kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

土田真子著 『いつものように』

2023年01月09日 | 読書

 

いつものように

今読ませていただきました

いつものような
日常の中に
パンデミックが
文字通り
いつものように
マスクをして
距離をとり
短時間の会食
そんな景が想像されます
さらに
パンデミックの収束は未だ見えず
いつものように
一変した暮らしの中で
世界中の人々は
淡々と暮らしている
たとえそれが
ウクライナで
爆撃があった町でさえ
やはり
人々は
淡々と生活することを
自然に選ぶ

世界でどんな惨事があろうと
メディアは別として
わたしたちは何もなかったように
今までとは少し違った生活様式を強いられ
細々
愚痴を言い
高齢に近くなる夫婦の
あれこれ
男女のあれこれに
思いを馳せる

生活は芸術だ
と言ったのは現代音楽家のジョン・ケージであり
暮らしを淡々と歌ったのは
高田渡というシンガーソングライターである

表現というのは表現者の生活を嫌でも反映する
この作品の「いつものように」

毎日がそれほど変わりなく過ぎてゆく

ところが昨日とは同じということは
あり得ない
昨日とは違う今日
そこに
作家は注目して暮らしてゆく
実はまったく昨日と違っているのに
人々は「毎日同じことの繰り返し」
と言う
違う
行動もさることながら
心象は常に移ろってゆくのだし
その細部はこの作品でも
極めて穏やかな文体で
語られてゆく
日常とは芸術であり
生活こそ
芸術そのものです

穏やかな日常が描かれいる中で
3年前とは違ったコロナ渦の捉え方が
時の流れの中で
ここまで変化するのか
と驚きさえあります

わたしは以前
目の前を老夫婦が

手を繋いで歩いてゆくのを
見た
その時のことは詩にしてあります

その詩の結びは
『手を繋ぐということ それは許すということだ』
と書いた記憶があります

歳を重ねれば
自然
言葉も少なくなり
喧嘩をする力もなくなり
恨み辛みがあったとしても
自然
許してゆくのが理想だけれど
そうもいかない

あの老夫婦は
冬の景の中に
消えていったのだけれど
やはり繋いだ手と
たった二人だけで歩く先に何があるかなしかは
思わず
冬の裸木
青い空
冷たい風
冷たい手
ニット帽に隠れた耳の温かさ
そんなきれいの景に
老夫婦たちは
馴染み
夫婦だけが手を繋いでいるわけではないかもしれない
自然界と手を繋いでいるのかもしれない
そんなふうにも思えるのは
歳を重ねた人々にしか
与えられない美しさです

それは作品の題である
『いつものように』であることは
間違いないのです

穏やかな作品で
短いけれど
きれいな思いが立ちました

読ませていただき
ありがとうございました

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子供から大人まで楽しめる

2022年07月10日 | 読書

         

 

久しぶりに

高橋源一郎の本を読む

小説をあまり書かなくなり

大学の先生になったあたりから

偉い人になってきて

エッセイが多くなったあたりから

読まなくなった

ラジオやYouTube

時代に合わせて

ゲンちゃんは

変わってゆく

ーーー

エッセイ『「読む」って、どんなこと?』

読み方のレッスン本

を読む

小学生の教科書からイントロが始まり

最後は凄い

これは子供から大人まで

読んで楽しい

こういう本を良い本って

言うんだろうなあ

ーーー

「わたし」と「わたしたち」の違い

後者だと社会性が帯びる<危険性>に触れてある

確かに!

