kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

冬のはじまり

2006年11月22日 | 生活
小さな橋を渡った。
信号待ちになった。
川沿いの木のそばにいた。
紅葉していた。
ベンチがあった。
座りたいと思った。
くもっていた。
少し寒かった。
信号が青に変わった。
横断歩道を渡った。
川沿いの紅葉した樹木を見渡した。
路上に落ち葉。
冷たい冬がくる。

静かな時が流れて、
目を閉じてみる。
飽きるまで閉じてみる。
耳だけのせかい。

また白い雪が降るのだ。つもるのだ。


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宇宙の子

2006年11月21日 | 生活
冷たい雨の土曜日の朝、
イカイさんが通った。
カラーボールを3つと、
黄色い大きな登山リュックサックを背負って。
カラーボールを3つ、
手で回して、歩いていった。
曲月tにはなれなかったのですね。
黄色いオーバーオール姿で、一輪車にも乗っていたと、噂できいています。
イカイさんは、人混みの中を、
西に向かっていった。
前世はたぶんヨーロッパのへたくそなピエロだった、と思。

アイビー(ツタ)
縁起が良い → 常緑だから。

月曜日、
柳の木に、酸性雨流れる。
それを水で流した。
ツバキノオジは言う。
「宇宙の法則は『それらしく』だ」
「宇宙ができたのは偶然だ」
「神は人間がつくったんだ」
「宇宙の子は海の子だ」

イカイさんがまた通った。
また3つの玉を上手に両手の上で回していた。
後ろ姿を見ていると、玉が落ちた。
イカイさんが笑って振り向いた。
手を振ると、
イカイさんも手を振って、
西に向かっていった。

火曜日、
「宇宙は語り合っていない」
とツバキノオジは言う。
朝からもの凄い力で、
オジの言葉が胸にズキューンと入る。
オジは天才だ。

---//---

柳の木の横で、
モンキイチョウが誰かに踏まれて昇天していた。
かたわらをもう一匹のモンキイチョウが飛んでいた。
踏まれたモンキチョウを横の植え込みに置いた。

空は青かった。
飛行機雲も見た。
昨日の夕方は小雨があって、
やんで、
虹が見えたかも、
と、
忘れた頃に、夕空を見た。
空を見ることは大切なこと。
大きなイチョウの木をまだ暗い朝に見、
その緑を体で感受することも。

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作品 『冬の思いで』

2006年11月16日 | 生活
労働場には一個だけプランターがある。
夏にはオレンジ色の花が咲いていた。
秋に枯れ、ツバキノオジが枯れ草を抜いたので、土だけになっていた。
先日、開店祝いの店先にあるハギ等で生け花を即興で僕らはこしらえた。
作品名を「秋の夢」と題して、<作品 秋の夢>とトイレットペーパーの芯を伸ばして、作って置いた。
その生け花も半分が枯れ、残りはまだ生気を放っている。

昨日の朝、パッと見ると、黄色い花が活けてあった。「あっ」って俺、言った。
「あっ」って思ったから。
で、聡怩オているツバキノオジを発見して、
「あっ、アレ」って俺言った。

