kotoba日記                     小久保圭介

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エレクトラ以降

2008年03月31日 | 生活
中上健次の評伝「エレクトラ」が、
もの凄く良かったので、
次の本が読めません。
しかたがないので、
昨夜、
2002年放映のNHKのETV特集「中上健次の妻」、
の録画ビデオを見ていました。
奥さんは作家の紀和鏡。
生前の中上健次を、夫、または父としてとらえた、
これも貴重なVTRだと思います。
「エレクトラ」を書いた高山文彦も、
たぶんこれを見ているだろうことは間違いありません。
「エレクトラ」の中に、紀和鏡からの取材の箇所も、
随所にあり、
ここは「エレクトラ」には書かれていない、
ここは、「ETV特集」では放映されていない、
と、両方の視点の違いがありました。
紀和鏡の話の中で、
「中上健次は最初の一行にとてもこだわった、
だから最初の一行ができると、喜んで、
飲みに行った」、
とあります。
「もうできた(作品が)と同じだから」
と。
その一行から、始まるのですから、
と。
僕はこのVTRを見ていた2002年以降、
まったくその通りだと思って、
当時、
僕も最初の一行にこだわるようになりました。
それはとても微妙を要する問題だったのですけれど、
まるで自分が中上になったように、
「出た!」
と出だしの一行の話を友人に電話すると、
「じゃあ、飲みに行かなきゃ」
と友人も喜んでくれました。

紀和鏡は、よく笑う人です。
大作家、中上健次に多々の男たちは、
あらゆる問題意識を持って取り組んでいること自体を、
全部笑って吹き飛ばすような、
女の力を持った人でした。
だからこのVTRを見て、
やっと楽になりました。
中上健次も、あー、ただの人だ、と。

---

今日は、いろんな本を読みかけては、
まだ駄目だな、と思いつつ、
「エレクトラ」と同じ力を持つ本、
「東京観音」を読みました。
この本は写真家の荒木経惟+杉浦日向子の共著。
東京中の観音様を捜して、撮影した写真集です。
僕は荒木経惟の著書は全部好きで読んでいるのですけれど、
この本も類にもれず、とても言葉が良い。
写真に添えられた荒木の言葉は、凄く良い。
抜けていて、優しい。
写真も良いけれど、僕はこの人、言葉の人、
だといつも思います。
他の写真集で、エロティックな写真と、
空の写真を両方撮っているのがあって、
聖と俗、らしい。
それは、まったくもって、
中上健次にも共通することなのです。

あと、養老孟司と阿川佐和子との対談「男女の怪」を読みました。
養老孟司って、あんがい、
適当にその場で作って話しているな、
これはちょっと眉唾くさいな、
とニンマリしながら読んでいました。
でも、面白いです、養老さんは。

強い風が、今日は吹いて、
ベランダの植木が唐黷トしまいます。
なので、風の通り道から植木鉢を離しました。
ぴゅうぴゅうと音を立てる窓の外。
風の音はけっこううるさいので、
耳栓をして本を読んでいました。

夕方、といてもすっかり夜になって、
米を買いに行きました。
ぜんぜん歩いていないので、
自転車はやめて、遠い店まで、
大きなリュックサックを持参しました。
行きは空っぽ、帰りは10キロの米です。
帰り道、
「重い荷物をしょうんだ、僕が歩いているのがわかるように」
という感じの歌詞だったと思うのですけど、正確ではありません、
友部正人の歌詞をヘンな声で歌って帰りました。
空に星が見えました。

そうそう、何度かたくさんの方から電話があって、
中で、先日までここに滞在していた姪の友達、
有美ちゃんのお母さんから、
「今度、とれたての窒フ子を送ります」
とあり、とてもうれしかった。
きっとおいしいに決まっています。
楽しみです。


エレクトラ

2008年03月30日 | 文学
高山文彦著「エレクトラ」を読みました。
小説家、中上健次の評伝で、
副題は「中上健次の生涯」。

今朝の中日新聞で川村湊が、
この「エレクトラ」を紹介していました。
先日行った本屋でも、
この本は平積みにしてありました。

中上健次のファンにとっては、
たまらん、としか言いようがない内容です。
編集者との緊迫したディスカッションから始まり、
熊野で死ぬまでの話は、
評伝というよりは、
「健次」という主人公の小説を読むみたいで、
楽しく、久しぶりに熱中した読書でした。
究極の私小説みたいです。