しかも判りやすい

論文みたいになっていなくて

判りやすく

授業をしている

実際

先生だし

言葉愛がそうさせている

ーーー

それだけじゃなくて

わたしは

どっかゲンちゃんと

相性が良いのだろうな

と直感した

エッセイをスルーしてきたから

まとめ読みしてみよう

ーーー

最後に加藤典洋氏の

病室での『最後の言葉』が記述されている

これは凄かった

「もう一人の自分を持つ」

これはどういうことかというと

常に自分ともう一人の自分を持つことで

自分を客観する目を持ちなさい

という意

ざっくりですけど

これこそ教養

良い本読んだ

加藤典洋氏の『敗戦後論』とか

読みましたけど

無理

何が書いてあるのか

さっぱりわからなかった

ところが

大事な友達の一人である

サイセイ氏は

加藤典洋氏を理解し耽読している

よって加藤典洋氏が死去したショックを

電話でメールで伝えてくれた

ーーー

ところで

わたしが

一年間だけ

東京在住の時

横浜まで

ゲンちゃんの講演を聞きにいった

あの時とは今は

まったく違う

今は学生に向かって

「小説って、何だと思う」

と問いかけ

311の時

学生が「何かしなくちゃと思うけど何をしたらいいかわからない」

と聞くと

「どうして何かしなくちゃいけないと思うの?」

と返す

何もしなくていいんだよ

と答える

この凄さ

ゲンちゃんって

小説家より

先生の方が合ってるかも

けれど

わたしは初期の前衛小説の

三部作を読んで以来

ずっと熱心なファンですけれど

ゲンちゃんのエッセイが

こんなに届きやすく書かれてあって

面白いとは

油断した。。。

 

 

 

 

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本を読む 興奮する

2022年05月28日 | 読書

「利他」とは何か (集英社新書)

 

素晴らしいとしか言いようがない

特に若松英輔氏の民藝家『柳宗悦』論は卓越

中島岳志氏の論はまったくもって
わたしに合っていて
シンパシー以外何もない

國分功一郎氏の『中動態』は読んでいて興奮した

責任と帰責性の語りはおしっこちびりそうでした。

うすうす気がついていたけれど
利他と宗教(霊性)はほぼ重なっていると思っていたけれど
この著書でそれがあらゆる角度から論じられていて
はっきりそうだと思いました。

哲学、哲学っていうけど
哲学って言語のことじゃん
ってマジ思った。

最後の磯崎憲一郎氏の論は途中まで。少し休憩。小島信夫の正体がここで明かされるという
何とも興奮する内容

この本は☆5個じゃ足りません。

あとハンナアーレントの論が完璧であるがゆえに
明け透けに裏側が見えてしまうということにも
興奮した

それと
30年間
ずっと「しまった!」
と思ったことを発見

矢作俊彦氏と井筒俊彦氏を同一人物だと
思い込んでいた

ここで紹介されているのは
後者の井筒俊彦氏の
『言葉を超えるコトバ』論を
井筒俊彦氏が書いているということ
これは読まねばと
急ぐ

利他と無理矢理くっつけた感もあるけれど
本質的に
利他が霊性からやってくるという考え方は
アジア人ならでは理解できる
ところが
ジャックアタリ氏を中島岳志氏が
他著『思いがけず利他』で批判的であるのは
ジャックアタリ氏の『合理的利他』が
極めて西欧的なものだからです


これは当然
親鸞を引用する中島岳志氏とは
場を異にします

だからといって

この本が東洋思想的というわけではなく

ギリシャ悲劇

キリスト教

聖書から『善きサマリア人のたとえ話』が

引用してあります

世界に

通用する

素晴らしい研究成果だと

思います。

 
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桃の実の熟す時

2020年01月05日 | 読書
  


文兼ッ人誌『じゅん文学』101号 2019年11月発行

秋乃みか著『桃の実の熟す時』を読み終える

手と手が結ぶ
挿絵の導入は
堀田明日香氏


役者の奈良岡朋子氏の動画を
昨日見ていて
「役者なのに役者じゃない人がたくさんいる」
と言った
どういうことなんだろう
と思い
続きの発言を待った
「心がない演技をしている役者がたくさんいます」
と続いた

すぐに役者を作家に変換した
「心がない作品を書く作家がたくさんいる」

これでも常にわたしは小説のことを考えている
重ねて思い出したのは
高橋源一郎が破天荒な作品を書くにあたって
「心を込めて書いた」
と言っていたことだ
訳のわからない文学であっても
心を込めて書く
ということが
あの前衛作家の主獅ナあることは今でも変わらない

