kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

農村生活博物館

2010年10月31日 | 生活
疲労困憊で、
昨夜も早くに寝て、
今朝は早く起きようと思っていたけれど、
寝てしまって、
7時に起きました。
11時間睡眠!

今日は休みだし、
絶対、嫌なことはするもんか、
と決めて、
食材を買いに行って、
コロッケを食べて、
また眠りました。
起きた時は、
外で雨です。

何か気分がくしゃくしゃするので、
えい、と思って、
県図書に傘をさして、
自転車でゆきました。
こないだ、
区図書館で、
借りてあるのに、
です。
もうビョーキです。
で、
区にはなかった本を目当てに、
いろいろ借りました。
カウンターで借り終えた時は、
気持ちがシャンとしているのだから、
変です。

帰ってから、
犬塚康博さんの文献が載っている本を、
三冊、
「満州とは何だったのか」、
「文学史を読みかえる3」、
「~4」、
を読みました。
犬塚さんの記述の部分だけですけれど。
3冊全部、博物館学のお話で、
藤山一雄さんという方の、
名前が出てきます。
どれも僕には難しい内容で、
何度も戻って、
読み直していました。
2割ぐらいは判ったんじゃないかな、
と思います。
面白かったのは、
「満州とは何だったのか」の中で、
1937年に大阪の電気科学館は、
一階を「電気器具百貨店」にしてしまったこと。
これは笑ってしまいました。
ならば、ライブハウスなどは、
一階が楽器屋、
二階がライブハウスというふうに、
想像していたら、
そういえば以前、植田の「わんわん」(ヤマハ)が、
そうだった、と思いました。
こんなふうに、
文化と産業が合体するのは、
楽しいなあ、
と思いました。

僕は読んでいて、
うわー、来るなあー、
って思った文章があり、
引用させてもらいます。


「「農村生活博物館」とは、
 藤山一雄と満州の自然・人文環境とが出逢って初めて可能な構想であった。
 つまり、いつでもどこでも成立する、
 あるいは成立させることのできるスタンダードではなく、
 その時空を措いてほかには成り立つことのない、
 あるいは力ではたどり着くことのできない博物館であったと記憶されてよい。」

です。(文学史を読みかえる3「農村生活博物館」と「小博物館」より)
僕はこの文に犬塚さんの、
声を聴いたような気がして、
注目していると、
あ、
もしかしたら、
犬塚さんの「農村生活博物館」とは、
美しい曲に出てくる、
「志段味」が、
その場所になるのだろうか、
と思いました。

あなたの肩

2010年10月30日 | 生活
今日は台風が来るというので、
気温も下がるだろうと、
ャbトにお茶ではなく、
ショウガ湯を入れて、
出かけました。
朝は雨が降っていたし、
台風だから、
自転車はよして、
地下鉄でゆきました。
すると、
天気は、
雨も降らず、
風も吹かず、
ずっとグレイの空。
夕方には、雲の切れ間に、
青い空まででました。
天気予報は当たらないなあ、
ってみんな思いました。

昨夜は湯たんぽをして、
毛布を一枚余分にかけ、
一昨日、体が冷えてしまったので、
体を温める食材を選んで、
これでもか、と思うほど、
温めました。
もちろん、お風呂もゆっくり入って。
すると、
今朝、すっかり体調が良くなっていて、
回復していて、
あー、うれしい、
って思いました。
だから、
今日は回復して気分も良いし、
体も調子が良くて、さらに良い感じです。

