恥ずかしい話だけれども
それを見ていたから
普段優しい父親は豹変する鬼の顔になる
この目でそれを見た
恥ずかしい話だけれども
『鳥越城跡』
読ませていただきました
2022年2月24日
ロシアがウクライナに攻撃した日です
あれから約1年弱
新聞もテレビもネットニュースでも
記事は小さくなり
まったく何も起きていないが如く
わたしたちは暮らしています
今 戦争が起きている
これだけはいつも頭の片隅にあり
この作品はウクライナ戦争を描いた戦争文学です
今 映像や記事は二次的なものしかなく
それもフェイク(嘘)ニュースであるとか
動画にしても作られているものだとか
どれが本当なのかまったく判らない
そこで『体感』を希求する作者は
地元金沢の鳥越城跡に小説の舞台を求めました
観光地としての場所であると同時に
戦国時代に最後の砦として農民が
対抗した場所だそうです
ーーー
暴力と残虐性において
わたしはまず三島由紀夫を想起
『憂国』は切腹を描いた短編小説でした
作者が三島由紀夫を読んでいるか否かは問題ではなく
血を書く作家であることは間違いない
しかも暴力の場面は北野武の映画を想起するほどの
現実性があり
何故ここまで人間の残酷が冷静に書けるのかが
面白い
死体が転がる描写も存分にあり
この作家の戦争への強い問題意識が
確実に言葉として表現されています
ーーー
三島由紀夫が暴力を否定しなかったのと同じく
北野武も暴力を否定しないどころか
積極的に映画化するのは何故か
それが判るまでわたしはずいぶん時間がかかった
北野武が執拗に何故あそこまで暴力を描くのか
それが欧米で何故 評価されるのか
北野武は暴力を肯定しているわけではなく
生物の根源には必ず暴力が存在することを
知っていたからです
作者もまたドフトエフスキーから
人間の根源の悪を学び続けただろうことは
想像できます
現在は死体を隠し
残虐の場面はテレビでは流さず
インターネットで探せば
見ることができます
作中でも描かれているのは
常にわたしたちが加害者になりうる
それも簡単に
という恐ろしい事実への問いです
それでいいのか
と
それを制御するため抑制するため
社会がある
法律があり
宗教があり
道徳がある
社会生活は常に暴力を否定し続ける
おそらく社会というものが消滅したら
または自身の中に社会性が一瞬でも消えた時
人は人を殴り 蹴り 汚辱する
さらに増長してゆけば
人間の体はただの『物』であり
壊そうがどうしようが
勝手となる
そこにあるのは快楽です
さらに家族の目が見ている場所で
残虐行為が行われる
何故か
家族が苦しむのが楽しいからです
被害者の苦しみだけでは飽き足らず
二次的な残虐殺戮と汚辱が始まる
それがウクライナの戦地で起きている
「戦争は人を狂わせる」
とみんな言います
違う
狂ってはいない
極めて正常
たとえばわたしたちの社会から
法律がなくなったとする
するとたちどころに
金品を奪い汚辱し殺戮し連れ去る
それに飽きると第三者に
「やれ」と命令し
嫌がればその第三者も酷い目に合わされる
その心的苦しみを見るのが
人間しか持っていない
大脳の快楽です
「恐ろしい」
恐ろしいです
善悪など実はない
音楽家の灰野敬二は
おそらく吉増剛造から影響を受け
即興で言葉を舞台で発します
その中で印象的だったのは
「人間って本当はしちゃいけないことなんて何もないんじゃないか」
と呟いたことがあります
まったくもってその通り
わたしは納得した
「戦場は狂っている」
正論
けれどわたしたちだって
社会生活の『社会性の隙間』に
言葉の暴力と身体暴力と汚辱が山ほどある
隙間
あまり人には見えない
それが隙間という秘された場所だからです
作中
派出所内で警察官らが泥酔した男に
暴力を振るう場面があります
この現実感を作者はどこから突起してきたのか
それはまさしく作者の中の
見える暴力と見えぬ暴力行使体験以外からは
あり得ない
それは作者だけでは実はない
わたしも含め
「見える暴力も見えぬ暴力も振るってこなかった
一度もそんなことはしてこなかった」
と答えられる人がいれば
「本当ですか」