今回
拝読させてもらった秋乃みか氏もまた
その例にもれず
心がある作品を
書き続ける作家の一人である

この作品には心しかない
自然界が数多に過ぎるほど
執拗に描かれ
嫌でも
わたしたちは
自然界の一部分に過ぎないことを
思い知らされる

人間を書くのが小説
それは心の内というのは
小説でしか描けない
と発言したのは主宰の戸田鎮子氏

その人間の心の内すら
秋乃みか氏は自然界に戻してゆく
それはわたしたちが空から来て
空に帰ってゆく
その過程を
人社会を小さく描きつつ
自然界の一部分としての
言語
性交
貧富を題材として
人種差別という伏線を示しつつ
長野の閉鎖する村の成り立ち
その時代を刻んでゆく
ところがそれは全部
人間が考え
組織化し
啓蒙し
思想まで作り
その脆弱さを
久爾(くに)という登場人物が
「根拠なし。科学ありき」

すべてに理があり
理が判らぬことは
迷信や信仰の対象としたことを
暴き貫くが如くである
科学が証明したと同時に
迷信も信仰も消え
理がまかり通る
それが人間社会の脆弱さである
常に法律は変わり
常識は変わる

時代が変われば
ありえないことも
時代を追って描くことで
暴いてゆくことが可能だ
それを理として描くのではなく
主義として描くでもない
小説という情で描くこと

最近の秋乃氏の作品に
頻繁にあるテーマは
死者への弔いである
生きるものは
常に死者たちに語りかけ
答えを問う
それはいくら
科学が進んでも
おそらくシンギュラリティの時を越えても
科学では立証できない最後の分野であるに違いない
文学の残された役割の一つである

この作品にも
そのテーマがありそうで
実はそこにテーマがあるわけではなかった

『桃の実の熟す時』は
永劫の中で常に熟しつつあり
移りゆく
おだやかな語り部が
日常を描きつつ
実は計り知れぬ自然界の中の
出来事に過ぎない人の思いや暮らしを
人間中心主義から
<自然に>逸脱し
風景の中に
すべての登場人物が消えてゆく

あの雲の上から来て
あの雲の上に帰ってゆくまで
人は何をするのか
それはただ一つのことだ
それを知り
実行する仕事こそ
この世に生れて
問われた答に他ならない
それはあまりにも平明であり
不自然なほど
わたしたちが言うに戸惑う
人類愛である

人が人を思いやるということ
心を込めて書くということ

日輪は海からのぼり
それは光だ
光の中で
わたしたちが
何を見るか
目ではなく
脳は太陽の光から
何を受け取るか
その答が
最後に告げられて
この作品は終わる

もののあわれ
そして
自然界を日本人ほど
文化に取り入れている民族は
世界中の中でも稀有だ
そのことを現代人は
忘れて
構造主義にならざるを得ない

庭とgardenは違う
「庭は宇宙という意味もあるんです」
と言ったのは吉増剛造である

外国人の目で見ろ

言ったのは中上健次である

自動化作用という言い方をして
常に見ているものを脳は新しい情報ではない
として瞬時に切り捨ててゆく
たとえば
点字ブロックの点字の数
自動化作用が起きている
そのことに気をつけろ
と言ったのは大江健三郎だった

自然界の執拗に過ぎる描写は
映像の方が勝っているかもしれない
けれど
秋乃みか氏は
見ている
花の陰影さえも
水の流れの細部も
冬の寒さの皮膚感覚も備える

作家
多和田葉子は末メに言う
「言葉遊びをカットしないでほしいのです」
これが小説の色彩である

いかんせん
秋乃氏の作品は色彩に欠ける
けれど
墨絵の如く
墨の濃い薄いの微調節は絶秒であり
地味ではあるけれど
カラフルに飽きた時
人は犬の目に写る
モノクロの世界に
新鮮さと
実質を見出すことに
喜びを感じる
秋乃みか氏は
確実に
日本文化を継承する
墨絵の陰影作家の一人である
ところが
今回の作品は
最後に
あまりにも鮮やかな日輪を描き
モノクロに橙をぶち込んだ
海の力を導入した
または自身の中にある
『海』を顕在化させることに成功した