黄色い点字ブロックの道を、
見ていました。
そしてそのことを忘れていた時、
盲人が現れました。
黄色い点字ブロックとともに、
盲人のことも思っていたのかもしれません。
ちょっとびっくりして、
寄って、
腕をどうぞ、
と言うと、
「じゃあ肩に」
と盲人は言いました。
横断歩道を渡る手前、
「どこまで行くのですか」
と訊くと、
「渡って、左へ」
と彼は言いました。
横断歩道を渡りながら、
「今日は台風だっていうのに、天気予報は当たりませんね」
と言うと、
「台風は逸れました」
と彼は言いました。
車はひどく丁寧に、
停車していました。
おじいさんやおばあさんが渡る時でも、
こんなふうに停まってくれるのだろうか、
と横断歩道の前で、
フリーズしている老人の姿を、
後付で思います。
横断歩道を渡り、
「ここで良いです」、
と彼は言い、
左へ、
つまりは北へ、
彼は向かいました。

僕はどの労働場に行っても、
すぐに盲人に出会います。
それはもう数限りなく、
です。
その都度、
寄ってゆきます。
たかが数分、
いや数十秒、
肩や腕を貸す、
それだけのことを、
僕はします。
「えらいね」
とその都度、誰それに言われます。
違う、とその都度思います。
僕はたぶん、
前の世で、
目が見えなかったと、
思えてなりません。
だから、
目が見えない人には、
ハートの針が異常に振れます。
きっと以前、
僕は誰かの、
腕や手を、
貸してもらったんじゃないかな、
と思います。
もしかしたら、
背負ってもらい、
川を渡ったかもしれないし、
荷台に乗せてもらい、
山を越えたかもしれません。
そして、
今日みたいに、
どっちが助かっているのか、
というと、
こっちが助かっているのです。
それは、
僕の肩にあった、
彼の右手の、
温度。

陽の場所

2010年10月29日 | 生活
清々しい川辺にゆきました。
水面に、ひょっこりと、
亀が姿を現して、
そして潜りました。
今日は晴れて、
昨日の寒さが嘘のようです。
この場所は、陰陽でいったら、
陽です。
だから気分も体も、
楽で、
気持ちが良いです。
良い場所か悪い場所かは、
理屈じゃなくて、
体が知らせてくれます。

気温差で、
ちょっと体調が良くないので、
温かくして眠りました。

○を探す

2010年10月28日 | 生活
今日はあまり寒かったので、
大変でした。
最高気温が10度ぐらい下がって、
12度とか。
この気温差は体に堪えます。
弁当に体を温める根菜の筑前煮と、
生姜入りのみそ汁を持っていったのは、
正解です。
これでナントカなった。
お昼休みは、
運動でもして体を温めてみようと思い、
労働場辺りを、散歩してみました。
ここら辺は、山でした。
Hさんは、30年前、西から東に向かって、
バイクを走らせていたのですけれど、
獣道だったそうで、行き止まりになっていたそうです。
5年ほど前まで、
山だった所は、
ビルが建ち、
道路ができ、
池が埋められ、
図書館ができました。
街になったのです。
その新しい街を、
僕は歩いてみました。
山であった、
ということを、
思いながら。

午後から「ザ・ウェイト」や「パフ」、
を胸で歌いました。
雨宿りをしながら、
まわりを見ていると、
タイヤが8つありました。
つまり車が4台並んでいました。
8つのタイヤを見ていると、
丸い。
当たり前ですけれど、
丸いということが、
不思議で、
車というものは、
この丸いタイヤが回って前に進んでいるんだ、
と思いました。
小さい時に読んだ、
マンモスの時代の漫画の中で、
石か木でできた、
車輪が描かれてありました。
マンモスの肉を運搬する、
原始人を、ユーモラスに描いた漫画です。
きっと、ごろごろ、
という音がしたでしょう。
マンモスの時から、
車輪は現在まで、
この丸で、
できているんだ、
と思うと、
やっぱり不思議でした。

他に丸いものは、
ないかな、
と思って、
見てみると、
あるわあるわ、
まわりは、
丸だらけ。
それからずっと丸を探していました。
丸いという形は、
凄いなあ、
と本気で僕は思っていました。


