kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

葉の蛾

2011年11月30日 | 生活


写真は、蛾です。
オジが聡怩オていて、
僕を呼ぶので、
行ってみると、
道路と歩道の縁石に、
茶色の葉っぱがくっついていました。
「小久保君、これを見ろ」
見ると、葉です。
「違う。これは蛾だ」
「え」
と拝見すると、
確かに、目が見える、足も。
で、わずかに、動いた。
こんな蛾がいるなんて、
びっくりです。
どう見ても、
これは枯葉です。ほんとに。
それで、何枚か写真を撮りました。
アップしたのは、その中の数枚です。
それで、
職人さんに、
ケータイで撮った写真や、
実物を見てもらうために、
我々は彼らの手をひいて、
導きました。
自然の叡智へ向かって。
で、
自然の叡智、枯葉の如くの蛾を見ると、
「へえ」
と職人は言って、去りました。
彼らはこうも言いました。
「よくテレビでやっているよね、こういうのがいるって」
そして、去りました。
僕とオジはぽつねんと、
枯葉の蛾の傍らに居、
「我々は、今、本物をこの目で見ている、そうだな、小久保君」
「はい」
と答えました。
テレビで、見た、とはなんたる発言。
そんな二次情報を発して、
目に見える、一次情報を一笑するとは、なんたることか。
我々は常に、
フィールドの中にいる。
この目で実際に見て、
その様子を観察したりした方が、
ずっと人生に役に立つというのが、
彼らには判ってはいない。
僕とオジは孤独でした。
なので、
我々は言いました。
「この蛾のように、目立たないよう、気配を消して生きてゆこう」
これを、
哲学と呼ぶのではないだろうか。
違うかもしらん。


号外新聞

2011年11月29日 | 生活
本が労働場にありました。
オジに訊くと、
道に捨ててあったのだそうです。
4冊。
その中に、多和田葉子の本もあったので、
全部、
家に持って帰りました。
彼らは、ずっとこれから、
この家で暮らします。

今日は温かい日で、
名古屋の最高気温は、
18度ぐらいになるそうです。

帰り、電車のホームの椅子に、
腰鰍ッると、
3月某日の号外が置いてありました。
福島原子力発電所の事故の記事でした。
誰が、どうして、今になって、
この時期の号外を、
ホームの椅子に置いていったのか。
これも持って帰りました。


高田渡メモリアルコンサート

2011年11月27日 | 音楽
朝、6時半に起きて、
高田渡とはいったい、
何だろう、
と思いました。
多くの人たちの尊敬を集める、
その理由は何だろう、と。
僕は高田渡さんを聴いてきたけれど、
その歌の詩を読んできたけれど、
どうしてそこまで、
みんなが「高田渡」というのだろう、
と不思議です。
今日は行きたいけれど、
無理だ、
と思っていた、
高田渡メモリアルコンサートのことが、
脳で活動して言語になりました。
岐阜の北方町へゆけば、
手がかりが判るかもしれない、
と思い立ち、
誘ってくれていた友人に、
メールを送り、
急きょ、行ってみることにしました。

その前に、食材を買ったり、図書館へ行ったりして、
急ぎました。
昼に、
友人と待ち合わせをして、
岐阜駅でご飯を食べました。
バスを待っている間、
凄く寒かったです。
岐阜の駅前は、
閑散としていて、
14時41分のバスに乗りました。

高田渡の生誕地、北方町。
まず、資料館へ行き、図書館へ行きました。
それから、会場に入りました。
ロビーには、高田渡さんの写真が、
たくさん飾られていました。

一部は、福岡風太さんが司会をして、
中川五郎、シバ、いとうたかおさんたちの、
トーク会です。
シバが、
「武蔵野タンャ団っていうのは、楽しいからやるんじゃなくて、やるから楽しいんだよね」
と言ったのが印象的でした。