アンドレイ・タルコフスキーの
スローなカメラアングルで
日本社会の閉鎖性と共に生きる人々と
自然界のいちいちを捕らえ
セリフを削り
映画に撮ってみたい欲望が
美しいラストシーンの余韻として
残った

秋乃氏もまた
長野の村社会で
女性性の確立以前に生き
それを当然ととらえ
因習であるにもかかわらず
それを強いられた女性だろうし
のちに「違う」と
女性性に目覚め始めた
一人であろう

国境なき
日本という島国に発生した因習は
未だ消えることはなく
見えぬ場所で
現存しているのが実態である

ゆるやかに
または激しく
因習に抗うこと
記述すること

「母もまた、見えぬ差別の中で生きていた」

上野千鶴子の発言を最後に加えておきたい


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守銭奴と言われても図書館は夜明けを待っている

2019年12月22日 | 読書
  

今日は冬至

最近忙しい日曜日
やることが多すぎる
また順番をつける
湯屋に行こうと思っていたけれど
図書館の
返却本と予約本が
今日限り
湯屋に行ったあと
図書館に自転車でいくと
湯冷めするかも
しかも雨が午後から
よって
本日
湯屋はあきらめ
図書館へ


年末年始はたくさん本が借りられる
それも長期間
このチャンス
本が好きというわけじゃなく
高い市県民税をなんとか
チャラにできないかと
せっせと単価の高い本を読んでいる
こんなせこい守銭奴に誰がした
はい、自分です
いやいや
吝嗇と言っていただきたい
でもその分
コンサートに行くよ



予約しておいた本を受け取り
久しぶりに本棚と本棚の花道を
歩きまわり
言葉並木を通ってゆく
たちどまり
本に触り
開き
閉じる
戻す
手に持つ

今はネットで予約でき
他の図書館から
最寄りの図書館で
受け取ることができる

小学生の時
母に連れられ
名古屋市北図書館に行った
それから
友人と夏
自転車で行き
またはバスで行き
冷たい水が出る
不思議な銀色の箱のペダルを踏み
冷水を飲んで
暑さをしのいだ

お小遣いで
三角パックのコーヒー牛乳をストローで飲み
狭い階段をのぼって
書棚の二階へ
そこにある
図鑑を手にとって
動物
昆虫を
飽きもせず
見ていた

騒いていると
図書館のお姉さんがきて
「静かに」

静かに言った

十代はテレビやラジオでは放映できない
いけないフォークソングとロックを聞いた
実際発売禁止、放送禁止の歌もあった
そうじゃない歌と音楽も聞いたけれど
いずれにしても
本とは無縁になった

大阪にいた二十代
日曜になると
大阪府立図書館に通い
荷物をロッカーに入れ
手ぶらでしか入れない部屋に行き
図書カードをパラパラとめくり
本の在庫を確かめた時代
まだネットがなかった時代
それでも稲垣足穂の
本の真ん中に直径5ミリほどの
穴があいた
不思議な本があったり
批評
小説
哲学
詩が
豊富にあったのは
今より勝る

東京は江東区にいた時
江東区の名前を忘れてしまった図書館に行き
夢の島に行った
杉並に越したら
杉並区立宮前図書館に通った
八木重吉を読んでいた

名古屋に帰った時は
鶴舞図書館と愛知県立図書館を
はしごした
藤井貞和と吉増剛造の蔵書は
県図書にも鶴舞書庫にもあった
うれしかった

読書量は少ない
けれど
図書館がどこでもいつでも
好きです
静かの場所は
公園と図書館
落ち着く


本は作者が
一番言いたいことだけを
凝縮している媒体である
その作者の思いが
あたりに
立ち込めているのかもしれない
本を読めば
作者に会える
そういうことが
本では可能だ
言葉はその人が書いたもので
言霊がある
本はだから生きている
作者が空に帰ったとしても
言葉はずっと
生き続けて
わたしたちに
教えてくれる
言葉の面白さや
きれいな景
見ていなかった事物の提示
思っていなかった疑問の提示

