運よく2日に名古屋方面に出張となったので
ついでに明石で友人たちと会ってきた
当日、突然の連絡にもかかわらずF君も同席
してくれたので、Y君とともに3人の小宴会となった
お互い歳をとったことは否めないし、それぞれの生活も
それぞれに大変だけれど、50歳を目前にしてまだまだ元気だ
日々の暮らしはままならずとも、旧友相変わらず元気であれば
頬を緩め、思わず杯を進めてしまう
再会を誓って別れるころには日付も変わろうとしていた
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帰らなむ、いざ、鵲
かの空や櫨のたむろ
待つらむぞ今一度
故郷やそのかの子ら
皆老いて遠きに
何ぞ寄る童ごころ
(帰去来/北原白秋)より
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実のところ、後日談が2つできた
楽しく飲食し、翌朝には早々に帰宅しようと思っていたが
久しぶりの実家でもあって、午前中は母親と少し話して
昼前に出立することにした
出立する前に、例のごとく旧街道に散歩に出た
海は埋め立てられ、きれいな公園になっていても
旧街道はさびれるばかりだ
それでも生まれ育ったこの旧街道の風景が心の底に
焼きついていて、ときには空想の中にでてくる
とぼとぼと歩いていると、路地の奥から「おうっ」と声がした
近寄ってきたのは、幼馴染のT君、肉屋のせがれだ
恐らく直接会うのは30年ぶりだろう
通りがかりの小生のことをよくわかったものだ
自分が感じるほど自分の風貌は変わっていないのだろうか
久しぶりの帰省であることを告げると、ひとしきり
近所にいた悪ガキ連中の消息を教えてくれた
どこまで本当の話か確認のしようもないけれど
下町の悪童のなれの果てはこんなところには書けない
職業だった
最近は、一度出て行った連中が帰ってきはじめたといい
年寄りが引退して、神輿を担ぎに来るのも、獅子舞を
踊るのも我々世代が世話役になっているという
Tちゃんも来年は是非神輿を担ぎに帰って来いという
ありがたい話ではあるが、特に返事もせぬまま辞した
T君の家は肉屋さんで、子どもの頃には彼のお母さんに
よく揚げたてのコロッケをごちそうになったのだが
最後はパーキンソン病で苦しんで逝かれたと聞くと
残念な気がした
下町のおばちゃんたちは気さくで、風をひいた母親の代わりに
買い物に来た小生に声をかけてくれてコロッケやらキャベツやらを
持たせてくれた
あの頃は活気と笑顔に満ちた市場だった
その後、実家に戻り母親に礼を言って出立したのだが
姫さまたちへの土産を買いに元町・三宮に立ち寄った
元町商店街から、トーアロードを越えて三宮センター街
そごうの地下で「HENRI CHARPENTIER」のガトーピレーネを購入
本当はケーニヒス・クローネのそごう限定「りんごケーキ」に
惹かれたのだが、生菓子なので自宅までもたないということで断念
ついでに別の店で昼食用に「上海炒飯」「上海焼そば」「餃子」を
包んでもらい新神戸駅から新幹線に乗車
やはり、デパ地下デリを肴に...とも考えたが、前夜そこそこ飲んで
いたのでビールは我慢した
ちなみに、今回は貯めていたポイントを使ってグリーン車で新横浜まで
乗ったので、なかなか快適な帰路だった
そして、もう一つの後日談
新横浜駅で、偶然、隣宅のご主人と一緒になってしまったのだ
彼も出張ついでに加古川の実家に寄ってきたところだといい、土産の
紙袋を提げていた
ご主人が加古川で、奥さんが大阪と聞いてはいたが、まさか同じ新幹線で
帰宅するとは
いずれにせよ、油断して変なことすると
どこに知り合いが潜んでいるかわからない
襟を正して凡庸な人生を歩いていこうと感じた「つかの間」の帰省譚である
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