一昨日の朝、ハツリ屋さんが「今度は『冬の思い出』っていうのを作ってくれ」
と僕らは冗談半分で頼まれていた。
だがしかし、オジはマジで作った。僕より早く来て、すでに労働の準備をしながら。
我々はプランターの前に立った。
「オジ、凄いな、これは」
と僕。
「おうよ。開店祝いの店に当たりをつけておいたんだ、アジアンバーじゃあ」
「そうか」
「おうよ」
今度は、黄色い花である。
毎朝、挨拶を交わす女性(いつものど飴を何故だかいただく)に花の種類を訊いたら、
ランだそうだ。高いそうだ。
ハツリ屋さんが来たので、僕は腕を引っぱってプランターまで行った。
ハツリ屋さんも「えっ、嘘? ホント?」っていう表情からわき出る笑を、
顔に出して。
オジもいた。
我々、3人は、見た。
「『冬の思い出』じゃあ」
と僕は言う。
「ありがとうー」
とハツリ屋さんは本当に嬉しそうだった。
で、携帯で写真。
気を利かしてハツリ屋さんと『冬の思い出』を一緒に写してあげた。
今はまだ冬が始まったばかりなのに、『冬の思い出』は変だろう、
とスキンヘッズの鉄骨屋が言った。
違う。ハツリ屋さんの場合、今度、いつ労働場に来るのか判らない。
もしかしたら、来春、来夏、ずっと来ないかもしれない。
だから、この労働場の思い出が欲しかったのだ。
今は冬だから、『冬の思い出』。
ハツリ屋さんのリクエストに無言で応えたオジであった。
我々は朝から、かなり胸に心入れて、隠そうにも、
3人は心だらけになって、良い感じだった。

で。今回も題名を書いた。
労働場に落ちている小さなアルミ板をオジは用意した。
休憩所までマジックを取りに僕はダッシュ。
「小久保君、題はどうする?」
「いや、冬の思い出でしょう」
<冬の思い出>とオジは書いた。
ヘンテコな字になったので、消した。
紙に下書きをする。
「小久保君、字をな、<冬の想い出>にしたらどうだ」
とオジ。
「シンプルが良いです。<冬の思い出>です」
いや、と僕は続けた。
「<思ひ出>っていうのはどうでしょう?」
僕らは紙切れに、色々な題名を書いて決定に向かう。
「オジ。いっそう<冬>を取って<思い出>にしてみてはいかがか」
「小久保君、<思い出>だけじゃ、よく判らないだろう、訊かれたら。説明できるか」
「できぬ」
「だろ。こうじゃあよ」
とオジは言い、下書きだらけの紙切れをしまった。
アルミにマジックで書くオジ。
題は、

<作品 冬の思いで>

になった。
俺はびっくりした。
何でかって、これを書きたいがために、ここまでこの文を書いたのだ。
<冬の思い出>の、出、が、「で」になっている。
<冬の思いで>。決定。
「オジ、凄いのお、最後の止めはカナか」
「おうよ」
「しかし、オジ、何でカナになったんじゃ」
「わからん」
オジを僕は天才だと思った、マジで。
<出>で止めるところを、<で>で流しやがったのだ。
これにはでんぐり返った。
こういう言語感覚って、マジ、凄いとわいは思う。
オジは凄い。
で、めでたく、アジアンバーの開店祝いの花、ランとその他で構成された生け花の横に、
がれきの中から探した小さなアルミ板に題を書いて、土にぶっさした。
ツバキノオジは言った。
「喜んでもらえるのが、ええな」
僕はハツリ屋さんのあの笑を忘れないと思う。たぶん、一年ぐらいは。

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(無題)

2006年11月13日 | 音楽
空、青く、飛行機雲、西から東にむかって消えていた。

昨日テレビで見た映画「寒椿」の話をツバキノオジに話していて、
あとから姉さんが来て、「昨日、寒椿っていう映画やってて」
と姉さん発し、高知を舞台にした映画の話に花が咲く。

アスファルトの隙間に、草を見つけ、
オジと何だろうと発していて、
「芝だ」とオジ発す。

空、青く、冬の雲、見る。

ギンナンの木、緑の葉
オスとメスの木、隣どうしに立ち、
朝の中に凛としている。

川の岸に、ロープで縛られた屋形船が三艘
あれに乗れば、海までいける。

熊野。
熊野。

「心だけが集まってくる」
とツバキノオジが言った。

早朝、大声を辿っていくと、
酔っぱらいの歌声あり
それ、浜田省吾か長渕剛かの歌
「うまいなあ」
とオジが発す。
ちんぴら風であり
サラリーマン風であり
大声で歌い、大通りの真ん中を千鳥足で歩んでいく。

