その間の窓の多い建物が17世紀ルイ14世時代のもの。
ここに住んだのがルイ14世が最後に愛したフランソワーズ・ドーゥビニエ=通称マントゥノン夫人。
彼女はルイ14世の愛妾モンテスパン夫人の子供達の世話係として雇われたが、後にモンテスパン夫人よりも王に気に入られ、1715年の王の死まで傍に居た。
49歳の時には45歳の王と秘密結婚していたという話もある。
王の死後四年生きたマントゥノン夫人はヴェルサイユを離れてこの舘に住んだ。
冒頭の水道橋の残骸はその当時も同じように窓から見えていただろう。
宮殿内部は18世紀の雰囲気が感じられる。
↓置かれていたビリヤード台の角、球をとりだすところ↓
↓ルイ15世の肖像↓
わずか5歳で即位した幼王の後見人をつとめたメーヌ公ルイ・オーギュストはマントゥノン夫人が養育係をつとめていた人物だから、十歳に満たないルイ15世もこの舘を訪れたことはあっただろう。
↑ルイ15世の孫にあたるルイ18世は太った大男だった。
マントゥノン夫人がある朝目覚めると、目の前に身長二メートルを超える大男が立っていた↑
お忍びヨーロッパ遊学中のロシア皇帝ピョートルが、夫人の話をきいて興味を持ち会いにやってきたのだった。
ルイ14世紀亡きあとにも伝説的に語り継がれていた人であったのがわかる逸話である。
ローマ遺跡ではない。
ルイ14世治世下の1685年、ヴェルサイユ宮殿に水を運ぶために建設がスタートした。
工事は三年続いたが八十キロの水道は完成せず、アーチの一部だけが放置されている。
↑完成予定地図に四十七のアーチが見える↑
建設したのは築城の専門家ヴォーバン
マントゥノンは水源となったウール川が流れる。
小さな町の中心は15世紀半ばルイ12世の頃から建設されていたという城
↑両端に見える赤い二つのドンジョンがフランソワ一世(ダ・ヴィンチのパトロン)、アンリ二世の時代のもの。
その間の窓の多い建物が17世紀ルイ14世時代のもの。
ここに住んだのがルイ14世が最後に愛したフランソワーズ・ドーゥビニエ=通称マントゥノン夫人。
彼女はルイ14世の愛妾モンテスパン夫人の子供達の世話係として雇われたが、後にモンテスパン夫人よりも王に気に入られ、1715年の王の死まで傍に居た。
49歳の時には45歳の王と秘密結婚していたという話もある。
王の死後四年生きたマントゥノン夫人はヴェルサイユを離れてこの舘に住んだ。
冒頭の水道橋の残骸はその当時も同じように窓から見えていただろう。
宮殿内部は18世紀の雰囲気が感じられる。
↓置かれていたビリヤード台の角、球をとりだすところ↓
↓ルイ15世の肖像↓
わずか5歳で即位した幼王の後見人をつとめたメーヌ公ルイ・オーギュストはマントゥノン夫人が養育係をつとめていた人物だから、十歳に満たないルイ15世もこの舘を訪れたことはあっただろう。
↑ルイ15世の孫にあたるルイ18世は太った大男だった。
マントゥノン夫人がある朝目覚めると、目の前に身長二メートルを超える大男が立っていた↑
お忍びヨーロッパ遊学中のロシア皇帝ピョートルが、夫人の話をきいて興味を持ち会いにやってきたのだった。
ルイ14世紀亡きあとにも伝説的に語り継がれていた人であったのがわかる逸話である。