kotoba日記                     小久保圭介

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ひめゆりの塔

2019年12月31日 | 映画
   

昨日は
動画
『ああ、ひめゆりの塔』を見た
吉永小百合主演

ある意味では
平和の重要なプロパガンダとしての
吉永小百合さんの存在は
現在でも有効である

昭和34年の作

昭和19年前後の沖縄の話
昭和19年なんて
わたしが生まれた36年から数えて
たった17年前の出来事

そういえるのは
わたしも年齢を重ね
17年という歳月が
いかに短いかを
実感できる年齢になったからである

17年前に沖縄で
こんなことがあった
ドキュメンタリーでだいたいは知っていたけれど
映画というのは
嘘もありながら
リアルに描かれるものだ

当然
美化されていよう
それでも
美化されて
あれだけの惨劇だったとしたら
もっと実際の具体は
グロテスクを極めている

見終わって
「ここから全部始まる」
と思った
戦争があって
戦後があり
今に至る

中村哲氏が空に帰った時
吉永小百合は
「許せない」
と言った
強い言葉だと思った
その理由が
この映画を見ればわかる
このような戦争犠牲が
実際にあり
その主役を演じるにあたって
相当の取材と史実を熟知せざるを得ない

不条理に「許せない」
という感情が芽生えるのは
この映画を見たあとと
そうでないのとは
まったく違う

戦争の悲惨を語りつぐ
何故
昭和34年に
この映画がつくられたか
作りたかったからだ

戦争体験は個々人で違う
個人の体験を
自費出版してのちに
残そうとする方もいる
文兼ッ人誌『じゅん文学』の
同人だった
伊勢さんである
それは伊勢さんにしかわからない
知らないことだからだ

戦争の悲惨
といっても
悲惨の現実感が乏しいから
言葉が
ただすべってゆくだけ
けれど
こうして
映像化として
作品化されることによって
わたしたちは
考え
想像することが可能になる
それが後世に残す
本当の意義である

世界を旅するカフカ先生は
ある日
言った
「わたしは観光で沖縄には行きたくない」
もちろん
他の戦地になった島々にも

日本本土を守るために
沖縄が犠牲になった
3人に1人が亡くなったという

文学も
政治も
この映画から
始まっている
ここを基点とする

過去を知れば
未来が見える
現在を現代の事物で
判ろうとしてもだめだ
そう知識人たちは
いう
その意味が

判る

井伏鱒二の動画を見たことがある
「戦争っていうのは恐ろしいもんです」
そう言って
井伏鱒二の表情が
長い時間
映像としてとらえられている
あのリアル感
戦争の恐ろしさのリアル感ではなく
井伏鱒二の
リアルな恐賦エが
凄かった

そうやって
二次情報に沿うしか
わたしたちには
他に方法がない

忘れられぬ映画を見た
この
『ああ、ひめゆりの塔』には
たくさんのことが
詰まっている



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本当に『生きた』日

2019年12月30日 | 文学
茨木のり子という詩人は
体質に合う

今朝起きると
昨日読んでいた
大量の新聞の中あった
茨木のり子の詩が
頭に浮かんだ


紹介されていたのは
『ぎらりと光るダイヤのような日』
から抜粋されていた


 世界に別れを告げる日
 人は一生をふりかえって
 自分が本当に生きた日が
 少なかったことに驚くであろう
 指折り数えるほどしかない
 その日々のなかのひとつには
 恋人との最初の一瞥の
 するどい閃光などもまじっているだろう

以上の全文を
記憶していたわけじゃない

最後の時
本当に「生きた」
といえる日が
どれだけあったんだろうか

そんなふうに覚えていて
早朝
蒲団の中で
過去を思っていた

すると
本当に「生きた」
日は
素晴らしい日だけではなく
辛く悲しい
苦しく
寂しい
それでも
人生の
振幅が
大きく揺れた日
それを全部集めると
苦しい思いをした日
寂しい思いをしたあの日
悲しみに打たれ
号泣したあの場所
あの数日