CAROL

2010年10月27日 | 生活
昨日、胸で矢沢永吉を鳴らしていて、
よく聴いた「スターインヒビヤ」という、
ライブアルバムをまた聴いてみたいな、
と思っていました。
高校生の時、
キャロルの時の、
ドキュメンタリーフィルムを見に行ったことや、
ジョニー大倉のことなどを、
思い出していました。
キャロルの解散コンサートなんて、
僕は深夜のテレビで、
見ていました。
ステージ炎上は、演出だとばかり思っていたけれど、
本当に火事だったとは知りませんでした。

帰ってから、「スターインヒビヤ」の時の、
メンバーは誰だったのかを、
調べていたら、
ネットですね、
映像が出てきました。
当時は音源だけで、
まさか画像が見られるなんて、
と、ちょっと興奮して、
「スターインヒビヤ」を、
見ました。

キャロルの映像も見ました。
皮ジャンのアイディアは、
ジョニー大倉だったそうです。
内海さんがとても良かったです。
今はニューロティックな滅茶苦茶さは、
たくさんありますけれど、
キャロルや矢沢永吉の若い時のような、
暴力的な滅茶苦茶さは、
あまりないな、
と思います。
ライブのボディガードなんて、
警察ではなく、
彼らの取り巻きが、
やっていたのが良かったです。
ああいう暴力的な緊張感は、
ロックのコンサートでは、
もうなくなりました。
キャロルのドキュメンタリーフィルムを、
名古屋市公会堂だったかな、
見に行った時も、
会場のあちらこちらで、
小さなどつきあいがあって、
みんな革ジャン!でしたし、
リーゼントで、
煙草の煙が会場に立ち上って、
吸い殻を床でもみ消す、
スクリーンでは、
ファンキーモンキーベイビー、
そんな時代でした。
あのいかがわしさは、
どこにいってしまったのでしょう。

---

休日ですけれど、
用事が多いです。
図書館へ一日遅れて本を返し、
別の図書館へ行って、
構造主義の本や、
内田樹、
折口信夫の簡単本を、
借りてきました。
たまには、
こうして背伸びして、
読めもしないのに、
借りたくなる時があります。

草原を歩む

2010年10月26日 | 生活


朝、
地下鉄に乗りました。
僕は先頭車両に乗って、
暗い先を、運転手と同じように、
見ていました。
疲れていたので、
このまま熊野にゆきたいなあ、
と思って、
このレールは名古屋港まで続いているのだから、
まず海までこのまま電車は走っていって、
それから太平洋を船で行けば、
熊野にゆける、
などと思っていたら、
乗り継ぎの駅に着いたので、
乗り継ぎました。

鶴舞線に乗って、
座って、前の人達を見ていると、
この人たちの物語はどんなだろう、
と思いました。
劇的ではないにせよ、
一見、普通に見えても、
普通なんてあり得ません。
誰もが、
一人残らず、
その人だけの大きな物語を、
持っていると思います。
「わたしは10の事を1にして考えてきた」
と友人が言いました。
「でも、小久保さんは10のことを100にして考える」、
と友人は言いました。
普通のことでも、
僕は普通のままにはできません。
大きな物語にしたくてしょうがない。
その根は、きっとロマン、夢見る、
ことだと思います。

Hさんと、久しぶりにお会いできました。
ずっとお会いしたかったので、
うれしかったです。
Hさんは小さな声でしゃべり、
大きな存在感がある人で、
僕には最初から尊敬に似た感情があります。
Hさんの話術は見事で、
その間は落語家のようで、
びっくりしました。
雰囲気のある人って、
魅力的です。

写真は、緑区の大きな池の西側にある公園です。
草原を歩いていると、草の種がズボンや靴下、
靴ひもにひっついて、その繁殖の頭の良さに、
感心しても、取るのが大変でした。
蚊もまだ旺盛な活動をして、
2カ所刺されました。
それでも、
草原の中は良いです。

