kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

吉増剛造

2010年11月03日 | 読書
ずっと休みになったら、
喜多の湯にゆこうと思っていて、
今日、ゆきました。
午後のひざしの中で、
露天風呂に入って、
寝ころびの湯で、
横になっていると、
いろんなことを考えることができました。
これからは寒くなるので、
自転車なりバスなりで、
喜多の湯までゆくのは、
面唐ナす。湯冷めをしてしまうし。
だから、今日、湯船に入っていて、
今度はいつ来れるのだろう、
と思いました。
確か、去年の大晦日、
ここで僕はくつろいでいて、
雪が降ってきたのでした。
あれからもう一年弱ですから、
早いです。

帰ってから、
「「知」の現場から」という、
対談集を読みました。
これは高橋源一郎の蔵書検索を、
県図書のサイトで調べていて、
知った本です。
内田樹や川上弘美、福岡伸一、酒井順子といった、
興味ある人達の名前があって、
すぐに借りにゆきました。
高橋源一郎と内田樹との対談は、
もう漫談みたいで、
笑えてきます。
良いな、
と思える内田樹の発言がありました。
「物を書く人というのは、特異な経験をしたりとか、際だった才能を持ったりとか、
 ある分野で特殊な才能を持った人であって、そうではない凡庸な人間は、
 指をくわえて見ているだけなのかなと、ずっと思っていた。
 自分も指をくわえて見ている側だなと思っていたんだけれども、
 あるときにそうではないように思えるようになった。
 ひとつひとつは凡庸な経験で、何も特筆すべきことなんかないんだけれども、
 それらの中には何か僕にしか書けないもの、でもみんなと共有できるような
 ものが詰まっている。」 (内田樹×高橋源一郎 哲学/教育)より。

それから、
やはり源一郎と川上弘美の対談では、
緊張感というほどでもないけれど、
真摯な内容で、
これも良かったです。
川上弘美の言葉で、
読書に関して、
「途中で投げ出す本は、内容ではなく、文章自体に品がないもの。
 言葉を大切にしてないと品の悪いものになるような気がします。」
という発言が僕にストンと落ちました。

あと蔵書検索でひっかかった、
吉増剛造の新刊「盲いた黄金の庭」。
これは写真集で、
合成写真が特徴です。
吉増剛造の手書きの原稿が写真で載っていて、
ルビや書体が、美しい。
吉増の詩は僕は大好きですけれど、
字がとてもきれいです。
ナントカして、
吉増剛造の講演会に、
ゆきたいし、氏のアート関連の、
催しにゆきたいな、
と思います。
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パラレルワールド

2010年09月24日 | 読書
昨夜は、1Q84(3)12章まで読みました。
去年の夏にも書いたけれど、
サブタイトルも、かっこいいです。
12章は「世界のルールが緩み始めている」です。

少しずつ読みたい本です。
ともかく面白い。

パラレルワールドという言葉を、
今年よく目にしました。
それは東浩紀著「QF」だったり、
高橋源一郎著「悪と戦う」だったり、
相対性理論の曲名であったり。
で、
この小説もパラレルワールド。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で、
ダブルプロットという言葉と小説技法を、
初めて知りました。
1Q84は、ダブルどころか、4個ぐらい、
プロットがあるのじゃないでしょうか。
パラレルな感覚は、
村上春樹が、
一番早かったのでは?
と思います。

常に、どこかでもう一つの世界がある、
たとえば、誰かの生活と僕の生活。
これで、立派なパラレルワールドです。
ずっとあるものに、
名前が付けられた、
または解釈の名前としての、
パラレルワールド。
それを意識するか否か。

それと、この小説は1984年が舞台です。
東浩紀著「QF」は、確か2030年ぐらい、だったか、
未来です。
いずれにしても、
時間の前と後、
その違いは何だろうと、
比較していました。

思うに、
現在を突破してゆく勢いがある、
東浩紀さんと、
振り返る過去、
ではなくて、
過去を土台として、
長く読まれる物語を作ってゆく、
作家の習性、
のようなものかな、
と村上春樹のことを、
考えていました。
僕はどちらも、
ほんと、
素晴らしいと思う。

上に書いた三作の、
パラレルワールドは、
どれも、面白いです。

今日は、
涼しく、
曇り空。
夕刻から、
雨が降りました。

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Pistils

2010年05月25日 | 読書
         


阿部和重著「ピストルズ」を読みました。
分厚い本で、寝転がって読むには、
手首が痛くなります。

読む前のふれこみでは、
中上健次だ、とか、
書かれてありましたけれど、
読み始めてみると、
耽美という感じは、
三島由紀夫とか澁澤龍彦みたいだな、と、
それから、村上龍みたいだな、と、
最終では、
いや、これは以前の文学と比較するのは、
間違いで、
音楽と比較するべきだろうと、
思いました。
その音楽は何かはわかりませんけれど。