ということは
喜怒哀楽こそが
人生の醍醐味
それが
ぎらりと光る日の記憶

そう思うと
辛いことや
悲しいこと
自信を失うことでさえ
それは
本当に「生きた」

いえるように思えてならない

だから
もっと悲しみ
もっと喜び
もっと苦しみ
もっと嬉しい
そんな日を刻む

できればうれしい
楽しいがいいけれど
薄っぺらなうれしさは
ぎらりとは光らない

以下
全文




 ぎらりと光るダイヤのような日
 

           茨木のり子


  短い生涯、とてもとても短い生涯
  60年か、70年の

  お百姓はどれだけの田植えをするのだろう。
  コックはパイをどれくらい焼くのだろう。
  教師は同じことをどれくらいしゃべるのだろう。

  子供達は地球の住人になるために
  文法や算数や魚の生態なんかを
  しこたまつめこまれる。

  それから品種の改良や
  りふじんな権力との闘いや
  不正な裁判の攻撃や
  泣きたいような雑用や
  ばかな戦争の後始末をして
  研究や精進や結婚などがあって
  小さな赤ん坊が生まれたりすると
  考えたり、もっと違った自分になりたい
  欲望などはもはや贅沢品となってしまう。

  世界に別れを告げる日
  人は一生をふりかえって
  自分が本当に生きた日が
  あまりにも少なかったことに驚くであろう。
  指折り数えるほどしかない
  その日々のなかのひとつには
  恋人との最初の一瞥の
  するどい閃光などもまじっているだろう。

  <本当に生きた日>は人によって
  たしかに違う。
  ぎらりと光るダイヤのような日は
  銃殺の朝であったり
  アトリエの夜であったり
  果樹園のまひるであったり
  未明のスクラムであったりするのだ。


良い詩人ですね。。。




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武者小路君

2019年12月29日 | 生活
    

浄心
鶴舞
浄心

久しぶりに
武者小路君に会った
そして
バスに乗り
湯屋へ同行

武者小路君は湯屋で
行方不明になり
はて
どこにいるのだろう

露天風呂を探すと
座りの湯で
完全に眠っていた
疲れているのだ
目を醒まさぬよる
そっと横に座って
陽光に照らされ
空の雲を見る
武者小路君は
「あ、寝てました」
と言った
「どうぞ寝てください」
と言うと
そのまま
また眠った

武者小路君は
湯屋が気にいったらしく
また行きましょう
と言う

そして
浄心で
餃子を食べ
ちゃんぽん麺を平らげる武者小路君は
元気になったようで

ぜんざいでも食べたい
とまで言う
甘味処に行くと
高いので
結局
やめた

湯屋の効能はやはりすごい

帰宅してから
予想通り
しっかり3時間
寝入った

たまった新聞を読む
一カ月以上読んでいない
途中
休憩

---

青い海
浜で火を焚き
火は時折
吹き出すほどの勢い

菜っ葉を茹で
食べる

野ざらしになった自転車

器で
遊ぶ
子供たち



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ミノムシの親分さんたち

2019年12月27日 | 生活
   

晴 (注:写真はミノムシではありません)

雨あがりの朝

大きな交差点で
早朝
信号待ちをしていたら
ガードレールに
ミノムシの親分さんたちが
何人も
ミノを作って
ぶらぶら
風に揺れていた
ガードレールの内側というか
しっかり強い糸で
冬越え

今時の親分さんたちは
木ではなく
こんなところで
お過ごしになっておられる
無事
越冬されることを
切に願う

ああ
朝日
風強し

後期高齢者の女性に
郵便局の場所をたずねられ
お教えする
彼女は
まず北へ向かい
西へ向かった

夜は
鳥たちがたくさん集まり
高い木にとまって
飛ぶ
木から木へ
柳の木は揺れて
そこにも
小さな鳥はとまろうとするけれど
揺れるので
他の木に移る
池の水すれすれを飛び
夜に高き声で鳴く
夜になっても
鳥たちは眠らず
明るい声で
鳴きかわし
鳥の中には
涙を流す者もいた

音楽が聞こえる
鳥たちの音楽が
この世に
鳥たちがいて
本当に良かった

たくさんの星たち
瞬く音が聞こえてきた時
いっせいに
鳥たちは飛ぶ
夜空に
舞う


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牛乳泥棒!