3時ぐらいから、
ずうぶん寒くなりました。
もう秋ではないですね。

窓辺にて

2010年10月25日 | 生活



今日は築40年ぐらいの家屋に、
いました。
カビ臭くて、
懐かしい気分です。
窓を開けると、
壁にツタが伸びていて、
手摺りの色は、濃い茶色です。
こんなふうに、
型をくり抜いた手摺りを見て、
ああ、懐かしいなあ、
と思いました。
トタンの家屋は、
今はあまりないけれど、
壁は、確か藁を混ぜた土壁で、
その外側に柵状の窒\り、トタンだったと思います。
40年前の家屋は、
こんなふうだったのじゃないでしょうか。
その時は、トタンが当たり前でしたけれど、
今では工法が違っています。
手摺りは機能的になり、
こんな型をくり抜いたりする風習は、
なくなりました。

ツタが這った壁は、
ヨーロッパ風な、
イメージを、
思い起こしました。
澁澤龍彦を思い、
福永武彦の風貌を思い出し、
三島由紀夫のことを考えていました。

誰か一人の作家を、
丹念に調べて、
そこを中心に、
徹底的にやって、
周縁を食べてゆく、
そんな感じで、
中心は年月とともに、
当然、ずれてゆきます。
文学以外のことも、
文学が全部取り込んでゆく、
文学は、台風みたいです。
何でもかんでも、
巻き込んで、
どこかにゆきます。

空はグレイで、
午後から雨が降りました。


雨宿り

2010年10月24日 | 生活
昨夜、眠くて、
書き忘れてしまったメモを、
記しておきます。

10月23日(土)
南北に並木の柳があります。
その細い枝が、
風で揺れています。
音はしません。
枝や葉が揺れることで、
風のゆくえが判ります。
風は無色透明ですから、
枝や葉や雲、皮膚を通じてしか、
そのゆくえは判りません。

陽光。
黄色い蝶が飛んでいるのを、
午前中に見ました。
まだら模様の蝶が飛んでいるのを、
昼下がりに見ました。
川に魚が跳ねて、
その白い腹を見せました。
水の輪ができ、
ほどなく平静に戻りました。
こんなことを、
手帳にボールペンで書いていると、
手指の影が手帳の棒線の上で、
動いています。
面白かったので、
その影を見ていました。

そして今日は、
日曜日ですけれど、
労働にゆきました。
空はくもっています。
胸にあるジュークボックスのボタンを押して、
今日は、また犬塚康博さんの歌、
「タイムマシーン」を胸で鳴らしていました。
歌詞はまだ断片しか憶えていないので、
メロディーだけです。
トゥルル、、とハミングで歌う箇所が鳴り出すと、
気分が軽やかになってきて、
楽しい気分になります。
労働も楽しくなります。
歌の力というのは、
本当に凄いと思います。

昼に、オジがわざわざ来てくれて、
奥さんの実家から送られてきて、
たくさんあるから、
と、
柿、みかん、リンゴ、名前が判らない果物を、
袋いっぱいもらいました。
果物は大好きなので、
うれしいです。
オジ夫妻には、
いつもこんなふうに、
お世話になってばかりです。

先日、
養老孟司がネット(電子ブック)について話していて、
とても面白かったです。
養老先生は、
「身体性」という言葉を、
何度も使っていて、
ネットはすでに情報化されたものだから、
動物である人間は、
まず第一情報を大事にしなくてはならない、
とのことでした。
本も、
情報化されたものだけれど、
ページをめくることは、
身体性である、
という主獅フことを言っていました。
武道をやっている内田樹さんの身体性のことも、
少し話していて、面白かったです。
こんなことを書いているだけで、
わくわくしてきます。
ああ、勉強がしたい。