本は豊かの源泉だ

カフカ先生とばったり会い
コーヒーを飲む
最果タヒのエッセイ本を出すと
「あ、これは本屋大賞をとった人ですね」
と興味深く本を手に取り
「目次の題も良い、装丁も気に入った。貸してもらえないか」

言った
「買ってもいいな」
とも言った

本を愛する人たちは
たくさんいるけれど
見つけるのはむつかしい


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オムニバスの掘り出し物

2019年10月03日 | 読書
図書館に行っても
あまり詩集はない

それで以前
オムニバスの
『若い日の詩』
というプロ、アマの
詩集を借りてきていた。

いやあ。素晴らしい。
だからオムニバスって
良い。
知らない詩人を何人か発見し
すぐに図書館に予約

なかでも
木坂涼という詩人は
見落としていた
アーサービナードの奥さんだと判って
さらにそれは興味がわく
読んで
かっこいい
って思った


こんなんですよ

『一人の正しい使い方』木坂涼


  きゆっと孤独が
  あたしを抱いてくれる時があって
  あたしはコロッとだまされる

  
  今
  何かした?


このかっこよさ。
どうしたらこんなん書けるんやろ。。。



あと川崎洋さんは知っているけれど
改めてオムニバスで読む一篇の詩『ほほえみ』が
かっこいい。

あと
おぞねとしこ
坂村真民

高校生が書いた詩も
良いのがあったなあ


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おらおらでひとりいぐも

2019年03月03日 | 読書
終日
読書
読了して
八百屋
スーパー
図書館へ本返却
また違う本を借りる
2週間で一冊

読んでいたのは
予約待ちでやっと届いた
若註迯イ子著『おらおらでひとりいぐも』

おもしろかった
まず方言でしょ
伴うユーモアでしょ
哲学でしょ
現代詩が出てきて
宮沢賢治でしょ
最後は
スピリチュアル
という
フルコース

フランス料理をゆっくり
順番に食べているみたいに
堪能する読書の快楽
言葉のグルメにとっては
たまらん作品

おかげで
外に出ると
物が二重に見える
目の使い過ぎ

梅がきれいだった

帰宅後
ベランダにネットを貼り
エンドウ豆の迷う蔓に
行き先を作る
のちに
このネットは
ゴーヤが
大きなゴーヤが
たくさん
なる
はず。。。

それから
あることが
とんとん拍子に運ぶ

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詩の三行

2017年07月26日 | 読書
詩集を読んでいると
バキッと
はまる言葉がある
それは
谷川俊太郎著『詩に就いて』の中の『隙間』
という作品の三行



  わたしたちはこうして生きているのだ
  心配事を抱えながら
  束の間幸せになりながら


谷川俊太郎はいくつだろう
そんなことをふと思う



読者は必死に本の中に自分を見つけようとする
歌でも
絵でも
音楽でも
映画でも
写真でも
そこに
自分を必死に探している

件pだけじゃない
誰かとしゃべっている時も
相手の言葉の中に
自分を必死で見つけようとして
安心しようとするのが
人間の本質である
「同じだ」
と思った瞬間
共感と親しみを感じる

その線上先には
避けては通れない
差別もまた
横たわっているのだ

「自分とは違う」
と思った時
警戒と不審と敵視が起きる
差別が生まれ
その先に
差別への思慮が起こり
「自分とは違う何か」

経験の中に取り入れてゆき
自分とは違う何かが
自分の生命を脅かさないと確信すると
受け入れが起こり
融和する

融和した自身と同じものを
また探し出す

その繰り返し







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gozo『怪物君』

2017年06月25日 | 読書
今日は一日中
読書しようと
決めていた

読みました
やっと
吉増剛造の『怪物君』

いやあ
凄い
夕方読み終わって
買い物に出る
雨が降ってきた


はあ
それにしても
凄い読書だった
こんな本を読んだら
次読めない

発売から一年遅れ
吉増は凄い
言葉を書くこととは
叩くことだそうです

どのページも凄い
書いた文字も
絵の具で塗りつぶしちゃってるし
311で壊滅があったと同じことと
言う

それにしても
この本
みんなどんなふうに思うんだろう
わたしは大好き
大大好き
めちゃくちゃ好き

何が書かれてあるか
わからない
それが本当に凄い
また読みたい

吉増の最新エッセイ
といっても
この二冊は一年前刊行ですけど
『我が誌的自伝 素手で焔をつかみとれ!』
に買い物が終わり次第
即行で突入
『怪物君』とのセットであるがゆえに
面白くないわけがない
3分の1まで読む