二部は、平成武蔵野たんぽぽ団(中川五郎、佐久間順平、シバ、いとうたかお、松田幸一、村上律、宮武希、大庭珍太、ANN SAN)の演奏です。
佐久間さんがバンドマスターのような感じで、まとめていました。

最後に、
北方中学校ママさん合唱団「北方マーガレット」が出てきて、
「私は私よ」を合唱しました。
高田渡は数年前になくなりましたけれど、
この北方町の人たちが、
高田渡の「私は私よ」を歌っている。
地元に、こんなに愛されている。
そこに、感動の源がありました。
来てよかった、
と思いました。
ここに来なかったら、
こんな美しい情景は、
見られないことですから。
そして、続いて出てきたのは、
先生に指導されながら、
左右からステージに上がる中学生たち、
北方中学校3年生合唱団「北方なのはな25」です。
彼らは「自転車に乗って」、
「私の青空」、
を歌った。
僕と友人は、
二階の席で、
会場いっぱいに響く、
合唱と手拍子を聴きました。
今、これを書いていても、
涙がこぼれそうです。
宮武さんが発する美しいオーラは、
会場を明るくしていました。
そして、中学生の後ろにいる、
平成武蔵野たんぽぽ団は、
みんな教師のようでした。

帰りのバスの中で、
偶然、中島さんと、
30年ぶりぐらいの、
もうさんに会いました。
もうさんは、以前、
僕が歌を歌っていた時、
スティールギター奏者として、
サメ[トしてくれた人です。
それから、
名古屋駅前で、
4人で歓談。
もうさんとは、
音楽の構造について、
話しました。
白熱したものだったので、
録音しておけばよかったな、
と思いました。
もうさんは、
音楽が好きです。
だから、
音楽の話が、
つまらないはずがない。
30年ぶりに会ったというのに、
昔話なんてどこ吹く風、
為になった話だったけれど、
実はもう覚えていません。
音と言葉の問題だったし、
核心に触る対談だったのは、
間違いありません。

箇条書きで残っている断片は、
こうです。

1「心、神様」と言うと、そこで進まなくなる。

2 高田渡のアメリカのトラディショナルのギターワークの技術、加えて、時事的な「値上げ」のような歌詞の重ねの技術。それを全部、ベールに隠す技術。

3 「言葉の音感」にアメリカは反応する。移民ならではの呼吸。
  反して、日本は風景。

4 民生などのメロディはロジックである。
  快楽α波を出す音、言葉の配列。
  それは、数学である、ということ。

もうさんとの話は、
要はロジックであれ、
ということでした。
その例題をもうさんは、
音楽の具体で表現してくれました。
音楽は言葉に置き換え可能だから、
僕も発しました。
たくさんもらいました。

この二日間、
犬塚さんのライブ、
そこで出会ったひとたちの話、
高田渡祭、
そこで出会ったひとたちの話、
連日の豊饒でした。
シバの言葉、
「楽しいからやるんじゃなくて、やるから楽しいんだよ」
は、労働で疲れてはいたけれど、
こうして、
足を運ぶことによってしか、
得られない、幸のことです。
そんな、
大事な二日間でした。

賜(たまもの)

2011年11月26日 | 音楽


「初期から現在までの歌を、たくさん歌います」という犬塚康博の言葉。これこそ、初のソロライブならではの醍醐味。学者であり、音楽家でもあり、教養とロマンの双肩でもって、僕らを遠き里まで誘う、実に希有なシンガーソングライター、犬塚康博登場。

