宮沢賢治は
機会を得て
水野俊夫氏の作品
『父母の肖像』を読ませていただいた
数ページ読んだ時
いわゆる『笑いのツボ』に入り
50枚の作品最後まで
抱腹絶倒
声を出して笑った
これは第一部であり
第二部、第三部と300枚の大作
第二部の冒頭の一行を読んだだけで
笑えてくる
内容は実に悲壮的であり
土地争いのドロドロの内容で
普通なら怒りと憎しみ
わびしさや哀れと
負の感情が渦巻く内容なのだけれど
どこにも悲壮感がない
内容はドロドロでも
語り部が確かに知的であり
冷静沈着
そのギャップの面白さ
どこかにあったと思ったら
漱石を想起
元々作者が漱石を好んでいることは
承知していたけれど
ここまで好きだとは知らず
油断大敵
いろんな家族の惨事があるのだけれど
そこさえ作者は知ってか知らずか
漱石の文体が体に入っていて
淡々としている
いやむしろ
飄々としていると言った方が正しい
だからとて語り部の作者が冷徹であるとも
いえず
作家としての
ほどほどの情があるのだし
怒りもするし感情的になったりもする
けれど根本には冷静に人間の所作を見る目がある
人間の欲に絡んで
いろんな登場人物が名古屋弁で
いろんなことを言い
叫び
行動するのだけれど
それを定点観測船の如く
見事に数値化するとまではいわないけれど
極めて知的な処理をする文体である
時代設定が昭和なので
これは漱石の弟子である内田百閒に続く
さながら昭和の内田百閒に続く水野俊夫といってもいい
淡々としたユーモア
この笑いの落とし方は落語そのものであるし
漱石もまた落語が好きだったと作者から聞いた
さらに漱石の妻の鏡子は悪妻であり
漱石がノイローゼになった時
ユーモアを込めて言った
「主人は頭が悪いのです」
水野俊夫氏の言葉は
上品な日本語文化の賜であり
わたしような下品な笑いではない
うらやましい限りです
今までこの文体に注目する読者に
恵まれなかった作者こそが悲壮
手前味噌ですけれど
わたしは文芸評論を
ある一定水準はできるという自負があります
ここまで笑える小説を読んだのは
何年ぶりだろう
判りやすい笑いの箇所は誰でも判る
ところが地味な笑いの箇所が随所にあり
そのたびに
「ある方はバスの中で本作を読み
笑いを堪えるのがたいへんだった」
と作者から聞いた
その方は国語の先生らしく
文ということを判ってる方であろう
何が書かれてあるかより
どう書かれてあるか
これは中上健次でも大江健三郎でも高橋源一郎でも
三島由紀夫でもみな同じ
極めて大事なのは
文体である
嫌というほど「文体、文体」と
わたしは言い続けてきた
けれど
文体には好みがあり
好き嫌いはどうしようもない
わたしはこの作品がひどく面白い
30年しか書いていないわたしが
作者のようなキャリアをもった方の
文の色合いに触れた時
文芸の本当の面白さを
堪能するしか他にない
以前 ある友達夫婦の家で
人形劇で知り合った仲間が
2年に1度くらい
集まりがあった
呼んでもらうたびにギターを持参した
友達の酒井妙子氏はバイオリンが少し弾けて
この曲のメロディーを
ギターとバイオリンで合奏した時のこと
3人いた友達夫婦の小さな子供達
騒ぎ 駆け回り 声を出して 笑っていた
ところが
この曲を合奏し始めたとたん
子供達がギターとバイオリンの
真ん前に集まってきて
真顔で聞いている
はて? これは一体何事だ?