民衆詩派という
言葉もあった

読んでいて
以前
名古屋千種正文館二階で
映像と吉増の詩文のような語りを聞き
『裸のメモ』という詩集に
朱色でサインと自分の名前を書いてもらったのですけど
それがわたしの唯一の宝です

あ、
そういえば
今朝地震で
目が醒めた
震度3の揺れ
とうとう来たかな

さすがに思った


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村上春樹雑文集

2011年06月02日 | 読書
村上春樹著「村上春樹雑文集」、
を読んでいました。
外は雨で、
蒸し暑いので、
少しだけ窓を開けて、
風を通しています。
ソファーに寝そべって、
本を読む。
これは最高です。

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よだかの星

2011年03月09日 | 読書
ずっと花粉症で、
目はかゆいし、
鼻が詰まっているので、
口呼吸するので、
喉がやられます。

宮澤賢治の童話「よだかの星」
を読みました。
宮澤賢治は天上天下に在りながら、
天上天下に拒まれている、
という矛盾。
そして、
天上を超え、
天の川の、
高みへと、
この童話は物語っています。
凄く良い童話です。
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銀河鉄道の夜

2011年02月24日 | 読書
雨です。
予報では、
お昼からの降りだったけれど、
朝、起きたら、
すでに降っていました。
あちゃー、っと思って、
労働場に行きました。
それでも、
それほど強い雨ではなく、
カッパも必要でないほどです。
胸で、タイムアフタータイムを鳴らしながら、
久しぶりに、
雨の中に、
いました。

帰ってから、
「銀河鉄道の夜」を読みました。
昨日、たっぷり眠ったので、
今日は睡魔もなく、
本を読む体力があります。
音楽的、
と誰かがネットで書いていましたけれど、
本当にそう。
また読みたいと思う物語です。
これが未完である、
ということや、
たくさんのことを、
思わずにはいられませんけれど、
ただ一番思ったのは、
シンパシーです。
先回読んだ時は、
灯台守りの言葉が良かったのですけれど、
今回は、物語全部が良いです。
そして、文体の妙。
宮沢賢治の文体については、
こないだシリーズでやっていた宮沢賢治特集の、
テレビで言っていました。
妙な文体なのだ、という内容です。
おかげで、
今回、
意識的になって読めた、
という収穫がありました。
批評によって、
この物語を読む時に、
こんなところに、
注目せよ、
ということに、
僕も面白みを得ます。

たとえば、
賢治の最愛の妹、
トシ。
トシは賢治の作品の最高の読者であったらしく、
その死は、
青森挽歌、だったかな、
賢治は傷心の旅で、
鉄道で北上したはずです。
その時、
車窓に何を見たか。
カンパネルラは、
トシである、
と、こないだ、
テレビで言っていました。
そうかもしれない、
とも思います。

「銀河鉄道の夜」の中で、
さそりの話は今回、
印象に残ったし、
鉄道に乗るまでの寂しさは、
ぐっときます。
明石家さんまが、
以前、
「幸せって何だっけ何だっけ」
と歌っていて、
それはとても深いことだ、
と誰かがバラエティで言っていました。
「本当の幸いってなんだろう」
というせりふが、
何度かこの作品にも出てきます。
「農民件p概論」の中で、
世界全体が幸せにならないかぎり、
自分の幸せはない、
と賢治は言います。
「僕達、がんばろうね」
とジョバンニは言います。

果てぬ思いが、
今、書いていても、
沸いてきます。
また再読したいと思います。
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2011年02月13日 | 読書
無理のない程度に、
読書をしました。
まずは、今日、北図書館への返却分を2冊。
菅野美穂のエッセイと、
草野心平の詩集です。

