旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アンヴァリッドのナポレオン展示

2021-02-08 22:45:45 | フランス
2004パリの旅より
ナポレオンが死の床で傍らに置いていた息子=ナポレオン二世の肖像

2004年にアンヴァリッドで展示してあった。

大西洋の孤島セント・ヘレナの小さなベッドだった。

政略結婚した二度目の妻マリー・ルイーズに未練はなかっただろうが、三歳で生き別れた唯一の子供には会いたかったにちがいない。


ルイ14世が傷痍軍人のために建てたアンヴァリッド=日本語で直訳して「廃兵院」

黄金のドームはヴェルサイユ宮殿の建設にもかかわったマンサールの設計で18世紀はじめには完成していた。
1715年には金色に塗られたというから、ナポレオンもこの金色のドームは見ていた筈だ。
※2015年に今も一部が軍の病院として使われているのをみかけた。この日のブログはこちらからごらんください。

軍人のための教会には、戦場でつかわれてきた軍旗がかかげてある。
今も現役の兵士の結婚式が行われる。

フランスの軍事史上最大の英雄・ナポレオンの墓はここにある↓

ナポレオンの墓安置するために掘り下げて

1861年に完成した。

ナポレオンの遺体がその遺言通りパリに埋葬されるには、孤独な死から十九年の年月が必要だった。

セントヘレナ島のナポレオンの墓は

イギリス軍によって厳重に管理されていた。
ナポレオンに心酔していた王政復古のルイ・フィリップ王が1840年にイギリスと交渉して返還されることになった。

↑アンヴァリッドの壁にその時の様子が刻まれている。
右から運ばれてきたナポレオンの棺。
かつてナポレオンと共に戦い、今は年老いた兵士が足元で涙している。
老兵たちに担がれた遺体は凱旋門の下に一夜安置された。

その時棺を入れた枠もアンヴァリッドに展示されていた↑
「願わくばセーヌのたもと、私の愛したフランス人民の中で眠りたい」

アンヴァリッドは彼の軍服もたくさん所蔵している。


中庭を見下ろす場所には


***
石棺をとりまく部屋のひとつに、

冒頭の肖像画のナポレオン二世の墓がある。

母の故郷ウィーンのシェーンブルン宮殿できびしい監視の下に育てられたが、成長して歴史を学び、父を敬愛するようになっていった。
自分をほったらかしに再婚してイタリアのパルマにいったきりの母マリー・ルイーズとはほとんど会えなかった。
二十一歳の時結核で亡くなり、ハプスブルグ家の霊廟に埋葬された。

第二次世界大戦でフランスがドイツの支配下に入ると、ヒトラーは人気とりのためにフランス人の英雄=ナポレオンの息子の遺体を父の元に改葬したのだった。

コメント
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