2019年12月26日 | 生活

木に
白い

たくさん
とまっていた

ああやって
夜を過ごし
眠っているのだ

終日
くもり
冗談みたいに
天気予報を外し
天は雨を落とさず
「たいしたものだ」
とわたし
こころの中で
感謝しかない
この時期の雨は
冷たすぎて

夜になって
雨降る

川上未映子の動画を見る
こんなに優しい人だったかな
変わったんだろうな
あの尖りぐあいから

---

給食を持ち帰った先生が
相応の金額を返済し
退職したという
そんなニュースの詳細を見
わけのわからないコメンテーターが
退職は正しい
と言う

思い出すこと

小学生の時
非常勤で国語を教えていた先生がいた
坊主頭で
初老で
小柄で
にこにこしたひとだった
黒板の文字がとても上手で
お坊さんが本職だという

給食で飲み残した
あまった牛乳を
非常勤の時
週に一度か二度の時
持ち帰っている
という噂があった

わたしたちは
その先生が
牛乳を入れたカゴを持って
河原を歩いて
帰ってゆくのを見た
そして笑った
「牛乳泥棒!」
と大声を張り上げた
先生はこっちを見た
そしてわたしたちを見て
帰路に戻った

食べ物を持ち帰る=貧しい
その構図しか
なかった

幼稚に過ぎる過去

今になって
あの先生のことを思う
仏教の教えの中から
それはおそらく
当たり前の行為であり
食べるものを粗末にしてはいけない
もったいない
という思いからに違いない
先生のご家族が飲むのだと思う

あの頃は
賞味期限などあいまいで
牛乳が腐っているかどうかは
牛乳瓶の中の牛乳が
固形化しているか否か
飲んで変な味がするか否か
そう判断していた時代
どんな食品もそうだった

食品ロス
という言葉が好きじゃない
それは発展途上の国の人の前で
使える言葉ではない

以前
北野武は言った

「地球で三分の一が飢えて
 死んでるつーのに
 おいらなんて
 映画なんか撮ってるんだもんなあ」

その意味がわかる
世界の北野武だ
常にそういうビジョンを持った上で
映画を撮っている

今回のニュースで
給食を持ち帰ることを
禁止したのは
食中毒を起こした過去からの
教え
そういう規則を作ったため

以前
寺に生れた友人が言った
「野菜で食べられないところはないよ、keizo」
その言葉も今
わたしの中で生きている

映画『いのちの食べかた』を見た
二度か三度

もしわたしが仮に
非常勤の先生になったとする
わたしも牛乳を持ち帰る
子供に馬鹿にされても
仏教徒でないけれど
世界に
食べられずに飢えて死んでゆく人たちが
地球上で三分の一以上いる現実を
想像すると
そうするだろう

実際
インドに20歳の時
友人とフリーで旅したことがある
日本にとって常識だったことが
インドでは常識ではない
食べるものがなく
カーストが24あり
路上生活者はエナメル線を拾って
わずかなお金にして
チャパティ(ピザ生地のようなもの)を
作り
その日
一日を生きのびる

