陰陽師・安倍晴明の生誕地とされる阿部文珠院。
「赤いお守りだけ買っていく若い人が多くて・・・」と住職さんが言っていた。
※阿部文珠院ホームページより
飛鳥時代から奈良時代にかけて隆盛した阿部氏のルーツがここにある。
唐で没した阿倍仲麻呂もこのあたりの生まれとされる。
仲麻呂にささげられた浮御堂がある。
多くの観光客が訪れる目的は、国宝の「渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)」。高さ七メートルの獅子に乗る文殊菩薩はひと目見たら忘れない。※こちらから寺院のHPの写真をごらんいただけます
最盛期には二十八の塔頭を擁する巨大な寺院群だったが、いまはここだけが残っている。
戦国時代に明治維新の廃仏毀釈・・・失われた寺院にあった仏像をはじめとする工芸品群はオリジナルの場所にあることの方がすくない。
しかし、なぜ、ここだけが残ったのか?
その疑問を得心させてくれたのがこれ↓
広大な境内の一角にある、高さ六メートルほどの古墳。
なんと、内部に入ることができる。
はいってびっくり!緻密な石組み
七世紀、古墳時代の末期のもので↑天井は十五メートルの一枚岩↑
長く権勢をふるうことになる阿部氏の祖ともいえる人物=阿部倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が埋葬された場所とされているのだ。
つまり、阿部氏はここからはじまり、何十もの塔頭を擁する寺院とその周辺に屋敷を構える豪族になっていった。
その後、千三百年を経て、かつてのような権力も財力も持たなくなった時、
屋敷や寺院はどんどん数を減らし、父祖のルーツであるこの古墳を擁するこの場所にまた戻ったのだろう。
奈良は見どころが分散しているので京都のように公共交通機関でまわるには時間がかかりすぎる。
既成の観光バス的視点だけではない、奈良《手造の旅》を催行させるために、しっかり時間をかけて歩きます。
「赤いお守りだけ買っていく若い人が多くて・・・」と住職さんが言っていた。
※阿部文珠院ホームページより
飛鳥時代から奈良時代にかけて隆盛した阿部氏のルーツがここにある。
唐で没した阿倍仲麻呂もこのあたりの生まれとされる。
仲麻呂にささげられた浮御堂がある。
多くの観光客が訪れる目的は、国宝の「渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)」。高さ七メートルの獅子に乗る文殊菩薩はひと目見たら忘れない。※こちらから寺院のHPの写真をごらんいただけます
最盛期には二十八の塔頭を擁する巨大な寺院群だったが、いまはここだけが残っている。
戦国時代に明治維新の廃仏毀釈・・・失われた寺院にあった仏像をはじめとする工芸品群はオリジナルの場所にあることの方がすくない。
しかし、なぜ、ここだけが残ったのか?
その疑問を得心させてくれたのがこれ↓
広大な境内の一角にある、高さ六メートルほどの古墳。
なんと、内部に入ることができる。
はいってびっくり!緻密な石組み
七世紀、古墳時代の末期のもので↑天井は十五メートルの一枚岩↑
長く権勢をふるうことになる阿部氏の祖ともいえる人物=阿部倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が埋葬された場所とされているのだ。
つまり、阿部氏はここからはじまり、何十もの塔頭を擁する寺院とその周辺に屋敷を構える豪族になっていった。
その後、千三百年を経て、かつてのような権力も財力も持たなくなった時、
屋敷や寺院はどんどん数を減らし、父祖のルーツであるこの古墳を擁するこの場所にまた戻ったのだろう。
奈良は見どころが分散しているので京都のように公共交通機関でまわるには時間がかかりすぎる。
既成の観光バス的視点だけではない、奈良《手造の旅》を催行させるために、しっかり時間をかけて歩きます。