草野心平の詩で、 ● というタイトル(凄いタイトル!!)の詩があります。
または冬眠という詩では、
詩の本文が、 大きな ● がページの真ん中に、
あるだけです。
草野心平は教科書にも載っている詩人です。
でも、もの凄くぶっ飛んでいます。
草野心平は宮澤賢治や八木重吉、
棟方志功ともつながりがあるから、
類は類で、
みなさん、
それぞれぶっ飛んでいますね。


● という詩は、
こんな詩です。

 すかんぽをくっていると
 蛙がわらった
 おれがだまっているので
 ひっくりかえって
 白い腹をみせた


これだけ。
凄い。
「蛙のうた」という詩集で、
僕は何度も読んでいます。
何度読んでも、
おかしみのある詩ばかりで、
思えば、シンディだって、
おかしみがあります。
僕はきっと楽しいものが、
シリアスなものよりも、
ずっと好きなのだろうな、
と思います。
何故って、
楽しいことほど、
楽しいことは、
ないのですから。
「蛙のうた」は岩崎書店から出ている、
「日本の美しい詩歌」のシリーズで、
こないだ読んだ山村暮鳥も、このシリーズで、
とても良かったし、
岩崎書店というブランドの、
シリーズで読んでいくのも、
おもしろいかな、
と思っています。
余談ですけれど、
僕の友達も、
岩崎書店から本を出していて(サイン入り♪)、
うらやましい限りです。


で、速攻で、北図書館へ走り、
昭和56年初版、限定500部という宮澤賢治の本(これも岩崎書店!)と、
賢治のことを書いた草野心平の「わが賢治」(1970年初版)、
この2冊の大型本は延長手続きをしました。
こないだも書きましたけれど、
豪華本です。
なので、鶴舞の書庫にあって、
また取り寄せてもらうのもアレなので、
延長しました。

今度は、お昼ご飯も食べずに、
県図書へ。
ここで、予約してあった「沈む日本を愛せますか?」
という、高橋源一郎と内田樹との共著を手に入れました。
それで、先週、体調不良で読めなかった本、
小池昌代の詩集を2冊、
机を借りて、読みました。
県図書で、
ソファーに座って読むことは経験がありますけれど、
簡単な手続きをして、
机で読書をするのは初めてでした。
これが良い。
静かで。
部屋で読む時は、
他のこともできてしまうので、
本に集中できない時もあります。
でも、ここは本を読むだけの場所。
そして暖かいです。

調子に乗って、
児童図書館へ寄り、
宮澤賢治の絵本「風の又三郎」「よだかの星」も、
借りてきました。
読めなかったら、
まあいいや、
って思っています。
こたつの上には、
積ん読本、です。

夜、
おからを作りました。
人参をたくさん入れたので、
量が多くなり、
明日はカボチャが根菜のおかずですけれど、
明後日からは、
しばらくおからが続きます。
うー。


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小池昌代

2011年01月09日 | 読書
昨夜、洗濯などを済ませて、
9時からミスドに行って、
本を読みました。
帰ってから、一冊読み終えました。
再読ですけれど、高橋源一郎著「「悪」と戦う」です。
やっぱり、面白いです。
一ヶ月、本が読めなかったので、
読み始めてしばらくすると、
言葉の中を泳いでいるような、
魚が海へ帰ったような、
そんな比喩を思い浮かべていました。

昼からは散歩をしながら、
スーパーで食材を買い、
八百屋に寄ると、
今日は野菜が高い。
だから、安い人参などを買って、
目的の野菜は一週間延ばすことにしました。

小池昌代の詩集を読んでいると、
詩人というのは、
凄い言葉を選択して使うのだ、
と思いました。
そして、詩集というのは、
厳選された言葉の集合ですから、
こんなに言葉が美味しい種類の、
本は他にありません。
小池昌代は初めて読んだけれど、
これがけっこう面白いです。
比べるのはいけないけれど、
最近慣れ親しんで読んでいた茨木のり子は、
詩の世界は強い一人ですけれど、
小池昌代は、
二人の世界です。
誰かとの関係性で、
成り立っている、
と思いました。
それの極みが、
エロティックになるのは、
当然で、
茨木のり子は人間を書くのに対して、
小池昌代は女性性を書く詩人です。
詩の中で、
「異性」という言葉が出てくるのだけれど、
この「異性」の遣い方が素晴らしい。
詩人の言葉は、
どうしても、
かっこいいです。