僕が素敵に思ったところは、
柄谷のこんな言葉でした。

苦悩して書き上げた小説に対して、
親友の柄谷行人から葉書が届きます。
「これは君の才能が書いたのではない。君の手が書いたのだ」
この言葉を中上は、胸に響かせて、その後も書き続けます。

あと、初めての長編「枯木灘」を書くいきさつや、
小川国夫との対談が、その直後に執筆されていく「枯木灘」に、
影響していること、
柄谷がフォークナーを中上に勧めて、
それがどう小説に結実していったか、
作家の裏話にあふれているのと同時に、
小説を書くために、
中上健次は生まれてきた、
という、
具体的な証が、
最初から最後まで描かれています。

昨日、読了して、
今日は他の本が読めないほどなので、
死後3年経った時の、
NHKのETV特集「中上健次の世界①、②」の録画ビデオを、
観ていました。
中上健次の顔をじっと見ていると、
動画も写真も、
まるで中上が仏様のように見えてきました。
中上健次の顔は、
物語る人として、
この世に来た人の顔だったのです。
そういう人は、
たぶん、まれで、
選ばれた人のように思えてなりませんでした。
ボブディランの表情にも、重なりました。

中上健次2

2008年03月30日 | 生活
朝からくもっています。
遅い朝、姪達と桜を見に行きました。
僕は中上健次のことをずっと考えていて、
桜どころじゃありません。

中上健次という作家は、
僕に何か因縁のようなものがある作家であることは、
たぶん、間違いない。
作家の大きさというより、
不鮮明な親近感が先にあります。


姪達は、今日、大須へ。
これから、映画を見るのだとか。
外は、雨。

本の世界

2008年03月29日 | 生活
朝、みそ汁、納豆、ご飯、そのほか、
という朝食を、娘達に食べさせて、
今日は明治村へ彼女たちは行きました。

僕は引き続き読書。


子供達は、修学旅行みたいな気分らしく、
二階の寝室で、夜遅くなっても、
きゃーきゃー言って騒いでいました。
時刻は11時半。
12時まわったら、注意しにいこうと思っていて、
階段をあがっていくと、
寝室の襖の隙間から見える電気が、
消えました。
僕の足音を聞きつけたのでしょう。
「めい、もう寝なくちゃいけないよ」
と小さな声で僕は言い、
階段をおりました。
きっと二人は身を寄せ合って、
くすくすしていたことでしょう。

しばらくして、彼女たちは眠って、
静か。
旬の読書の快楽です。

9キロ娘

2008年03月28日 | 生活

夜、姪の「めい」(本名)と友達の有美ちゃん、来宅。
来月から中学生の女の子たち。
はるばる来たぜ、名古屋へ、と。
有美ちゃんは、確か以前会っていたかもしれませんけれど、
記憶は不確か。
有美ちゃんのお母さんと電話で話した際、
「初めまして」
と僕が言ったら、
「そうじゃないですよ」
とお母さん。

まあ何しろ片田舎の娘達は、自然体です。
開口一番、姪が発したのは、
「のだめのDVDある!? 圭介さん!?」でした。
録画してある「のだめカンタービレ」の最初から、
彼女達は身を寄せ合って、見入っていました。
まだ寒くて、ホットカーペットの上で毛布を被って本を読んでいた僕は、
彼女たちにも毛布に分けて、
読書の続き。彼女たちは、のだめ。
ほっといても良かったので、らくちん、ほかほか。
10時半ごろ、二階に用意した寝室で彼女たちは就寝、
僕は12時まで読書。

子供のような、大人のような彼女たちを見ていると、
あー、これから恋愛をして、
傷ついて落涙したり、傷つけて落涙したり、
そんなことを、この女友達二人は、
相談したりするのだろうな、
「最低っ!!」
と、どっちかの彼氏を彼女たちは罵唐オて、
慰めたりするのだろうな、
と、思っていました。

どこに行くにも二人で、
という感じは、
見ていて、楽しいものです。
有美ちゃんが、
「目が痛い」というから、
目を洗わせて、目薬をあげました。
「きっと都会の排気ガスとかだと思うよ」
姪は何度も来名しているけれど、
有美ちゃんは初めての名古屋。
「うちの方は森ばっかりだから」
と有美。
彼女は小学校まで9キロかけて往復している毎日のようで、
それは徒歩である。
どうしてかというと、
学区の境界のギリギリの所在地で、
「道一本向こうに住んでいたら、すぐ近くの学校(別の)に行けるの」
と言う。