「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」
犬塚康博ライブ

というライブ案内の、
勝手な文を書いたので、
ここに残しておこうと思います。

というわけで、
今日は犬塚康博さんの、
ライブに行ってきました。
とても良いライブでした。
一曲目に、
「前座です」と犬塚さんは言って、
マンドリンを弾いて、
歌いました。
それが本当に、
ラフで、
少し緊張していたお客さんを、
楽にしました。
あとから思うと、
偶然なのか、意識的なのか、
最高のライブパフォーマンスになりました。
犬塚さんは、
いつも緊張ということがないような人で、
堂々としているというか、
気取らないというか、
たいした人です。
一部の最初の方で、
MCで事務椅子の話になって、
突然、僕にステージから話が振られ、
「(そういう人が)いますよね、小久保さん」
と犬塚さんが言うものだから、
びっくりして、
「いますね」
と反射的に答えました。
これは、生物の先生が、
授業中に、
窓の外のグラウンドを見ながら、
ぼんやりしている学生を、
名指しで呼ぶ具合に、
ひどく似ています。

前半の最後の曲、
「異郷の鬼」を、
マンドリンを奏でて歌うのは、
とても素敵でした。

 「景」である
 自然が淡々としているように
 自我はなく
 少年(小4,5)のまなざし
 目が見ている
 足が歩く
 音楽という
 人の「賜(たまもの)」
 夜も昼も朝も
 丘も道も山も川も
 人も草も花も太陽も「キセツ」も
 自然というには……

ライブは多くの歌で繋がれ、
初めて聴く「帽子岩」のすばらしさ。
僕たちは本当に、
良い音楽を聴いているはずなのに、
犬塚さんの親しさが、
縁側で適当に歌う、
鼻歌のように、
聞こえさせてしまいます。

僕は思うのだけれど、
僕は犬塚さんの歌が、
好きなんだと思います。
それだけのことなのに、
どうしてこんなに、
良いんだろう、
と考えます。
きっと、それは僕だけではないはず。
そこに歌う人がいて、
それを聴きに集まる人がいます。

犬塚さんは、
発電所の事故について、
「こんなことで煩わしく思うために、
 50数年、生きてきたわけじゃない」、
と言いました。
そして、
玉のような歌を、
歌いました。
淡々と。
そして僕は、
「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」
という、
ライブ名について、
考えています。




通りに沿って

2011年11月26日 | 生活


写真は、
自動販売機と、
ゼラニウムと、
花と、
黄色と、
裸木と、
標識です。

手帳には、
今日の日付で、
「鈍行荷役」と書かれてあるのですれど、
たぶん、
西村賢太著「荷役列車」の誤記だと思います。
それを読み始めたのです。



オジは音読した

2011年11月25日 | 生活
聡怩オているオジが、
どこかで聞き覚え、
というか、
読み覚えがある、
言葉を言うので、
「それって、もしかしたら<錦繍>っていうのじゃない?」
と訊くと、
「そうかもしれん」
と言います。
宮本輝の書簡形式で書かれた小説です。
「もういっぺん言ってみてくれ」
と言うと、
「でけん」
とオジは言います。
「閃いては消える」
とオジは言います。
オジは時々、
もの凄いことを言ったり、
過去の記憶を、
脳のどこかから、
ひょろひょろと口に出しては、
長文の文語を発するのですけれど、
たいていは、
「一期一会」
なのだそうです。
「直感は、過去の経験に裏付けされたものだと、アメリカの学者が言っていたそうだ」
と、最近は、
「直感だよ!」
とオジは言います。

宮本輝といえば、
「泥の河」を高校生の時に、
特別活動学習で、映画で見ました。
「それだ!」
とオジ。
「なんじゃあ、オジ」
「その映画のロケを見た」
訊くと、中川運河、縁故橋あたりだった、
とオジが言いました。
まあ、僕はロケ地がどこだろうが、
それほど、興味はないのだけれど、
あのモノクロの映画は、
良かった記憶があります。
機会があれば、
また観てみようと思いました。

帰りは伊藤比呂美の小説、
「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」を読み始めましたけれど、
読みにくいので、
途中でやめました。
後日談ですけれど、
再度、読んでみよう、
と思ってチャレンジしてみると、
読後は今年、一番の面白さを持った、
小説になりました。
チャレンジして本当に、
良かったです。