あらゆる人々が声なく発する
さびしい、
と。
そのさびしさのみが
この世のすべてだ。
すべての起因だ。
なおかつ、艶っぽいのが、さみしさだ。
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週間ブックレビュー

2006年11月12日 | 文学
日曜日の楽しみのひとつに、週間ブックレビューという番組がある。
朝八時からやっていて、本の番組。
ゲストが「マジか!」と思うような人が出る。
金原瑞人とか、中沢新一とか、保坂和志とか、
で、今日は詩人の平田俊子が出ていた。この人の格好を見て、笑った。
完全に遊んでいる。真面目そうな髪型とか眼鏡とか。
そいでもう一人のゲストが、あの中川五郎さん。
本の番組に出て当たり前の人なのですけど、
「25年目のおっぱい」という名盤を世に出したフォークシンガーでもある。
そいで、中川五郎さんが推薦する本は、車谷長吉の旅行記。
この番組を見ると、元気が出る。
なので、この時間までに朝食を終えるか、起きるかなのだ。

そういえば、昨日、帰って、眠くて、ソファで毛布を被って寝た。
布団で寝ない理由があった。夜10時からETVで松田優作特集がある。
まあ、寝たら寝たでいいか、別に、と思ってぐっすり寝た。
ところが、こういう経験はみんなあると思うのですけど、
夜10時ジャストに目が醒めるのである。
これは、「見ろよ」という体の合図である。
見た。リリーフランキーが松田優作について、
異常と思えるほどの思い込みの強さで語っていた。
「松田優作の映画をビデオで見て、隣の女優が寝てしまったら、この人とは仕事はできない」といったことを言っていた。それって、僕は判る。
僕の場合は松田優作じゃないけど、そういう思い込みの強さというか、
この人だけは別格、という人がいる。
リリーフランキーの語りを見ていて、ここまで自分を失ってはいけない、特に語る時は、
と思った。
松田優作。番組の中で中上健次の「蛇淫」の短い文に松田が反応していた、
という話が出てくる。へえ、って思った。
それにしても、最近のETVは頑張っています。
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大根喰らってなんぼのもんじゃあ

2006年11月12日 | 健康
昨日、帰り道で八百屋に寄りました。
大根が二本で80円でした。
大根は体に良いと新聞に書いてあったので、買いました。
ジューサーで昨日からたくさん大根ジュースを飲んでいます。
胃酸過多を抑える、免疫力アップ、脂肪を燃やす、等々、
常食すれば上記の効能があるようです。
僕にはもってこいの野菜です。
大根の葉っぱも体に良いそうです。
葉もジューサーにぶち込みます。
アロエを栽狽オているので、アロエもぶち込みます。
ジューサーをもらって、本当に良かった。
大根が僕の強い味方です。
北風なんかに負けないぞ。
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寒いねえ

2006年11月12日 | 音楽
もう冬だねえ。風が強いねえ。ぴゅうぴゅう鳴ってるねえ。寒いねえ。
寝なくちゃねえ。ねえ。
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最新の日記の見方

2006年11月12日 | お知らせ
最新の日記を読んでくださる方へ。

私のサイトからここにきてくださると、
最初の記事が出てしまいます。
お手数をおかけしますが、

左上の「kotoba日記」をクリックしてもらえば、
最新の日記がでます。
または、「お気に入り」にしていただいても、でます。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

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「私の濃度」を読み終えて

2006年11月08日 | 文学
保坂和志著「小説の自由」。
1 「第三の領域」を読み終え、
2 「私の濃度」を昨夜読み終えた。
今夜からセクション3の「視線の運動」を読み始める。

(あ、いかん、柳田国男を録画しなくちゃ)