と今でも思う
この曲が持つ魅力に
子供達は生まれる前のことを
思い出し 懐かしさを覚えていたのかもしれない
それともジブリで有名になったからかも
未だにあの時の
異様な彼らの反応が
忘れられない
ーーー
今日 機会があって聞いてみた
その時には判らなかったことが
今 豊穣な歌詞を前にして
判ったような気になっています
ーーー
『いつも何度でも』いつも何度でも/いのちの名前 - Wikipedia
作詞 覚和歌子
作曲 木村弓
☆下記に歌詞を貼っておきました
『いつも何度でも』
先日リアルタイムで
ラジオを聞いていた
『高橋源一郎 空飛ぶ教室「戦争の向こう側」』
ーーー
ゲストは
小説家の奥泉光氏
詩人の伊藤比呂美氏
ーーー
戦争と文学がどう関わってきたのか
がテーマ
一部も二部もめちゃくちゃ面白かったです
『散華という言葉を取り返す』
あたりの話は素敵
さすが一流たちは違うわ
文学が好きな人は
たまらん
って感じじゃないかな
母は1933年昭和8年生まれです
終戦は1945年昭和20年です
母が12歳で終戦をむかえました
実家は愛知県海部郡蟹江町です
長屋で6人兄弟の次女です
姉と弟が二人妹が二人
学校は名古屋まで出てきていました
通学は国鉄(現JR)関西線蟹江駅から名古屋駅まで
国鉄はいつ空襲にあうか判らないので
怖かったそうです
実家に帰ると
空襲警報が鳴ったといいます
B29が編隊できて
上空を通り過ぎるころは大丈夫だといいます
危ないのは戦闘機の前方で
水の張られた田んぼに
ピシュンピシュンと弾が撃たれたといいます
終戦末期の1945年昭和20年6月9日午前9時30分
名古屋市熱田区の愛知時計に空襲があったといいます
「たくさん死んだ。空襲警報が鳴って、みんな避難して空襲警報がね、解除になってまた工場に戻ったら、バババーンとやられた。蟹江からもたくさん行ってるから、『誰々さんちの誰々は大丈夫か!!』って声があって。学徒動員でね。2000人死んだ。愛知時計って時限爆弾の部品を作ってたから。大隈鉄鋼とか三菱重工とか狙われた」
「戦争が終わってもサツマイモしか食べてないから」
と母は笑う
いつも腹をへらしていたという
「戻ってくるでしょ? 兵隊が。それでね、まだ18歳ぐらいだったろうね、男の子がねえ、『何で自分だけ生きて帰ってきたんだ?』って悩んで、蟹江の駅前の電話ボックスで首をくくって死んだのよ」
今年89歳の母の世代に戦争の話を聞く
母の麻雀友達はみんな憲法九条を守るという人ばかり
「九条組ね」
母は言う
「時代が変わったんだから、変えてもいいと思う」
とも母は言う
それ以上聞くと、
「暗い話はもういい」
と遮られる
「これを読むといいよ」
と重ねる
それは大岡昇平の『野火』『レイテ戦記』であったり。
母は文学を通じて、追体験してきたはずです
それをわたしたちの世代に読むといい
と言う
戦争文学というものが何であるか
または戦争賛歌をした志賀直哉の
自省の独居の建屋を見たこと
ーーー
戦争に限らず
何かのことをわたしが話すと
「そんなに簡単に言っていいの?」
と若いわたしはよく言われた
母は肝心なことは口にしない
いつもどうでもいいことは口にする
肝心なことはたいていシリアスで
思考途中のことも多いのだろう
そういうことにわたしを含めて
軽率な反応を誰かにされることが
我慢ならないのだと思う
わたしもだんだん
大事なことは
口にしないようになってきた
ーーー
国内外の旅行が大好きは母は
広島と沖縄と長崎には行かない
サイパンとかハワイとかたくさん死んだところは
観光で行くなどもってのほかだ、と言い切る
「そういう世代なの」
母は言う
明日は終戦記念日
母の麻雀友達も母と同じく90代前後
戦争の話を聞こう
わたしは九条を守る
だから
彼女たちに
明日、暇があったら
九条の話も聞きたい
彼女たちは
わたしが2月にウクライナ戦争が始まってすぐに
小さな、大きなデモに出かけ
LINEグループ(麻雀仲間のLINEグループを作ってほしいと頼まれ)で
短い文と写真を掲載したら
「わたしも行きたい」とすぐにリプがきた
90になる人たちが、そう言い切った。
ーーー
戦争の話を聞こう。
何故なら、その人しか知らない物語があるから。その細部を聞こう。
細部こそが、誰にも知られず、誰にも教えられず、ネットにもなく、
教科書にもちろん載っていないことだから。
『その人』をたくさん探して
聞くこと
その細部を書き留めること
脚色なく。
昨日はヤスオさんと労働
お久しぶりです
ヤスオさんは用紙に
いろいろ記入せねばならず
それをわたしは見ていた
字が凄いです
達筆というか
力強い字で驚きました
「ヤスオさん、字、上手だね」
と言っても
すぐに返事が来るわけではないのです
コカコーラ一本くらい飲み干せるほどの
時間を経て
「そうか?」とか「習っとったでよお」
とか
返ってくると思ったら
「うーん、ここってどう書くの?」
ときた
「あ、そこはかくかくしかじか」
「あっ、そうか」
何をやっても
何もしなくても
面白いヤスオさんです
昨日は
良い風と空
柱の陰にいて
息をひそめ
大西永昭氏の高橋源一郎試論で
引用されていた
1980年代の
高橋本人の言葉
『文章が敵』
凄いとしか言いようがない
簡単にいえば