読む本がない

2011年11月24日 | 生活
道路が濡れていて、
冷えて、寒いです。
行き道の地下鉄の中で、
綿谷りさを読み終えました。

苔を見ていると、
苔主から、
「持っておゆきなさい」
と言われました。

夕方、あまりに寒いので、
赤飯のおにぎりを食べて、
寒さをしのぎました。

ちょっと活字中毒になっていて、
綿谷りさの次、読む本を、
持ってきていず、
地下鉄の中で、
落ち着かずに、
焦りました。
読んだ本をパラパラめくりましたけれど、
めくっていただけです。

太股叩き

2011年11月23日 | 生活
オジから、
ブドウパンをもらいました。
それは、
紙の袋に入っていて、
買った時には、
ブドウパンの造形は、
確認できません。
このパンがまたおいしくて、
半分ずつにして、
食べました。
オジは半分と言うけれど、
正確にパンを、
半分に割ることは誰にもできません。
そしてオジは、
たいてい大きい方を、
僕にくれます。
我々は、
ブドウパンを食べながら、
考えます。

帰ってから、
加藤和彦の伊達男とかなんとか、
っていう番組の録画を、
見ました。
吉田拓郎の「結婚しようよ」
のシングルを、
僕は好んで聴いていました。
編曲に、加藤和彦という名前が書いてあったので、
よくおぼえている名前です。
あの歌のレコーディングの時、
ドラムではなく、太鼓ではなく、
ジーンズの太股を、
手で叩いて、
それをリズムにして、
構成して作られた話が、
出てきました。
言われれば、
あの歌の、「ぱたんぱたん」
という音は、
太股を手で叩いている音です。
驚きました。
あれが通常のリズム楽器だったら、
あれほどヒットしただろうか、
と考えました。
改めて、
加藤和彦のすごさを、
思わせる番組でした。
「結婚しようよ」は、
バンジョーの「とんちゃかとんちゃか」、
という音が、
当時、とても新鮮に聞こえました。
今でも、良い歌だと思います。

木星ですか

2011年11月21日 | 生活
晴の月曜日です。
防寒具を今朝から着ました。
最高気温が昨日の半分しかない予報ですけれど、
それほど寒くはありません。
オジから朝、缶コーヒーを頂きました。
オジに言わせると、
僕は無手勝流なのだそうです。
戦わずして勝つの意だそうです。
そういわれれば、
そうかもしれません。

足が歩行を欲求しているのが、
判って、
労働場から、
まっすぐ南へ向かって、
歩いてゆきたくなりました。
海まで歩きたい、
そんなふうに思った朝です。

夜になると、
東の空に、
明るい星が見えました。
オジと、
「あれは何ちゅう星じゃろうなあ」
「金星やろうか。宵の明星とか明けの明星とか」
「あれは木星じゃろう、東南(ひがしみなみ)やけん」
と、適当なことを言って、
見ていました。
それにしても、
ジュピターという曲は、
聴いて凄い曲だな、
と思いました。
すぐにCDも買いました。
この曲だけで、
一個、
小説が書けそうです。
こんな曲を、
人間は作ることができるんだ、
と思います。

三叉路に立っていると、
どこぞの兄様から、
缶コーヒーとャ^ージュスープを頂きました。
ずいぶん、寒いのだろうし、
夜遅くまで労働ということで、
慈悲を頂戴しました。

緑と緑と緑

2011年11月20日 | 生活
今日は風が強い日でした。
布団を干しました。
喜多の湯にゆくのを中止して、
たくさんの野菜を買い、
瓶のニンニクの崇ミけを作りました。
疲れているので、
睡眠をしました。
起きると、
さっぱりしていて、
用事を済ませました。
ベランダの観葉植物を、
部屋に全部入れました。
いつも、二階へ全部持ってゆくのだけれど、
面唐ネので、
今年は一階のいたるところで、
植物に越冬してもらおうと思います。
とりわけ、
アロエの成長力は凄まじく、
はやく食べて、茎を減らさねば、
と思いました。
これだけ、
緑が部屋にあると、
植物と植物が、
空間を利用して、
交信しているような気分になります。
その真ん中で、
僕は座っています。

