<春と聞かねば知らでありしを>
週末は、母親の七回忌で実家に行ってきた。
実家は国道から少し入ったところにあって自分が住んでいた当時は玄関横に沈丁花が植えられていた。
沈丁花は母親がどこからかもらってきたものを角の大きな鉢に挿し木したものが最初だった。
春先になると、なんとも言えぬ甘い香りを漂よわせていた。
一昨年のこと、そんな香りがするかと思って深大寺にある公園で沈丁花の小鉢を購入した。
けれど、淡い期待を裏切って昨春は花をつけてくれなかった。
なので、少し機会をふやせやしまいかと、違う鉢に挿し木してみた。
今回咲いたのはそんな挿し木で根付いた方だ。
実家の沈丁花ほど香ってはいないが、ちょうど母親の法事に合わせて花をつけてくれた。
母親は沈丁花の花の咲くころに天に昇って行ったので、自宅の狭いベランダでも少しだけ
香ってくれるとよいのに。
<春は名のみの風の寒さや>
順序が逆になるけれど、実家で法事を終えてから先輩宅に泊まってスキーに行ってきた。
スキー場ははるか敦賀湾に望む山陵にあって、昨日は好天に恵まれた。
先輩宅を5時に出て名神高速を経由してスキー場まで2時間ほどだったろうか、その間
自分は一人でよくしゃべっていた。
恐らく聞き役の得意なあの先輩でも、少し鬱陶しかったの違いないはずだ。
もともとは家を買った友人のところに集まって新居のお披露目方々一杯やってから
スキーに出かけようという話だったのだが、友人がコロナウイルスに感染してしまい
予定が変わってしまった。
我々は好天の春スキーを楽しみ、温泉に立ち寄ってゆっくりしてから帰宅したのだが
友人は発熱して自宅でうなっていたという。
まったく残念なのだが、感染症となると気軽に焼酎を抱えて見舞いにも行けないので
本人には申し訳ないのだが、仕方ない話だ。
<茅渟の海>
さて、実家に向かう途中、急ぐ旅でもないので新大阪から快速電車でゆっくり西に向かった。
三ノ宮から明石にかけては数々の思い出があってそれぞれ好きな駅ばかり。
なかでも須磨駅は少し特別な駅だ。
須磨は京阪神でも最も人気の海水浴場であり、老若男女でずいぶんにぎわっていた。
子供のころ、父親に連れられてよく行ったのだが、ホームから改札口を抜けて海辺にでると
もう泳ぎたくて泳ぎたくてうずうずしていた。
また一方で色とりどりの浮き輪をぶら下げている「海の家」にも気を取られてよく叱られた。
大人になってからはなかなか海水浴場にくる機会もなくなってしまい須磨駅で降りることは
なくなってしまった。
その間に震災もあって須磨海岸は様変わりしてしまっている。
なんでも昔のことがよいとは言わないが、少しは変わらないものがあってもよいのではないか
と、ひねもすのたりのたりしながら考えた。
そして、Yさんの早期の快復を願ってやまない週末だった。
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