昨夜「私の濃度」の後半を読んでいると、
映画監督のタルコフスキーとか、装飾過多の三島とか、
ああ、同じようなこと考えているこいつ、と思いながら読んでいた。
ただ、小津安二郎の映画はまだ一本か二本しか見ていない。
この章では小津に多くのページをさいて「私の濃度」にからませている。
高橋幸宏のアルバムで「元気ならうれしいね」とかが最初に入っているのがある。
あれの表紙とか、アルバムの雰囲気とか、まるっきり小津であるに違いない、
とずっと思っている。幸宏も「小津好き」って言ってたし。
で、保坂も小津が好きと。
大好きな映画で何度も見る「ベルリン・天使の詩」の監督、ベンダースは、
この映画を小津に捧げている。

当たり前のことですけど、
他のジャンルの方法論が、小説の方法にいかに置き換え可能かが、
よくわかる「私の濃度」でした。
数日前も書いたけど、
この本の最大のおもしろさは、
保坂が考えながら書いていること。
こっちも保坂と一緒に考えながら読んでいる。
こういう本は初めてだ。めずらしい。
一緒に考える。上の方から教示します、ではなく。
で、今書いていてハッと気が付いたのですが、
一緒に考える本、っていう方法自体が、保坂の方法論にもなっている。





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幸せそうな人たち

2006年11月07日 | 文学
「幸せそうな人たち」という歌がある。
作詞作曲は犬塚康博さんという方。
この歌をフォークシンガーの加川良さんが歌っている。
ラップスティールギターを弾くのはすぎの暢さんという人。

この歌を歌う様子のビデオを持っていて、
この数日、毎日、この歌だけは視聴している。
作詞の言葉がとても良い。
加川良さんは本当に歌がうまい。
すぎの暢さんのスティールギターは、かっこいい。

言葉がとても良く、歌がとても良く、音がとても良い、
こういう専門の人達がおのおのの分業を極め、
それが美しくコラボレーションされた作品で、
どれひとつ、誰ひとり欠けても、駄目だというほどに、
この演奏は素晴らしい。

 生まれた時から僕たちは
 滅びてゆく道の上にいる

と歌う。最初、聴いた時は、何てシリアスな歌なんだ、
と思っていた。
ところが日が経つにつれ、シリアスだけじゃない何かがあると、
強く思ってきた。
演奏では、
「道の上に」のあとの「いる」で終わるのですが、
「いる」のあとに、すぎの暢さんの表情がトランス的なものに変わる。
これがとても僕にこの曲を印象づけるきっかけになった。
「いる」とは、「在る」の意味だと思う。

 生まれた時から僕たちは
 滅びてゆく道の上にいる(在る)

ここの「いる(在る」で、存在の確信が強烈に出される。
滅んでゆく道の上に、僕たちは「在る」。
これだけの言葉だったら、誰が読んだってシリアスなものだと思うだろう。
でも、違う。シリアスだけじゃない。
これは「生きている」という歌だ。
「いる(在る)」所が、いずれ滅んでゆく道の上であったとしても、
この瞬間に僕らはいる(在る)。
この一瞬に、僕らはいる、生きている。
いつかは滅んでゆく道だからこそ、
今、この二度とない瞬間に、僕らは力を注ぐのだ。

 幸せそうな人たちが
 12月の灯りの下にいる
 生まれた時から僕たちは
 滅びてゆく道の上にいる

これは歌詞の一部。
12月の灯りとは、クリスマスや大晦日、といったこれからやってくる
忙しく楽しい夜の灯りです。
作詞者の犬塚さんは、
そういう人たちを見ている。
そこに、シリアスでもあり、また「生きている」という意の、
大きなビジョンを次の行に書き加える。

僕はこの詩と演奏と歌を聴いていると、
体の血液の流れが良くなる気がする。
血の気がわく。元気になり、活発になる。
平明で、しかも深い言葉をお書きになる犬塚康博さん。