膝から足がない子供
彼は台車に乗って
手で地面を押して
前に進む
切った膝の面と
お尻を
台車にのせて

何故
膝から下が
ないのか
爆撃にでもあったのか
と思った

違った
生れた時
親に切られた
両足を

それを見世物として
バクシシー(ヒンディー語・お金や食べ物を乞う意)
をもらう
家族が生きるためだ

日本に帰って
食べるものがある
それも豊富に
そのショックは長く尾を引いて
今に至る

五百円以上する飲みものは
飲みたくない
そう言った人がいる
何千円する食事は食べたくない

わたしは食べたくても
食べられないし
お金がありあまったとしても
おそらく
食べないし飲まない


食べられるという
こと

日本を始め
ものがありあまった
先進国は
いずれ
本当に食べられなくなる
虫を食べる食育は
すでに始まっていて
その時
豊かだった時を
ふりかえる

その時
わたしたちは
何を思うのだろう
「あの時は『食品ロス』なんて言葉が流行ったんだぜ」
なんて
言っているかもしれないね


古い文献を読むことで
未来が見える
そう
学者が言った
そうだろうと思う

日本が
さつまいもしか食べられなかった時の
話を聞いておくのは貴重だ
いざとなったら
作物できる知恵があれば
まったく違う

食べるものが
ある
という
こと




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薄暮の途上を見学

2019年12月25日 | 生活
   



毎日が
新しい日

林の中を歩いてゆく


六羽
薄暮の中
西の空に
飛んでいった

夕暮れから
夜になってゆく途上を
見ている

枯れ枝の
きれいな茶は
今の時期の景

この下に土があり
数えきれない微生物がいて
枝と枝の間にも
春になれば
たくさんの虫が
生態系を作る
日光
雨があれば
なおさら

一見
枯れ枝は無用にも思える
けれど
鳥の死角になり
鳥の目が虫を見つけても
枯れ枝の中には入ってこれない

虫たちにとっては
格好の隠れ宿
雨もしのげる
または雨の水分を保つ幹の構造

鳥は小枝をくちばしで取り
巣にする
ビーニールではなかったはず

人も同じ
高齢者は無用なんかじゃない
雇用を確保し
知恵もあり
洞察もある
直感もある

この世で
無用なものなど
どこにもないし
誰ひとりいない
一見
無用な
生産性がないものを
ヨシとしない風潮は間違っている
それが先進国の
教養の弛緩であり
怠惰だ


冬の景を見る
生態系の限りない深淵

アリ
春になれば
たくさん出てくる
かれらが林の生態系を作る
枯れ枝は
彼らの庭

キノコも生える
苔も出る
いろいろ
多様な
命の
隠れ家




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彼はいつも一人

2019年12月24日 | 生活詩
  

道路
濡れている

サンダルを持って
出る
帰り道
寄らねばならぬ場所があり
土で汚れた靴だと
ちょっとまずい場所

茎ワカメの歌をみんなが歌う時
冬の晴天は
爽やかで



  --- 『彼はいつも一人』 ---



彼はいつも一人
ケータイを見て
挨拶をしても
ただ
こっちを見るだけ

彼はいつも一人
朝一番に小屋にいて
夕方帰る
誰も彼に話しかけず
黙々と労働をし
手を抜くことを知らず


彼を呼ぶと
彼は来る
無言で

彼が自分で話しているところを
一度も見たことがなく
表情も変えない
ただ聞いて
動く

彼はいつも一人
怠けず
ただ言われたとおりにする
彼の声を誰が聞いただろう
おそらく誰も

彼はいつも一人
彼が一度だけ微笑んだことがある
まだ彼をあまり知らされない時に

彼はいつも一人
静かにしていて
誰とも交わらず
笑わず
話さない
ただ聞いている
話を

彼はいつも一人
彼の声はどこで出るのだろう
出ないのかもしれない
世の中は彼の目に
どう映っているのだろう
いろんなものを見ているはずだ
孤独だからこそ
よく見えるものがある
それはこころだ

彼はいつも一人
思いは
ぽとんと地面に落ちて
雨に流され消えてゆく
何かを記すことはなく
誰にも何も話さない
今も昔もこれからも

本当の一人というものを
彼は当たり前に受け入れ
欲しがることは何もない
ただ
淡々と

誰よりも早く起きて
誰よりも早く労働場にきて
誰よりも黙々と働き
夕暮れになると帰ってゆく


彼を小馬鹿にする人もいれば
そうでない人もいる
みんな彼に接して
あらためて自分が当たり前に持っているものを
知る
そして
瞬時に忘れ
馬鹿話に戻る

彼はいつも一人
眠り入る
夜の温かみに
丸く包まれ
自分の中に
美しい川が流れているのを知らず
清らかなせせらぎの音を鳴らしているのも
気づかずに




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空間を飛ぶ鳥の凄さに今更に

2019年12月23日 | 生活
  




雨あがりの朝
東に向かい
太陽が見えそうだったので
自転車に乗りながら
振り返り
西の空を見る
虹が出ているかも
と思って

川に大きな白い鳥が
たくさん
サギより大きい
なんていう鳥だろう

黒い水鳥もたくさん
雨あがりで
川の流れが変わり
魚がたくさんいるからだろう
そうじゃないと
鳥は水辺に集まらない

それを橋から見る人


---

鉄板は濡れ
道路も濡れ
水たまり
カラスの朝鳴き
それ一声

明るくなる空の
きれい

 フクチイノモヨウ トリタチ ミタシアワセ メンパン
               
              (手帳に書いてある文字群、判読不可能)

カラス
水たまりの
水を
飲む

冬の風の中
陽光

tiktokはタブレットで鑑賞
Amazonの格安タブレット優秀
速い!