ここには、中上健次の作品にある、
神話は、
あるようで、
ないです。

村上春樹は、
ナチュラルでぶっ飛んでゆく感じがありますけれど、
この作品はあくまで合成麻薬の世界。

先日、友達と阿部和重の話をしてて、
「インディヴィジュアル プロジェクション」とか、良いね、
とか、「無情の世界」も良かった、
って言っていたのですけれど、
この「ピストルズ」は、それを超えてます。
阿部和重の暴力性は、
何か本能を呼ばれるようで、
僕は好きです。

ピストルズというタイトルからは、
セックスピストルズを連想しました。
でも、植物(雌しべ)のことでした。

小説のおもしろさ、
というか、
醍醐味は、
村上春樹でもそうですけれど、
長編だなと今回も思いました。
良かったな。

先日、もう何回目かの、
中原昌也著「KKKベストセラー」を、
読んだのですけれど、
この二人は、
音楽だな、
と思います。
音楽って何だ、
といわれても、
困るのだけれど。

読み終えて、
「うわーおもしろかったあ!」
って僕は発しました。

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ピストルズ!

2010年05月06日 | 読書
昨日、作業をして、
藤井貞和著「ハウスドルフ空間」を読了。
今日から、作業の合間に、
阿部和重著「ピストルズ」を読み始めました。
分厚いくて、おもしろいです。
かなり読むのに日数がかかりそうです。
こないだ、速読の本を読んだのですけど、
この阿部和重の本で、時々、思い出して、
速読で読んでみて、けっこういけるかも。
でも慣れた速さで読むのが常です。
調子が良い時は、
速く読めそうです。
1分で2000字ぐらいでも、
「オーケーだぜ」と、
速読の本は、言っていますけど、
やっぱり、もっと速く読めると、
せんちゃんじゃないけど、
もっとたくさん本が読めるもんな。
本は1ページが500字ぐらいが平均らしいです。
ってことは、1ページ15秒ぐらい。
それぐらいだったら、いけてるかもと、
ケータイでタイマーをかけてやってみるけど、
面唐ノなってやめました。
でも、速読の目のストレッチは、
効果がありそうですね。

とにもかくにも、
メチャクチャおもしろくて、
メチャクチャ分厚い本「ピストルズ」!
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海辺のカフカ、読了

2009年09月06日 | 読書
夜、
村上春樹著「海辺のカフカ 下巻」を読み終え、
読了とします。
この作品もダブルプロットで、
交互に別の語り口で構成されています。
陰陽というか、
補色というか、
まったく違うものを、
ぶつけることで、
「広がる」ことを、
なんとなく判ったような気になっています。
それにしても、
登場人物のナカタさんはとても魅力的で、
この人だけの物語を、
読んでみたくなりました。
こんな人がいたら、
会って話したいし、
行動を共にしたい、
と思います。

村上春樹の小説を読んでいると、
言葉の人だとつくづく思います。
たとえば、
「空の色が変わった」
という言い方をするのですけれど、
本当に空の色が変わって、
雨が降ってくる景が、
僕には現実のように思えてくるのです。
この小説も長い小説ですけれど、
こつこつと素晴らしい言葉を連ねて、
作られています。
北野武が自作の映画について、
「どの映像をとっても、絵として見ることができるのが理想だね」
と言っていました。
村上春樹の小説も、
どこから読んでも、
詩のようになっている散文だと、
思いました。
文撃ニいうのは、
こういう作家のことを言うのだと思います。

昨夜、録画した大貫妙子、
今日中に見ることができませんでした。
また楽しみにしようと思います。

それにしても、
読書に集中していると、
本当に幸せを感じます。
当たり前ですけど、
本の中には、
言葉ばかりがいっぱいあって、
素敵な熟語もあって、
おもしろい会話があって、
ナイーブな描写があって、
かっこいい英語があって、
詩的な比喩があって、
それは、
すべて、
僕の側の言葉の問題なのです。
勿論、作家の導きがあっての、
ことですけれど。


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りるりる

2009年08月23日 | 読書
moesさんという方のサイトに、
日々の短い言葉のコーナーがあります。
僕はそのコーナーがかなり好きで、
生活の自然な感情が素直に書かれてあります。
引用させてもらいます、ごめんよmoesさん。
こんなふう。