散文が敵
新たな文学の誕生の時
旧態の文学を敵として
まず文章の破壊から
始まった高橋源一郎氏
まいった
凄い
ーーー
釈放された重信房子氏の言葉
「無辜(むこ)な人たちの命」(を奪ってしまったことへの反省)
「(今の)政治家がみんな同じ方向を向いている」ことへの認識と危機感
ーーー
公園で昼寝
外国の若者二人が歓談
言葉の意味が判らないから
音でしかなく音楽の如く
耳に来る
ーーー
スイカを持った男
南へ向かった
ネギを持った女
西へ向かった
蝶蝶が屋根を越えて北へ向かった
「てふてふ」と山頭火は
蝶の屋根越えを詠ったけれど
てふてふ
だとは思わなかった
無音だった
ーーー
風は西から吹く
ということは
雨近し
ーーー
朝は月光
出
脳内で
シナプスが盛ん
電気信号飛びまくり
ーーー
結局
誰に向けて
どこに向けて
書くのか
それを『本気で考えてこなかったのではなかったか』
だめだ
古井由吉も
折口信夫も
未読だ
今日は自作
『思いやり橋 前編』を含む
合評会がウイル愛知でありました
名古屋市内の図書館に
『じゅん文学』は
置いてあると思うので
是非探してみてください
文芸同人誌『じゅん文学 2021/12 No.107号』です
ーーー
合評会にゆくのは久しぶり
懐かしい人たちに会いました
楽しかった
二次会は栄『嘉門』で
創刊から約30年
もうすぐ終刊になります
『じゅん文学』がなかったら
わたしは小説を30年
書いてこなかったと思います
『思いやり橋』は二年前の2020年の9月に書いた作品で
日本でおそらく初めて本格的に
利他主義を書いた小説だと自負しています
長いので次号が後編になります
いずれ単行本にするかもしれません
この歌はユニコーンの「エコー」です
奥田民生の声圧も圧巻です
さらに表情がいい
メンバーも良い
ドラマ『重版出来!』の主題歌で
奥田民生が久しぶりに「ちゃんと作った曲」
らしいです
サウンドもメロディもリズムもすべて
かっこいい
でもどうしても
音楽の場合
歌詞があとになってしまう
実はこの歌詞
すごいんですわ
わかりますかみなさん?
これ、脳の中の記憶の歌なんです。
さらに、それは言葉でできているわけですね
現代詩の吉増剛造も真っ青
文学の高橋源一郎だって
ここまでャbプに
『言葉』のことは言えてません
奥田民生さん
アホなふりして
かなり読書家じゃない?
って思いますわ
とくに詩ですね
ここまでユーモアがあって
どんなふうにも読める詩
きっとドラマ『重版出来!』の主題歌の依頼が来て
出版社が本を作り
重版になる
という快挙までもってく
可能性と努力
それを奥田民生さん
思ったわけですね
すごく思った考えた想像したんですね
それで出てきた歌詞がこうです
割と昔から溜めといて
たまに読み返す 頭ん中
その言葉は 言葉には
エコーがついてる
目に留めた先の あの言葉
何か耳にした あの言葉
君のくれた言葉にも エコーがついてた
俺は持っている 隠し持っている
常になっている なっている
一回 一回 刻み込んでいく
毎回 毎回 声に出して思い出して
一回 一回 繰り返していけ
いっぱい いっぱい
鳴り響いて 染み込んでいけ
どうですか? みなさん
これって読書体験で
良い言葉が頭に残っていたり
どこかで耳に聞いた素敵な言葉だったり
「あんた変態!」って彼女に言われた言葉であったり
それはもうどんな言葉でも
響いて
残って
染みこんでゆけと
いろいろ
言葉の重複があるわけです
「あんた変態!」
と言われた時から
「そうか俺は普通だと思ってたけど、変態なんだ」
と自己に気づく時
そこから変態肯定の記述に
いちいち引っかかって
脳に記憶され
変態の総体を形成してゆく
まあそうも読める歌ですね
良い言葉を
一回一回頭ん中に胸ん中に刻み込んでいけ
と
毎回毎回
大事なことは声に出して思い出して
いっぱいいっぱい
響いて
鳴って
染みこんでいけ
と
それが「思う」
ということなんですね
すごいですよ
これって
文学そのものだし
文券癜]の領域まで凌駕して
それを難しい言葉じゃなくて
「変態で悪いか!」
とャbプに言ってみせる
奥田民生天才説は
数多の意見だけど
少し音楽が好きな人なら
「民生って歌詞が面白いね」って
言いますもん
実はまだドラマ「重版出来!」見てないので
Amazonビデオではやく見たい
歌詞の「なっているなっている」
は「鳴っている鳴っている」でもいいし
「成っている成っている」でもいいですね
どっちでも聞く読む方の自由
いやあ名作が多い民生さん
これ
凄いですよ
ぶっちゃけ
ャbプ文学だもん!
記憶ってみんな言葉でできてるんですよね
知ってましたみなさん?
映像もまず家という言葉で立体化されて
冬だったら
寒いとか冬って言葉で皮膚感覚記憶まで作るんです
脳は全部
言葉から色彩とか映像とか音とか
形作ってくんです
考えることも思うことも
全部
一度言葉で瞬時に組み立てていくんですよ
歌詞で「声に出して」
ってあるでしょ?
それは頭の中の言葉を
口と顎と頭蓋骨で響かせて
何なら鎖骨や胸骨
体全体に
響かせて振動させることによって
言葉がでっかくなるんですね
この歌詞
わらかないよー
って人もいるかもしれないけど
忘れないでね
これは
言葉の歌なんですよ