ネットは新しい機種ほど
速くなる







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守銭奴と言われても図書館は夜明けを待っている

2019年12月22日 | 読書
  

今日は冬至

最近忙しい日曜日
やることが多すぎる
また順番をつける
湯屋に行こうと思っていたけれど
図書館の
返却本と予約本が
今日限り
湯屋に行ったあと
図書館に自転車でいくと
湯冷めするかも
しかも雨が午後から
よって
本日
湯屋はあきらめ
図書館へ


年末年始はたくさん本が借りられる
それも長期間
このチャンス
本が好きというわけじゃなく
高い市県民税をなんとか
チャラにできないかと
せっせと単価の高い本を読んでいる
こんなせこい守銭奴に誰がした
はい、自分です
いやいや
吝嗇と言っていただきたい
でもその分
コンサートに行くよ



予約しておいた本を受け取り
久しぶりに本棚と本棚の花道を
歩きまわり
言葉並木を通ってゆく
たちどまり
本に触り
開き
閉じる
戻す
手に持つ

今はネットで予約でき
他の図書館から
最寄りの図書館で
受け取ることができる

小学生の時
母に連れられ
名古屋市北図書館に行った
それから
友人と夏
自転車で行き
またはバスで行き
冷たい水が出る
不思議な銀色の箱のペダルを踏み
冷水を飲んで
暑さをしのいだ

お小遣いで
三角パックのコーヒー牛乳をストローで飲み
狭い階段をのぼって
書棚の二階へ
そこにある
図鑑を手にとって
動物
昆虫を
飽きもせず
見ていた

騒いていると
図書館のお姉さんがきて
「静かに」

静かに言った

十代はテレビやラジオでは放映できない
いけないフォークソングとロックを聞いた
実際発売禁止、放送禁止の歌もあった
そうじゃない歌と音楽も聞いたけれど
いずれにしても
本とは無縁になった

大阪にいた二十代
日曜になると
大阪府立図書館に通い
荷物をロッカーに入れ
手ぶらでしか入れない部屋に行き
図書カードをパラパラとめくり
本の在庫を確かめた時代
まだネットがなかった時代
それでも稲垣足穂の
本の真ん中に直径5ミリほどの
穴があいた
不思議な本があったり
批評
小説
哲学
詩が
豊富にあったのは
今より勝る

東京は江東区にいた時
江東区の名前を忘れてしまった図書館に行き
夢の島に行った
杉並に越したら
杉並区立宮前図書館に通った
八木重吉を読んでいた

名古屋に帰った時は
鶴舞図書館と愛知県立図書館を
はしごした
藤井貞和と吉増剛造の蔵書は
県図書にも鶴舞書庫にもあった
うれしかった

読書量は少ない
けれど
図書館がどこでもいつでも
好きです
静かの場所は
公園と図書館
落ち着く


本は作者が
一番言いたいことだけを
凝縮している媒体である
その作者の思いが
あたりに
立ち込めているのかもしれない
本を読めば
作者に会える
そういうことが
本では可能だ
言葉はその人が書いたもので
言霊がある
本はだから生きている
作者が空に帰ったとしても
言葉はずっと
生き続けて
わたしたちに
教えてくれる
言葉の面白さや
きれいな景
見ていなかった事物の提示
思っていなかった疑問の提示

本は豊かの源泉だ

カフカ先生とばったり会い
コーヒーを飲む
最果タヒのエッセイ本を出すと
「あ、これは本屋大賞をとった人ですね」
と興味深く本を手に取り
「目次の題も良い、装丁も気に入った。貸してもらえないか」

言った
「買ってもいいな」
とも言った

本を愛する人たちは
たくさんいるけれど
見つけるのはむつかしい


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口笛が聞こえる

2019年12月21日 | 生活
おじいさんはパンを持って
うつむき
バス停を通り過ぎ
北の橋に向かった
うつむいているのは
足元を良く見て歩いているから
それは転んだ人の痛みの教え