姪は、歩いて15分。

来月からは自転車に乗っていけるから、
楽だ、と言います。
凄い娘だな、と考。
そして彼女達は、「るるぶ名古屋」を持って、
やってきたのでした。
今日は港区の方の水族館に行ったようです。

C計画、終了

2008年03月27日 | 生活
今日でやっとC計画の労働場が終わりました。
オジは今月末までで、オジに挨拶。
やっと終わった、という実感。
二年弱の労働場で、執筆期間の三ヶ月をのぞけば、
長い年月ですけれど、
オジと出会ったのは本当に幸いで、
楽しい毎日でした。

帰宅するとさすがに大の字になって、
「終わったあー」
と息をつきました。

ほどなくN、来宅。
最近の来宅者には、
ミスドでもらったオレンジ色のカップで、茶を出す。
たいがいに発する言葉は、
「あ、ミスドだー」です。
当たり前だ。
深夜まで、よもやま話。
かぼちゃ、さつまいもを煮ながら。

風の音

2008年03月26日 | 生活
地下鉄に乗ってセザンヌ先生に会いに行きました。
地下鉄の中は、ドラゴンズトレインというスペシャルで、
車内は中日ドラゴンズの選手の写真や、ドアにマスコット、
床にも野球の絵、アナウンスも、
通常とは違う「ドラゴンズトレインにようこそ・・・」
と数分おきに繰り返すものだから、驚きました。
三日分の新聞を車内で読もうと思って持っていたのですけれど、
もの凄く眠くて、目をあけていられませんでした。

駅に着いて、
セザンヌ先生のところに行き、
「今日から春になりました、暖かくなったのは今日からです」
とセザンヌ先生は言いました。
あと、花粉症の話とか、小説の話。
帰りの地下鉄も、やっぱり眠くて、
春眠深き、です。

夕方からけっこう寒くなりました。
今の夜は、北風が吹いています。
日中は春なのに、
朝晩は寒い。
これを書いている最中でも、
鼻がぐずぐずしているし、
目もかゆくてしょうがない。
去年よりも、
今年の方が花粉症、ひどいです。
「花粉症は、人災です」
とセザンヌ先生は言いました。
「国がすぐ大きくなる杉と檜を大量に植えたからです」
と続けました。
「田舎の方だと雨が降ったあとは、花粉は土に染み込んでなくなるけど、
都会は雨が降っても、染み込む土がないから、晴れると風に舞い上がって、
また花粉が飛ぶらしいです」
と僕。
「田舎の人は花粉症にならないといいます。都会では排気ガスが花粉に反応させる人体を作った、というけれど、確証はありません」「確証がないということは、真実ではないということです」「簡単なことほど、判らないのです。風邪の特効薬もまだですからね」
とセザンヌ先生は笑いました。

外から風の音が聞こえてきます。
ひゅー、とまだ冬の風の音です。


この先は海

2008年03月25日 | 生活




堀川の船着き場です。


僕の父方の祖父は、
伊良湖岬で、フェリーや水中翼船やホバークラフトを、
船着き場にくっつける仕事をしていました。
若い時は、確か漁師だったか、船員だったか、
海の男です。
だから船着き場は、僕ら孫達はなじみのある場所です。
祖父を真ん中に、僕といとこが道を歩いていると、
祖父は両腕に力こぶをつくり、
まだ小学生の僕といとこに、
ここにぶら下がれ、
と言いました。
僕らは、祖父の両腕にそれぞれつかまり、
小柄な祖父はャpイみたいでした。
フェリー乗り場まで僕らは行くと、
その向こうには海がありました。

終日、よい天気で、
花粉症なのでそれはそれで大変です。
でも雨より晴だね。
過ごしやすくなりました。
もう寒くはない。

「そこ亭」でカレーうどんを食べてみたら、
とてもおいしかった。
帰宅すると、もう起きていられず、
早い時間にばたんと眠りました。



空、青く

2008年03月24日 | 生活
昨夜、友人がふちがみとふなとを聴いていると、
ソファーで眠ってしまいました。
僕は筑前煮を作っていて、
とうがらしを買い忘れたので、
近くのスーパーに買いにいきました。
このスーパーは高いだろうな、
と思っていたら、
60円で、いつもと同じ値段で良かったです。