 りるりると、
 秋に
 なく声


僕は「りるりる」という擬音が、
もの凄く素敵だと思います。
こんなふうに、
言葉が書けたらなあ、
と思います。
「なく」というふうに、
ひらがなで書かれるのも、
かなり凄いことだと思います。
実際に、「りるりる」と本当に耳が聴いたとしたら、
耳鼻科に行かなければいけない。
ところが、
言葉の世界というのは、
言葉でできていて、
現実を写しながらも、
現実ではないのです。
それは写真でもそうだと思います。
写真という字は、真を写すと書き、
マジ、言葉通りだと思います。
秋の虫の鳴く音を現実として聴いて、
ああ、良いな、と思う、
そして、
写真家、宮嶋美衣さんの言葉を借りれば、
「写真にすると、もっときれい」
であり、
「言葉にすると、もっときれい」
が、
moesさんの語感の世界なのです。


今日はずっと、
いとうたかお著「小さな唄に手を引かれ」を読んでいました。
1Q84の読後以来、
また読本に魅せられたままで、
家事はあとまわし、
夜の7時半に読了しました。
ソファーの上で、
一日で読める本を探して、
というふうな休日です。
家事先行より、
本先行で、
家事は、
読本の合間に、
という時間配分で。
「小さな唄に手を引かれ」は、
これでたぶん三回目の再読になりますけれど、
「自然界のものに、手を出してはいけない」
という記述を、
改めて、記憶に入れました。
僕にとっては、
かなり大切な本の一冊で、
「続編」が出版されないのは、
本当にキツイことです。

本を読み終えた時間に、
友人が遊びにきました。
すぐに外に出て、
夕食ついでに、夜の中を、
くだらない話をしながら、
馬鹿笑いをしながら、
ずいぶん、歩きました。
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たいてい「孤独」

2009年08月17日 | 読書
今日は村上春樹の小説について、
考えていました。
今回のもそうですけれど、
村上春樹の小説の登場人物は、
たいてい「孤独」です。
小説の方法として、
読者へのサービスとして、
孤独な登場人物の配置は、
どのように有効なのかを、
考えていました。

1 読者(それも世界中の)のシンパシー
2 孤独を基点として、関わりを作っていくプロセスが「小説時間」を作っている。
それが読者のカタルシスになっている。

あとは判りません。

それにしても、
1Q84の、
ダブルプロットの見出し、
というか、いちいちのタイトルの素敵さには、
凄いなあ、かっこいいなあ、と思います。

ーーー

もう残暑、という感じです。
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一本の草の上

2009年03月29日 | 読書
茨木のり子著「一本の草の上」読了。
図書館に本を返す期日、
というのが僕の読書のモチベーションになっているのですけど、
時には途中で読むのをやめたり、
嫌々読んでいる時もあります。
でも、ここ最近、茨木のり子を読んでいると、
海や空を見ている時のような、
広い空間意識が、本から拾えます。
安穏とした広さではなく、
ありきたりですけれど、
深くて、広い。
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言葉の力

2009年01月29日 | 読書
オジと空を見ていた。
通り過ぎの、いつも挨拶をする人の一人に、
「全快祝い」と称して、「みぞれカツ」を頂く。
これがめちゃくちゃおいしい。
あまりおいしいので、お昼に食べ、
3時の休憩に、食パンを買ってきて、カツサンド。
この世にこんなおいしいものがあるとは、
とオジと発し合う。

草は、省エネモードで、くたー、っと寝ている。
強い日光が当たるまで、茎を立てることはしない。
たんぽぽがそう。
今日見ていたのは、通称、龍のヒゲという草。

昼休み、
茨木のり子関連の本の中に、
こんな言葉を見つけた。


 絶望といい希望といっても
 たかが知れている
 うつろなることでは二つとも同じ
 そんなものに足をとられず
 淡々と生きて行け!
        (ある一行 より)

詩というより、
誰かの言葉を、
茨木のり子が、
こんなふうに解釈したのだ。
誰かの難解な言葉より、
この平明な解釈の方が、よほど優れている。

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詩趣

2009年01月17日 | 読書
今日、返却分の図書は、昨日、友人の自動車に乗せてもらって、返してきた。
読了分は、吉増剛造著「黄金詩篇」、「大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙」、藤井貞和著「ハウスドルフ空間」。
「大病院・・」のタイトルは、のち大江健三郎の「懐かしい年への手紙」となったのでは? と考。タイトル云々はさておき、たぶん間違いなく、大江は、吉増を読んでいたと思う。
藤井の詩集「ハウスドルフ空間」の一番目の詩の、
凄い感じに、圧唐ウれた。もの凄い、というしかない。
こういう詩を読むと、本当に言葉の元気をもらう。
かっこいい、と読みながらつぶやくのは、藤井貞和。
有名な詩集「黄金詩篇」は、吉増の初期のもの。激している吉増の詩読は初めて。
どれも年末年始の読み込み。
そういえば、今年の年越しは、
一年分N響アワーのアンコール特集を録画していて、
スティーブ・ライヒを見聞きしながらの、年越し。
スティーブ・ライヒ。言葉もかっちょいい。