と質問したい
ーーー
この作品はわたしにとって
たくさんのことを考えさせる
切り口はいくつもあり
どの切り口からでも
論じることは可能です
---
85枚の短編小説です
作品としてみれば
幻想場面を何故
主人公の病気の為
と作者は書いてしまったか
わたしは読んでいて
「惜しい!」
と声が出た
幻想は幻想で良かったのではなかったか
幻想を見ることに意味を与えてしまった作者が
常に意味の追求を必要としているのは何故か
極めて論理的なのは
実は欧米人脳の特質であり
日本人脳であったら
幻想は当たり前に幻想として
扱える
ところが欧米の文化には
必ず感性を論理化する思想体系がある
答を出そうとする
そして答を出す
日本文化は
答えない文化です
その違いが顕著に出てしまった箇所であるのは
間違いない
欧米人脳は虫の鳴き声は
ただの雑音でしかなく
日本人脳というのは
虫の鳴く音に
美しさと
もののあわれを感じる脳である
小説的つじつま合わせならば
致し方ないとあきらめる
ーーー
もう一つはロシアが侵攻したのは
事実ではあるけれど
何故ロシアはウクライナに侵攻したのか
NATOとアメリカの責任は
今 メディアからすっかり消えている
普通に誰もが考えられることですけれど
武器を他国がウクライナに調達すればするほど
戦争は長くなり民間人も両国の兵士の死傷者も増える
地理的にアメリカ大陸が
極めて侵攻されにくい国土面積と場所にあることを
裏の戦争責任者の追求と経過に至った元の原因を
わたしたちは注意深く監視し続けねばならない
それが『自分という広報』の責務である
いまこそ一元的な『大本営』に騙されてはいけない
それが作家の仕事の一つです
ーーー
それにしても
強烈な面白さが噴出する小説であるのは間違いなく
構成的にも実に見事としか言いようがない
読後
「面白かった」
と声が出た
言い過ぎかと笑われるかもしれぬけれど
わたしは言いたい
2023年 日本の戦争文学とは何か
門倉まりのことである
写真は
名古屋市中区錦二丁目の寺院
『福生院』で見つけた
『木喰仏(もくじきぶつ)』
ーーー
夜
サイセイ氏と長電話
ブチャと
見知らぬたくさんの町で
起きている
虐殺
何故
人間はあんなことができるか
という問いを長く考えてきて
その答を
先日の草むしりと繋げ
サイセイ氏に話す
それは戦争だけの話ではなく
わたしたちの日常で起きていること
すべて
同じ理由で起きていることへの考慮
彼のツイートを見て
あれこれ長く話すは
戦争の話
虐殺の理由
人間のすること
『罪のゆるしのあお草』 ーー 大江健三郎
木喰さん
木喰さん
雨 寒し
ウクライナ戦争から
学ぶこと
何故
あんな虐殺ができるのかが
だんだん判ってきた
雨の中で
ずっと何日も考えてきた
今日も
答らしきものにたどり着いた
いずれ整理して
書きます
大事なことですから
戦争は教育だ
多岐にわたる様々な学問への思考をうながす
各学問は常に連関してゆく
ーーー
寒いので
帰ってからお風呂に入り
スープを作る
以前、ある方に質問されたことがあった
「なんで戦争になったの?」
その問いは童心の子の質問にひどく似ている雰囲気があった
わたしは答えた
答えねばならなかった
「いろいろあるんだろうね」
ごまかす
未だに何故ロシアがウクライナに侵攻したのかが判らない
侵攻という言い方はウクライナを始め
欧米の言い方です
たくさんの意見をネットやテレビや新聞はいう
それでもどれが本当なのか判らない
そこで歴史検証となると面倒くさい
当事者ではない以上
面倒くさい
そうなると
なるほど
と納得する文脈や声を拾い集めるしか他にない
「これこれこうだから、戦争になった」
と誰が正確により近いことを言い当てるだろう
そこで
作家の諏訪哲史氏が記事を書いていた
中日新聞です
一文が胸に宿った
「資本主義自体に侵略的な性格があります」
それはそうかもしれない
納得したので、記事をアップします
拡大して読んでみてください
ーーー
または
今は戦争の原因を考えることより
物理的に何かするべきだ
とも思う
あるウクライナ兵が言った