歌が僕を呼ぶ。
僕が歌に寄る。
タイミングが合いさえすれば、
新たな物語が始まる。
僕にとって小説とは、歌、いや、唄だ。




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答らしきものが今朝わかった

2006年11月06日 | 文学
保坂和志著「小説の自由」を昨日から読んでいる。
僕は遅読なので、時間がかかる。まだセンテンス1の「第三の領域」のみ。
昨日、布団に入って「第三の領域」を読み終えたと同時に寝てしまい、
電気が朝までついている始末。

さて。この本はむつかしい。保坂本人も考えながら書いているから、
大変ぐにゃぐにゃしている。
今朝も労働をしながら頭がカチンコになっている状態だった。
それでも。
「第三の領域」には書かれていない、テレビで保坂が言っていた「小説の言葉は音楽だ」
から、僕は僕なりに、ある答らしきものが、今朝の目覚めと同時に、
はっきりと頭に浮かんでいた。
小説とは何か。
これを考えるうえで、このむつかしい本は僕にはいまのところ有効に思える。
小説とは何か、は、<僕にとって>小説とは何か、ということです。
それがわかった気にいまのところなっている。
やっと次の作品の文体の糸口がほどけてきた。見えてきた。

僕は頭が悪い。それはそれで仕方がない。小説はやっぱりインテリが書くものだ、
と今回も思った。でも、頭が悪いなら悪いなりに、できることがある。
つまりは、自分が持っているものを使用すること。自分が持っていないものは、
どうしようもない。

と今日、ツバキノオジに「昨日読んだ本がむつかしくて、頭がカチンコで、でも、小説の文のことが僕なりにわかってきて、読書って大嫌いなんだけど、こうやってたまには考えると、
けっこう、為になって、次の作品の文体うんぬんが、で、良かったです」
と言うと、オジは、
「この道より我を活かす道なしこの道を歩む。オオタドウカンだ」
と言った。
「『歩む』っていう言い方、良いですね」
ツバキノオジはいつも僕の話をちゃんと聞いてくれるし、
力を僕に与えてくれる。
気持ちや気分が落ちていても、オジと話すと元気になってくる。

いかん、、、、、、もうこんな時間じゃねえか馬鹿野郎。
とっとと布団入って、次、読まねば。俺が書く為に。
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夜は言葉

2006年11月05日 | 音楽
友部正人さんの歌で「夜は言葉」という歌がある。

夜は君じゃない
夜は僕じゃない
夜は夜じゃない
夜は言葉さ
どうやって伝えよう

この「言葉」とは何だろう。どういう意味だろう。「夜は言葉さ」とは何だろう。
そのことをずっと考えています。
感性ではわかるのです。

「言葉の問題として考える」と、湾岸戦争について発言したのは、
作家の高橋源一郎でした。
友部さんの「言葉さ」というニュアンスも、
たぶん、高橋の「言葉の問題」に近いものだと、
この歌を聴いた時に思いました。

生活の中心に言葉をすえている人は多くいます。
そういう人にとって、言葉は生活です。生活は言葉です。
たぶん、友部さんはこの歌で、言葉に捧げる愛を歌っているのかもしれません。

ねじめ正一さんの言葉が浮かびます。
「言葉を使用するなんて、言葉に失礼だ」
言葉に僕たちは、手をひかれて、進んでいる。
だから先行きにある言葉は、光っていなければいけないと思うのです。
夜ならば、なおのことに。



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保坂和志

2006年11月05日 | 文学
今、テレビで保坂和志さんが出ていました。
村上春樹に顔が似ているだけで笑えてくるし、
のりらくらりとした話し方も面白かった。
「小説の言葉とは日常の伝達言語とは違うんです。詩でもないし、散文だから」
そして、
「小説の言葉は、音楽なんです」
と言った。よくぞ言ってくれた。その通り。
ずっと前から保坂さんのエッセイを読みたいと思っていたから、
これ書いたら図書館に直行です。
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