第一情報とは、外に出て、
自然や人の動きなどを見ることだと思います。
「自然」とは養老先生は、
一言も言ってはいないのだけれど、
僕のように、
乱暴な言い方をしないのが、
かっこよかったです。
「進化」というふうに誰かが言ったら、
「それは進化ではない、適応だ」
と養老先生は、
すぐに訂正しました。
「進化というのは、もっと長い時間をかけて行われるもの」、
とも言っていました。
こういう正確な言葉遣いに、
ハッとしました。
僕らは、
かなりいい加減な、
適当な言葉遣いを、
しているはずです。
ちょっと反省です、これは。
第一情報を、
「自然」とは言わなかったです。

養老先生は、
学生に一日、
10分間でもいいから、
自然のものを見ろ、
と言っていたらしいです。
そのことを、
ずっと僕は忘れないでいます。

午後3時半に、
雨が本降りになってきました。
ありがたいことに、
イチョウの木があって、
その下の路面は濡れていません。
僕は、
イチョウの木の下にいて、
雨宿りをしました。
カッパを着ていましたけれど、
濡れないに超したことはありません。
イチョウの木に、
すいません、お世話になります、
と小さな声で言いました。
イチョウの葉は、黄緑色で、
きれいです。
他の木だと、葉が少なくて、
雨が通り抜けてしまうのだけれど、
イチョウの木は、
大丈夫です。
たくさんの葉っぱが、
雨を受けてくれました。


小説への愛情

2010年10月23日 | 生活
昨日、
Nさんが、新聞の文券癜]への、
批評をしました。
「文券癜]って、難しいですね。何が書いてあるのか、判りません」
とNさんは言いました。
僕はもっともだと言いました。
どうして、
文券癜]は、
あんなにも難しく書かなければいけないのか、
僕にもさっぱり判りません。
淀川長治みたいに、
映画が好きでしょうがない人のように、
小説が好きでしょうがない、
そういう心持ちが、
あらわれる批評だったら、
僕は読みたいと思っています。
小説への愛情は、
はっきり言葉に、
あらわれます。

帰ってから、
やっと読書ができました。
村上春樹著「うさぎおいしーフランス人」。
よくこんなにくだらない本を出すものだ、
ともう阿呆くさくて、
馬鹿らしくて、
あまりにくだらなくて、
かなり笑いました。
それにしても、
いちいちのタイトルが、
村上春樹さんって、
良いです。
著者も書いていますけれど、
これだけくだらないものを書かないと、
やってられない、
というのも、
ファンとしては、
判る気がします。
それにしても、
水丸さんの絵が、
笑えます。


パフ

2010年10月22日 | 生活
くもり、はれ

オジから、
おにぎりと、
コーヒーを頂きました。
いつもありがとうございます。

今朝、
不思議な夢を見ました。
どこか、
海外のオープンカフェみたいなところで、
僕はテーブルに座って、
コーヒーでも飲みながら、
ギターを弾いて、
PPMの「パフ」を小さな声で、
歌っていたら、
どこぞの外国人の女性が、
こころを込めて、
「パフ」を歌い出しました。
すると、
まわりの人々も、
一緒に歌ってみたりして、
全員が「パフ」を歌っているような、
そんなふうに、
空気が変わって、
オープンカフェは、
穏やかで、美しい空間になり、
音楽に包まれました。
こんな素敵な夢は、
久しぶりです。

昼休み、
オジと弁当を持って、
公園で食べました。
僕は眠くて、
横になって眠りました。
目を閉じて、
街の音を聞いていました。
それは、
自動車の走る音や、
エンジンの音、
それがビルに反響して、
ゴオオーっと鳴る音です。

帰ってから、
洗濯をして、
眠りました。

夜業

2010年10月21日 | 生活
今日は日中の労働に加え、
何年ぶりかで、
夜業をしました。
日中の方で残業になり、
場所が変わって、
そのまま夜業に突入です。
すぐに終わりましたけれど、
まさしく朝から晩まで労働をしました。
昨夜、たまたま12時間、
眠っておいて良かったです。

