旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

バートウィムプフェン~神聖ローマ皇帝の居城

2021-07-05 08:57:16 | ドイツ
2007,2008,2009年南ドイツの旅より
13世紀からある「青塔」がバート・ウィムプフェンのシンボル

「古城街道」を走ると、ネッカー川を見下ろす高台に町がみえてくる。

いちばん右に「青塔」↑左に装飾のない四角い「赤塔」↓

ここは中世ホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝たちの居城だった。

西暦1200年ごろはこんなふうに城壁が囲っていたらしい↑いちばん上が「青塔」、下が「赤塔」。
215m×88mの城壁内↑ネッカー川に面した、上の絵で右側に細長く城塞が画かれている↑

二つの塔をつないでネッカー川を見下ろしていた城塞の名残↑「赤塔」からネッカー川をみおろしたところ↑

↑ホーエンシュタウフェン家の紋章↑イングランドと同じくライオン三匹

鷲がカギを咥えているのもこの町の紋章のひとつ

これは街の入口にあった「ホーエンシュタウフェン高校」の門

↑旧市街の噴水にも同じ紋章↑
ホーエンシュタウフェン家の有名な神聖ローマ皇帝フィリードリヒ二世は八回も滞在した記録があるそうだ。

今も城壁が残る旧市街

街が建造されたのはフリードリヒ二世の祖父フリードリッヒ一世=通称バルバロッサの時代とおもわれる。

これらの城壁・城門は19世紀に復元してこのかたちになったものだろうが、
この崖の上にはケルト人の時代から人が住んでいた。
遠隔地までつながる川(ネッカー川はライン川の支流)に近い安全な高台で、近くで塩もとれたので繁栄した。

↑1580年ごろからのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)があった建物と伝わる。

商業で栄えたところには豊かなユダヤコミュニティあり。


2007年に訪れた朝に静かな街を歩いた。

「青塔」を間近に見上げると↓丸く突き出した中世のトイレに気付く↓つまりこの部分は13世紀ごろからの姿そのままだということ。

一方いちばん上の部分は新しいことに気付く↑十九世紀に装飾しなおされたのだ。
十九世紀から二十世紀前半にかけて、ヨーロッパ全土で行われた「修復」「復元」は、史実に忠実であるよりも「見た目が美しいこと」を求めておこなわれていた。

木造の箱を積み重ねたスタイルの古い住宅群↑も、とにかく美しい




↑こちら「赤塔」は、「青塔」とちがって見栄えよく修復はされなかった。


中世の繁栄は17世紀はじめの三十年戦争(宗教戦争)によって終わる。新旧両方の軍から何度も略奪された町の人口は十分の一にまで減ったと推察されている。
バートウィムプフェンが再び繁栄のきっかけをつかんだのは製塩業。
1752年に塩水を汲みだす掘削穴が掘られた。

次第に豊かになった歴史ある町に新しいラートハウス=市庁舎がつくられた↑



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リンダーホフ城とヘレンキームゼー城

2021-07-02 22:06:06 | ドイツ
2005年南ドイツの旅より
バイエルン王ルードヴィッヒ二世のノイシュヴァンシュタイン城を見学するツアーはごまんとあるが、他二つの城へ行くツアーはとても少ない。

●リンダーホフ城は唯一完成した城で、ヴェルサイユ宮殿の離宮=プチ・トリアノンそっくりにつくられている。



内部は本家ヴェルサイユ以上?の超絶ロココ様式の装飾。
ルードヴィッヒはここで七年も暮していたのか。

建てられている環境はフランスのヴェルサイユとはぜんぜんちがってアルプスの中。

本宮は小さいが庭園はとてもひろく、

定番の散歩道だけではなく、王だけためにファンタジー・ランドを出現させていた。

↑人工の洞窟への扉がひらくと、中には白鳥の騎士の乗るボート。
ジーメンスによって当時最先端のカラー電気照明。
ここへの入場は時間が決められている。

いちばん上の円筒形のモニュメントまで登り

↑本宮を見下ろしたところ↑
**
キーム湖にうかぶヘレン島に建設されたヘレンキームゼー城を訪れるにはいちばん時間がかかる。

船で島に渡り、桟橋から「新宮殿」まで歩けば三十分近くかかる。

そして、ここはヴェルサイユ宮殿本宮をそっくり再現しようとしている巨大な宮殿なのだから。
19世紀の立憲君主であるルードヴィッヒ二世は、「朕は国家なり」と言いきれた時代の絶対君主ルイ十四世を崇拝していた。
ドイツ語のルードヴィッヒはフランス語のルイと同じ名前。

内部は未完成だが宮殿前の噴水はぱっと見できあがっている。
真っ直ぐいけば湖につきあたる。
ルードヴィッヒ二世はこんな立派なものを自分の趣味のためだけに建設し、誰かを呼んでパーティをひらくようなことはまったくなかった。

キーム湖はノイシュバンシュタイン城からミュンヘン方向への途中にある。琵琶湖の八分の一ほどの面積だが「バイエルンの海」と呼ばれる。
湖の中のヘレン島(男島)、フラウエン島(女島)には八世紀からベネディクト派の修道院が建設されていた。
1808年にはしかし修道院は一時閉鎖され、教会はビール工場になったり、その後木材加工会社が島を所有したりした。
1873年にルードヴィッヒ二世が島を買い取って建設した「新宮殿」は、湖の島に建設されたなかではもっとも新しい建造物ということになる。

古い小さな礼拝堂↑

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シベリア鉄道の地図を見て分岐に気付く

2021-07-01 09:05:26 | ロシア
2009年7月29日にロシアのマトリョーシカ絵付け工場の壁にかかっていた地図

当時↑これを見ての文章↓要約します↓
★地図の中央にある三日月形の湖は世界一の透明度を誇るバイカル湖。
湖の西に北から流れ込む川の入り口にあるのがイルクーツクの町。
江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫が仲間とともに長く滞在した町である事は吉村昭、井上靖、両氏の本によって知っていた。
そのイルクーツクが、昨年小松が行ったモンゴルのウランバートルととても近いのは、
この地図を見て改めて理解出来た。
ウランバートルはこの地図の下の部分。
鉄道の線を南にたどっていくとたどり着く。
昨年、ウランバートルの鉄道駅で「これに乗っていくとロシアまで一日です」と聞いたことを思い出した。

「シベリア鉄道」と一口に言うけれど、ルートはいくつもあるようだ。
モンゴルを経由しない鉄道はイルクーツクへ降りないで東へ向かっている線で、これが本線にあたる。
**
2021年、この地図を見て「『命のヴィザ』を持ったユダヤ人たちの乗ったシベリア鉄道は分岐している」と思う。
6月27日に参加した「神戸歴史ウォーク」したからか※その日のブログにリンクします

シベリア鉄道はそのまま東に行けば満州国に入る。
ナチスドイツの心証を悪くしたくない満州国は最初、ユダヤ人の入国をみとめなかった。
ユダヤ人の目的地はユダヤコミュニティのある国であって日本ではない。
当時のアジアで最大のユダヤコミュニティは上海にあったから、シベリア鉄道の分岐点で南のウランバートルへ向かう路線に乗換えれば、そこから当時中華民国のシャン半へたどりつくことができたのではないかしらん?




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