おにぎり3つ

2011年11月19日 | 生活
今日はずっと、
雨が降っていました。
たいへん、
寒いので、
夕方、
おにぎりを3つ食べました。
体を温めるものは、
タンパク質なので、
そうしました。
ちょっとしたことだけれど、
レンジで温めると、
さらに、
体は温まります。
おにぎり3つの効果は、
抜群で、
助かりました。
早い夕食にもなりました。

小さなタオル

2011年11月18日 | 生活
朝、
雨で濡れた歩道に、
小さなタオルが落ちていました。
その目前の駐輪場に、
僕は自転車を置いています。
帰り、
駐輪場にゆくと、
濡れた小さなタオルが、
手すりに鰍ッてありました。
誰かが、
拾って、
目のつきやすいところに、
鰍ッていたのです。
自分が拾って、
鰍ッておけば良かったかな、
とは思いませんでした。
誰かが誰かの落とし物を、
大切に思い、
拾って、
落とした人に、
戻ればいい、
小さなタオルにも、
命を吹き込むような思いで、
誰かがこころを使う。
そのようなことが、
今朝から夕の間に、
この場所で起きていました。
小さなタオルは、
雨に濡れた重みによって、
風に飛ばされることはなく、
手すりに、
またがっていました。


外山光男「手」

2011年11月14日 | 生活


月山さんは、
70歳を超えていて、
とても元気で、
ひょいひょいと、
トラックの荷台に飛び乗って、
声を出して笑います。
その笑顔は、
何年に一度、
出会えるかどうか、
というほどに、
美しい笑顔です。
月山さんが来ると、
百の虹を全部集めた朝のように、
清々しい気分になります。
年齢も年齢ですから、
どこか達観もされていて、
こういう老年は素敵だな、
と思います。
「がっさん」という響きを、
以前行った、
吉増剛造のトークイベントで何度も、
聴いていたので、
月山(つきやま)さんの名札を見ると、
最初は「がっさん」と頭が音を出して、
数秒後、
「つきやまさん」と言い換えるのが、
常です。

帰ってから、
映像作家たちの、
311をテーマにしたオムニバス作品を、
見ました。
どれも、
3分11秒という長さで作られていました。
外山光男さんのアニメーションで、
「手」という作品が良かったです。
映画祭が終わったあと、
ロビーでお客さんへのインタビューがあって、
おじいさん、
のような年齢の人も、
外山光男さんの「手」が良かった、
と言っていました。
震災で、
こころをこわしてしまった人たちは、
今は、
「手」のような、
慰められる、
癒される作品を、
求めているんだろうな、
と思いました。
実際に、
手を握ってほしい人たちがたくさんいると、
思います。
作品は、
その手のぬくもりを想像させる、
温かみのある、
静かなお祈りのような、
3分11秒の作品でした。
「手」は、
体、皮膚で感じることの、
重要さを、
僕にも知らせてくれました。

元気ならうれしいね

2011年11月13日 | 生活
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2011/11/05/8dalailama/

ダライラマです。
何て素敵な写真なんだ、
と思うので、
アップします。

図書館へ行ったあと、
おにぎり屋で、
昼食を買いました。
「エビテンシャケシグレ」
と言ったら、
店員さんが、
「OK!!」
と言いました。

日曜の夜は、
また散歩です。
満月の下、
たくさん歩きました。

僕は高橋幸宏がけっこう、
好きで、
以前、好んで、
聞いていました。
こないだ、
最近の幸宏の映像を見て、
あー、この人って、
やっぱり良いわー、
と思いました。

 元気ならうれしいね
 泣いてたら会いたいな

と高橋幸宏はCDの中で、
歌います。
何て素敵な人なんだろう。
服もかっちょいいし、
ニールヤングのカバーも、
凄く良いです。
地味なんだけど、派手。
派手なんだけど、地味。