12時間睡眠

2010年10月20日 | 生活
くもり、ときどき小雨、そして晴れ。

オジから朝はコーヒー、
昼はちらしご飯、
夕方は、
サンドウィッチをご馳走になりました。
ちらしご飯がおいしくて、
僕の弁当に加えて食べたので、
おなかがいっぱいになりました。
たまには、
人が作ったご飯を食べるのも、
おいしい気持ちになります。

電子書籍の話になって、
僕のように、
本が出せない者も、
電子書籍化が進めば、
簡単に、誰でも、
売れる売れないはともかく、
商品化できる日が、
判らないけれど、
来るのかもしれません。
ちょっと期待したいです。
個人が出版できる時代、
それはきっと良いことです。
どんな仕組みになってゆくのか、
過渡期でしょうけれど、
楽しみ反面、
僕自身は、
本は紙で読みたいのですけれども。。

帰ってから、
寝唐オて、
12時間眠りました。


気温差

2010年10月19日 | 生活
今日は曇っていました。
それでも暑いです。

三重県の山だらけの道を、
バスでゆく、
そんなことを、
僕は想像しました。
きっと素敵です。

昼過ぎから、
寒くなってきて、
オジに防寒グッズを、
借りました。
首に巻くと、
すぐに温かくなりました。

帰ってから、
たくさんのカボチャを、
レンジで、
加熱しました。

小鳥の声

2010年10月18日 | 生活
折口信夫、という名前に惹かれて、
昨日、新聞の書評欄を読みました。
書評者は、安藤礼二という人です。
紹介されている本は、
折口信夫著「『死者の書』ほか」、
で、南方熊楠、鈴木大拙、柳田国男といった、
名前が出てきます。
きっと難しく書いてあるんだろうな、
と思って読み始めてみると、
この著者の書評の平明な文に、
うれしくなりました。
どれだけでも難しく書ける内容なのに、
僕にも解りやすくて、
しかも読んでいて気持ち良い。
この安藤礼二さんという方の、
文体がしっくりして、
きっと、
文体にも好みがあるのだろうな、
と思いました。
折口信夫なんて難しそうですけれど、
安藤礼二さんの著書ならば、
読みたいと思いました。

ーーー

20歳ぐらいの時、
カトマンズからャJラへゆくバスの中で、
二人のネパール人の娘が、
歌を歌っていました。
彼女たちは、
記憶は曖昧ですけれど、
手を握り合って、
座席で隣どうしで、
歌っていました。
どうしてかというと、
バスは山道をくねくねと曲がって、
ガードレールもない道を、
スピードをあげて走ってゆき、
バス酔い予防のため、
彼女たちは歌っていたのです。

バスの屋根には、
客の荷物が縄で縛り付けてあります。
僕と友人のバックパックも、
屋根の上です。

彼女たちの歌は、
小さな声で、
ずっと道中、
歌われていました。
僕ら以外のネパール人の乗客は、
特に彼女たちに注意は払いませんでした。
僕はその3拍子の歌を、
すっかり憶えてしまい、
日本に帰ってから、
歌詞をつけてみようとしましたけれど、
あんな歌は彼女たちにしか歌えません。
素朴で良い歌と声でした。
歌っていうのは、
生活の中で、
歌われているのです。
今でも、
そのメロディは口ずさむことができます。

歌って何だろう、
って、
考えていたら、
そんなことを、
今日、陽光の中で、
思い出しました。

---

小鳥の声が、
聞こえていました。
たぶん、
つがいだろうと思います。

暑くもなく、
寒くもなく、
公園のベンチで休んでいると、
蚊に刺されます。

犬塚康博さんの、
「天気予報は明日の晴れをふるさとに告げる」、
という歌が良くて、
胸で歌っていました。
あと、
昨夜、耳で拾ってワープロで打っていた歌詞、
「ビックスカイ」。
これは、中川五郎さんが歌っているのですけれど、
原曲はルーリードです。
訳詞で、蒼穹という言葉が出てきて、
蒼穹と中川五郎さんは歌っています。
はて、英語ではどんなふうなのだろう、
と思うのですけど、
蒼穹なんていう訳が、
洒落ています。
この歌は、
以前、「五つの赤い風船」のコンサートの、
テレビ番組で、
ゲストの中川五郎さんが歌っていて、
すぐに胸で響いた歌です。
その時も、
録画したものを、
耳で聴いて、
歌詞を書き写したのですけれど、
紛失したので、
昨日、改めて書き写しました。