草を持ったおばあさんが
東へ向かった
グリーンロードをあとにして

---

異国で母国語で話し
笑い声をあげ
いきいきと労働する
青年たち
まだ顔に幼さを残し
笑って
労働するということ

その幸を見て
わたしも幸せ

冬の午後四時
彼らの一人
口笛さえ吹き
それ耳に届き
響き
うれしき口笛
我の胸に宿り

彼らは夕暮れ
螺旋階段を
昇っていった

きれいな青年たちを見ている
その幸福

日本に働きにきて
日本は良かった
辛いこともあったけど
苦しい時があったけど
それでも
日本で楽しい時があった

少しでも
思って
帰国してほしい

和をもって尊しとなる

遠き国からきて
働く人々は
これからも増えるだろう
せめて
わたしだけでも
彼らに優しい思いで
接していたい
切にそう思わせてもらった
彼らの笑の
きれいの力







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日輪月輪

2019年12月20日 | 生活



冷たし

23歳の彼は
国へ帰りたい

言った

来年
四月
半月ほど
帰国するという

そして
また日本に戻り
五年間働いて
お金を貯めて
帰国する

彼は七月にやってきて
まだ五カ月
郷愁は彼を囲み
異国の小さな部屋から
毎晩
電話して
声を聞き
声を出す

---

島国の
川の数々
それ
どこも
美音を奏で
流れゆく
晴れた日は
川面が光り
輝く
日輪
夜になったら
月輪の揺らぎの中で
飛ぶ
跳ねる

唯唯諾諾








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君臨する独裁者『太陽コーヒー』

2019年12月19日 | 生活
   

昨日の雨は
それほど
冷たくなかった
気温が高い

今日は晴

ただ
寒し

---


世界中を敵にまわす勢いで
君臨しつつある独裁者
それは太陽コーヒーである

誰もが
太陽コーヒーを求め
それはひどくまずく
「まずい!」
というリアクションの数々を見て
ひとそれぞれの人格さえ見える
そんな効力もあわせもつ
天下無敵の
太陽コーヒー

まずく
安く
しかも
やる気をなくし
この世の一切合切が
どうでもよくなるコーヒー
それが太陽コーヒーである

ただし

民が何故
太陽コーヒーを求めてやまぬかというと
まずくて
やる気をなくし
この世の全てが
どうでもよくなるにもかかわらず
運気をあげるコーヒー
それが
太陽コーヒーなのだ


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わたしは行く

2019年12月18日 | 生活詩
片鱗さえ見せず
いるかいないかの
気配を消して
丘の上で
小さな声で
話す人
高揚はなく
内容は簡素極まり
「わたしは行く」
と言った
美しい笑顔
魚に成ろう
魚に戻ろう
そう言わなくても
その人は
丘の上で
一人
言う
「わたしは行く」
その人は
すぐに岩影に隠れ
最後まで
自身を晒さず
あえて
他を引き立たせ
見えぬ貢献を続けたことを
「わたしは行く」

発言したあと
あらためて
みんな知るに至る
功績は地味でありながら
胸を打つ
その人は
名前を捨てて
海に帰るのだ

けれど
誰もが覚えている
思い出した時に
その人の
万の努力を






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さすが

2019年12月17日 | 生活
くもり


出かけは
くもり
さすが

晴くもり雨の
しくみが判った今
さすが
と思う


そして


宮沢賢治の
花巻農学校精神歌
の歌詞の中で

太陽系はマヒルナリ
という言葉がある

凄い

賢ちゃんと話したかった




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多幸感

2019年12月16日 | 生活
労働後
八百屋に寄る
たくさんの野菜と果物
しかも安い

レジを済ませ
外に出て
かごから袋に
野菜を入れている時
幸せを感じた
それは多幸感というもの
持続する幸せな感覚
これは何だろう
八百屋は美しい
野菜や果物
この人たちが
自分の体を良くしてくれる
しかも安い
だからとて
いつもそんな多幸感ではなく
今日は特別かもしれない
稀に八百屋で
こう感じる時がある
野菜が生きているからだろうか

いろいろ思うけれど
わからない
不思議だらけの
この世に生まれ
冬の帰路
野菜を詰めて
うれしき
夕べ



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