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件p的共感

2008年12月02日 | 読書
今日は暖かで、
上着を一枚脱いで、
マフラーも取り、
軽い体に陽を入れ。

南側で、
来場した友人と、
静かな話を少し、
鳥のビデオをあげた、
金貨のチョコをもらった。

夕暮れ、
イルミネーションがついたころ、
Nさん登場。
エッセイの話などをしばらく。

スーパーに寄って、
ミスドで読書、
山崎ナオコーラ著「長い終わりが始まる」を、
読了。
本が読めるのは、
今週の木曜まで、
あとはまた激務、

かぼちゃ、サツマイモを煮、
洗濯物をたたみ、
明日からの弁当のおかず、
おからを煮たいのだけれど、
まだ干しシイタケの、だし汁がばっちり出ていないので、
煮込む準備だけして、
だしが出るのを待っている、

これを書いたら、
お風呂に入って、
それからおからを煮て、
寝る、

山崎ナオコーラの小説は、
村上春樹みたいだし、吉本ばななみたいで、
読んだ「長い終わりが始まる」で、
ベッドシーンが二度ほどあるのだけれど、
山崎ナオコーラのベッドシーンは、
凄く良い。
「自然で」、
という言い方が正しい。
それと、
反骨が良い。
件pについて語る言葉がいくつか出てくるけれど、
件p的共感、
という言葉が良い。
今日、来場した友人を思った。
件p的共感。

もしかしたら、
僕の人間関係は、
件p的共感、
が多数、
という気がしないでもない。
オジとも、
間違いなく件p的共感である。
「我々は、宇宙の子だ」
といつだったか、
オジが青空を見て呟いた、

---

先日の日曜の朝、
糸井重里の番組を見てたら、
ゲストが中沢新一だった。
話題は、キノコ。
「キノコは、植物と動物、男と女、あらゆるものの、「間」で」
と中沢は言っていた。
「積極的に滅びていく」
ということも。
中間、という意味で、
「キノコは仏教的」とも。
判ったような、判らないような話でしたけれど、
どうしてだか、中間、間という中沢のキノコについての言葉が、
その朝、僕を喜ばせた。

------


2008
12,29 吉増剛造 大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙 
コメント (2)
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銀河鉄道の夜

2008年11月09日 | 読書
「銀河鉄道の夜」読了。

鉄道に乗る前までを、昨日、休憩時に読んでいて、
誰かがどこかで、あ、宗教学者の山折哲雄さんだ、
「賢治は人間に絶望していたんじゃないか」
と言っていたけれど、
鉄道に乗る前のところを読んでいると、
本当にそう思う。涙が出そうなほどに。
この孤独は何だ、
と思って、暗い空、寒い空を見ながら、
オジとMさんに「宮沢賢治は宇宙人で、」
という話をしていて、
Mさんは、「妹はもっと若く死んでいるでしょう」
と賢治が37歳で死んでいることの答えとして、
発しました。
その通りで、そのことは、とても大事なことのように、
僕には思えてきます。


「なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」、
と灯台守が言う場面が、作中にあります。
このセリフは、
ここに記録しておかなければ、
と強く思いました。
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中上健次

2008年10月28日 | 読書
中上健次と上野千鶴子の対談。

「共同体から個人が出てきた時には、もう物語はなくなっちゃったんだ。物語が物語であるためには、私の物語があなたの物語であるという置き換え可能性がなかったら、もはや語りものにならないんで、そういうものがなくなってしまえば、すでに物語の成立する根拠はなくなる」

と、富岡多恵子の「表現の風景」から、
上野千鶴子が引用していました。
たくさんの人の共感を得る、ということではなく、
物語が出てくる地域性のことを言っているのだと思う。
この対談集は25年前のもので、
今でも大事だな、と思うのは、「地域性」なのだと思います。
それは作家にとっての、場所のことです。