---

公園のベンチで、
「台風が来てないね」、
と、
Kさんが言いました。
僕らは気象の話をしていました。
「最近、人は「待つ」ということがないね」、
とKさんは言いました。
「そうだね」
と僕は言いました。
僕らは、
人間が作った物以外のものを、
探してみました、見ました。
Kさんは、
たくさん歩く人です。



歌詞ファイル

2010年10月17日 | 生活
昨日、
労働からの帰り道、
100円ショップに寄って、
B5のファイルを買いました。
というのは、
こないだ路上で歌った時、
歌詞を憶えていなくて、
途中で歌えなかった歌が、
何曲もあったからです。

それで、
帰ってから、
家事を済ませて、
熱中して、
明け方まで、
歌いたい歌詞を、
書き写して、
プリントダウンをしていました。
歌いたい歌が、
たくさんありすぎて、
片っ端から、書き写したり、
音源をイヤホーンで聴きながら、
メ[ズボタンを幾度も押して、
歌詞を書き写し、
何十曲もの、
歌詞のファイルを作りました。
過分には気をつけないと、
と思ってはいるのですけれど。

以前、僕はノートに歌詞を書いていたのですけれど、
どこかでなくしてしまい、
その後、広告の裏に気に入った歌は、
歌詞とコードを書いて、
溜めていたのですけれど、
それも、数年前に、
紛失してしまいました。
残ってるのは、
10曲ほどだけです。
ですから、
昨夜、かなりたくさんの、
歌詞のファイルを作れたので、
また歌いにゆけます。
コードは、
歌を覚えているので、
適当につけてみれば、
ナントカなるでしょう。
もう歌いたくて、
昨夜から、
そわそわしています。
人の歌詞を書いていると、
自分でまた作ればいいのか、
とも思いました。
にしても、
耳で聴いていた歌詞と、
文字にした時の歌詞は、
違います。
全体は、
こんなことを、
歌っていたのか、
と驚きです。
更に、
自分の手で、
書き写すことによって、
もっとちゃんと、
言葉が僕自身に、
書き付けられてくるような、
そんな気分になります。
誰かの言葉を、
コピペではなくて、
時間をかけて、
書き写すことは、
大切だな、
と思いました。
ゆっくりした曲は、
聴きながら、
タイピングしていけたけれど、
たいていは途中で、ミスタッチして、
Iチューンを一時停止して、
少し戻してまた聴きました。
ミスタッチなしで、
正確な漢字変換がしばらく続けてできたときは、
やったー、
って思います。
それにしても、
シンガーソングライターの歌詞というのは、
もう文学です。
これは本当です。
こういう素敵な歌詞は、
ぜったい、僕自身の口から、
歌ってみたい、
とマジで思います。
なんたって、
文学を歌えるわけですから、
朗読なんかより、
ずっと素敵で、
色っぽいです。

お昼から、
八百屋に行って、
人参と南瓜を買いました。
合わせて160円。
それもちゃんとした野菜です。
最近は、
野菜の高騰で、
形の悪いものや、
傷がある野菜を、
安く売るスーパーがあるそうな。
ちゃんと考えてみれば、
どうして形が悪い野菜や、
傷がついた野菜は、
商品価値がないのか、
変です。
「野菜は全部分が、食べられるんだよ」
とお寺の家に生まれた旧友の言葉が、
今でも僕の中に、
残っています。
キュウリは本来、
曲がっているもの、
ということを、
僕らはいつのまにか、
忘れてしまっています。