「世界中のみなさん、祈らないでください。胸の前に手を合わせ、祈らないでほしい。わたしたちが必要なのは武器だ。武器がいる。武器があれば戦争を早く終わらせることができる」
この発言は、信仰自体を否定されたも同じなので、さすがに気落ちした
祈ることも許されないのか、、、
けれど現在、大量の武器が各国からウクライナに調達されている
これは正しいことなのか
このパターンは以前、どこかであったはずだ
内戦に武器を調達する
ウクライナ戦争は内戦ではないけれど
武器を調達すること自体は同じで
戦争を拡大させる
これが正しいのか間違っているのか
わたしは童心の方に聞かれたら
判りやすく納得しやすいように、答えられない
主観しかない
それでいいのかもしれない
ただ考えるきっかけとして
諏訪哲史氏の記事は参考になる
または昨日Upしたアメリカ人の
「アメリカが世界中に迷惑をかけている」と自省する言葉と
「NATOが一番悪い」の意味の解釈
ウクライナ戦争への関わりかたは
人それぞれ
無関心の人がいていい
ーーー
たとえば誰かに殴られる
その時
頬に痛みが走って
初めて痛みがわかると同じく
皮膚感覚で戦争を知る時
戦後生まれのわたしたちは
想像がつかない激しい阿鼻叫喚の内側で
知る
「頼むから早く終わってほしい」
と実感以上の感情を込めて
「生きたい。死にたくない」
と祈り以上の感情を込めて
第二次世界大戦の世界中の民と
同じように
泣きわめき苦しみながら
「早く終われ」
とただ民は
そう思うに違いない
いつの時代でも
動画がアップできませんので残念ですけれど。
写真は2月24日の開戦から
二日後の2月26日、土曜日、栄ラシック西側での緊急抗議スタンディングと、
3月6日、日曜日、名古屋は栄のデモと集会の様子です。
3月6日のデモは500人ときいています。報道陣の数も凄く、ほぼすべてのテレビ局、新聞社、共同通信も来ていました。
テレビでは放映されないものがある。行って良かったと思うのは、以下のスピーチが聞けたことです。
印象的だったアメリカ人の方のスピーチを文字起ししました。
大事なことを言っていますので、是非、読んでください。
以下です。
「わたしの生まれ育ったアメリカが、ウクライナの人々にも、ロシアの人々にも、世界中の人々にご迷惑をかけていることに、本当に恥ずかしいと思います。えっと、もし核戦争になった場合は、世界中の人が、命、危険になりますね? だから、そして、ロシアは核持っています。アメリカも核持っています。まずそれを意識していただきたいです。あの、これは冗談じゃないですね。これは本当に第三次世界大戦がはじまりそうで。あの、ウクライナだけじゃなくて、ロシア、ヨーロッパ、それからもし中国も参加、戦うようになると日本にも移りますね。あの、暴力はどんどん増えます。なかなか止まることができない。よく言われますね、『はじめるのは簡単だけど、戦争はじめるのは簡単だけど、止めるのがたいへんです』。だからどんな政治的立場でも、あの、とにかく命、あの、我々人間の命、世界中の人間のみなさんの命、が大切ですね。一日も早くこの戦争を止めてもらいたいですね。私は『休戦』。『休戦』っていう、休戦が第一だと思います。アメリカはたくさんの戦争を起こしてしまいました。アフガニスタン、イラク、それからベトナム、もちろん、たくさんの戦争を、もうこの半世紀くらいで、2000万人がアメリカの戦争のせいで亡くなりました。あの、あの、えーっと、アメリカの政府の手に血だらけ。たくさんの戦争の血液? 血が手についてます。そのアメリカと、あの、アメリカの政府と協力しないでください。あの、アメリカ人とは協力していただきたいですけれど、あの、わたしとは協力していただきたいですが、アメリカの政府と協力しないでください。あの、第一、悪いのはNATOだと思います。N・A・T・Oが悪いと思います。そして勿論、ロシア。ロシアも悪いです。もうとんでもないこと起こってます。あの、平和。あのとにかく平和のために、暴力を、すべての国家の暴力をやめなさい、と大きな声で言いましょう。よろしくお願いいたします」