夕方、窓の外は、
曇り空でした。
午後5時のことです。
寒いのでカーテンをしてしまおうと思って、
窓をみました。
でも、
グレイの曇り空もなかなか良いので、
そのままにして、読書をしていると、
外は暗くなっていました。
5時半のことです。
陽が沈んだのです。
たった、30分の違いで、
空の色が変わりました。

源一郎の小説も詩的で、
「拝見」の姿勢の記述がありました。
目に映ることと、
見ることは違う、
と源一郎は小説の中で書いています。
小池昌代を重ねて読んでみると、
目に映ることと、
見ることの違いを、
知ることができます。

コメント (4)
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知りたくなかった

2010年11月07日 | 読書
日曜日は、
たいてい、
八百屋にゆきます。
たくさんの野菜や、
果物を買います。
カボチャに値札がなくて、
店員さんに訊くと、
「あ、すぐ切ろうか」
と、大きな包丁で、
カボチャを切ってくれます。
「あ、このままでいくら?」
と丸ごとのカボチャの値段を訊くと、
「ええっと、イチキュッパでいいや、本当はニッキュッパだけど」、
と彼は言いました。
常連は得です。
最近は、
朝のジュースにカボチャは欠かさないので、
助かります。
家に帰って、半分に切って、
細かく切って、
お皿に載せ、
ラップをかけて、
レンジでチン。
これでほぼ一週間分です。
大きなカボチャなので、
あと半分は来週の分。
最近、知ったのですけれど、
カボチャは中の綿に栄養があるとか。
種は、どこかの国ではお酒の、おつまみだとか。
どうせ、強力なジューサーで粉々にして、
飲むのだから、
今回は、綿も種も捨てずにレンジでチンです。
やっぱ、
野菜は食べられない部分はないのですね、
きっと。

八百屋へゆく前に、
北図書館へ寄って、
またたくさん借りてきました。
読んで欲しい、
と本が言う、っていうことはないけれど、
「これ!」
っていう感じがあります。
そんな本を、
欲張って、
6冊。
女子高生二人が、
嬌声を出していると、
職員が注意しました。
良い図書館だな、
と思いました。
以前は、
図書館というのは、
本当に、
しーん、としていて、
私語なんてとんでもなく、
そんなことをしようものなら、
「ここは図書館ですから」、
と職員がすぐに来て言いました。
静かな場所がどんどん失われていって、
車のクラクションなんて、
びくっとしますし、あれはとても浮「音です。
「静かな道を探して歩く」、
と言ったのは、いとうたかおさん。
本当に、そうです。
静かな道を探さないと、
僕らは騒音の中で、
おかしくなってしまいます。

内田樹著「寝ながら学べる構造主義」を、
読んでいると、
どうして構造主義を今まで学ぼうとしなかった理由が、
書かれてありました。
「知りたくなかったから」、
が内田さんの答。
凄い。その通りです。
僕は1985年あたり、
「優雅で感傷的な日本野球」(高橋源一郎著)を、
読み解くために、かなり勉強しました。
著者の作品をさかのぼって、
そこにあるのは、漫画、現代詩、思想、だったのです。
思想の中で、当然、構造主義に出てくる、
脱構築だとか、テクストという言い方だとか、
この用語、知ってる、
と内田樹の本を読んでいて思いました。
ところが、僕はその時、
思想哲学を、学びたくなかったのです。
たぶん、今でもそうです。
現代詩は面白いので、
今でも読みます。

内田樹の切り口は、
「知りたくなかったから」。
内容はともかく、
この人の切り口は凄いな、
と思いました。
体がしんどいので、
夕方の6時半に、
眠りました。
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