「文学で一番大事なことは、血を流したやつを見ることよ。そこに血を流して転がってる人間を見て、これをどうやれるかということが文学なんだ」

と、上野との対談で中上は言っています。
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蒼穹

2008年09月22日 | 読書
昨夜、
吉増剛造著「天井の蛇、紫のハナ」読了。
装丁もきれいなブルーだし、
ビジュアル的に吉増の詩集は楽しめます。
今日、しばらく吉増がどうしてあんな感じの詩を書き出したのかを、
考えていたのですけど、わかりません。
何がなんだか判らないけど、
凄いというのは、吉増と藤井貞和の詩で、
あと高橋源一郎と谷川の四人だけは、
新刊は必ず読みたい作家です。あと川上弘美も。

吉増の詩の特徴を箇条書きにしてみると、
1,注釈なのか、それも詩の一部なのか不明
2,注釈の日時、場所、出典のページ数、固有名詞などが具体的。
3,カタカナとひらがなが同じ一行の中で不統一。
4,ひらがなの各所が昔のぐにゃぐにゃ文字で印刷されてある。
5,文字の大きさが細部で違う。
6,日本語、英語、ハングルなどの使用、外国語の意味も記されてある。(ここはたぶん、
ジョイスの「フィネガン的」という感じが僕はします)
7,初出は、現代詩手帖が半分ぐらい、あとは武満徹全集、寺山修司関連本、などへの寄稿。
8,「、」を吉増はかなり使用。「、」はゴマのよう、と言ったのは吉増本人。
9,藤井貞和同様、スピリチュアル。
10,意味不明。でも吉増の息づかいと情念が言葉になっているのが凄い。
11,たぶん、ですけど、原稿用紙で書いている。
12,スタンダードな方法だが、文字が逆さまになっている箇所がある。
13,以前、僕は吉増の詩を螺旋と書いたことがありますけど、今は違う。
14,じゅん文学主宰の戸田鎮子さんが、見事に言い当てたことに、テレビで誰かの解説をしている「吉増剛造の話し方自体が、詩になっている」という指摘は、まったくもってその通りで、補足すれば、詩に書かれてあることと、日常で考えていることが一致している、ということもいえると思います。

吉増って、もしかしたら、日本のジョイス?
ひらがなを、日、裸、画、菜、みたいに漢字で書いて遊んでいるし。
これは、以前、友人の堀田明日香さんが詩作の試みでやっていたことでもあります。

注釈で、
「日本人は水平または垂直を好み、斜めは好まなかったので、<\ハ=斜め≠ヘやがて、
はずれ、すみっこの意に転じ(作品「ミツメラレテイル」の注釈(古語辞典からの引用))
が、とても気になりました。
斜めを好む国とはどこだろう?
そして何故、日本人は水平、垂直を好むのだろう、
と思います。
あと、今更ですけど、
<パロールの意§bしことば、
<エクリチュールの意¥曹ォことば
というのが、親切な注釈に書かれてあって知りました。

---

昨夜、吉増のあと、オノヨーコ著「ただの私」読み始め。
今日の昼食時も読む。
1986年の本で、時事的な記述はズレがあるので読み飛ばし。
面白いのは、ジョンレノンとのことではなく、
小野洋子自身のアートの話。これが抜群に面白い。
この本は名著「グレープフルーツ・ジュース」の後の本。
オノヨーコの本はこの二冊しか出ていません。

---

蒼穹(そうきゅう)
まだ南風、
でも涼風。
オジにおからを「いっぺん食べてみい」と勧めると、
「これはうまい」とオジ。
僕はすっかり、おから作りに自信をもちました万歳。
やっぱり教えてもらったとおり、干しシイタケのだし汁がャCント。
けっこう、長い時間、水に浸しておいたのが成功の秘訣。

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今度は万葉集にチャレンジ

2008年09月14日 | 読書
橋本治訳「古事記」読了。

ワタツミ
海原
海の通い路
沖には潮の流れる道がある
大空の命(みこと)
高天原(たかまのはら)
スセリ姫

神話がこんなに面白いとは、
今の今まで知らないでいた。
そんな無茶な、と思うほど、
物語は面白すぎる。

布団干し、洗濯、炊事、聡怐A
図書館へ。読む本は家にたくさんあったのですけど、
大岡信訳「万葉集」を借りて、
自転車を北に向け、
安いバナナを買いました。
古典のシリーズは、
小学生向けで、
挿絵もあって、
僕にも読めるようになっています。
熊野が出てくる神話が読みたいけど、
それがどの古典に出てくるのか、
ちゃんと調べていません。
そして、
それが判りやすい訳で本になっているのかも判らないのです。

しまった、、、新日曜美術館見るの、
忘れてた。あー、見たかった!

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