玄関を開ける音で、
友人は目を覚まして、
「あー、寝た」
と言いました。
それから、
「ふちがみとふなと、いいねえー」
と言いました。
「100万円の歌、聴きたいなあ」
と言いました。
トマトジュースと、
バナナ+グレープフルーツ+ヨーグルトの、
ミックスジュースとできたばかりの筑前煮を、
友人は飲食しました。
ヨーグルトを僕が冷蔵庫から取り出す時、
同じ棚にある納豆が目に入ったのでしょう、
「納豆はやめようよ」
と友人はマジで訴えました。
「そんな」
と僕は言いました。
そんなジュースを僕が作るとでも思ったのでしょうか。
思ったのでしょう。
そんなアバンギャルドな馬鹿な。
雨が本降りになる前に、
友人が帰りました。
雨が本降りになりました。

今朝もずっと降っていて、
雨があがったのは、
10時ぐらい。
それと同時に、
西の空に、
穴のような青空ができていて、
ぐんぐん雨雲は南東に移動して、
すっかり晴れました。
雲の速さを見ていると、
とうぜん、地上付近でも、
相当の風が吹きます。
雲は速く、南東に向かいました。

夕方には風もなくなり、
穏やかになりました。

中上健次

2008年03月23日 | 文学



朝、起きて、
隣の部屋の窓を開けようとしたら、
ちょうど、太陽が昇ってくる時でした。
やっぱり、オレンジ色のでっかいやつは、
いつ見ても僕になにがしかのことを示唆しているようで、
神妙な気分になります。

新聞を見ると、
今夜のETV特集は、
相当おもしろそうで、
1時間半の番組が、
今から楽しみです。
相変わらずETVはがんばってる、
と思いました。

それから、
週間ブックレビューを見ていると、
「エレクトラ」という中上健次の評伝を書いた作者が出てきて、
話を聞いていると本当に面白い。
中上健次の字は独特で、
丸っぽくて、びっしり改行なく詰まっているのです。
僕は全集の中の2冊だけ持っていて、
そこに生前の中上の原稿の写真が載っているから、
知っていたのです。
それで、
「エレクトラ」を書いた高山文彦さんが、
中上の原稿の字面のことも言っていて、
「曼陀羅のようで」と言いました。
僕はまったく、その通りだと本当にドキッとしました。
同時に思ったのは、
映画「バベル」のことでした。
「バベル」も、曼陀羅のようだ、
と思ったのです。
「中上は熊野を書いていても、異国のことを考えていて、
それを同時に考えていて、<路地>は、どこにでもある、
ということを思っていたはずです」
みたいなことを高山さんが言うものだから、
まったく度肝を抜かれました。
もしかしたら、
「バベル」を作った監督も、
どこか中上と接点があるような気がしてなりません。
「バベル」は、村上龍が書きそうな映画だし、
村上龍は、中上健次に捧げる小説まで、
中上亡き後に書いています。

僕はこれはいかん、
と早速、PCで図書館の蔵書検索をして、
運良く「エレクトラ」があったので、
今日返す本をバックにつめて、
開館10時までに行かねば、
ブックレビューは、かなり宣伝になるから、
誰かに借りられたら、と焦り、
県図書に10時ジャストに到着。
並んでいた人達が入っていき、
3階の階段を駆け上がり、
3階には僕が一番のり。
メモしておいた蔵書ナンバーを見て、
手に入れました。
あと、いろいろ、読みたいものを調べてあって、
それ以外でももっと読みたくて、
6冊では収まらず、
しかたなく一冊をあきらめました。
どれをあきらめよう、
と悩んでいる時間があったら、
とっとと読めばいいのですけど、
もう図書館という場所が、
僕を興奮させるのです。

その足で、市立図書館へ。
市立図書館にしかない本もあって、
こっちでも6冊借りられて、
ここで僕は10冊胸に抱えて、
4冊、戻しました。
なんか予定にない本が、
ものすごく今日は読みたくて読みたくて、
合計12冊は無理だろうと判っていても、
借りてきました。
読めなかったら、読めなかったで良いのです。
大事なのは、手元にあるかないかで、
読みたいものから、読んでいくのです。
未読になれば、また借りればすむことですし、
本が呼んでいる時は、
とにかく借りる、読むしかないのです。
読書嫌いの僕には、
こんなことはめったにないことですから。





こういう写真、
一度、アップしてみたかったのです。
あこがれだったのです。
これでまた夢がひとつ、
叶いました。






桜と香箱

2008年03月22日 | 生活




夕方からやっと散歩をする時間ができたので、
リュックをしょって、歩。
歩いていると、もう半袖の人がいて、
あ、いいかも? と思い、
今年初めてのTシャツで、歩。
ぜんぜん、寒くない。やっぱ、春です。

写真は堀川沿いの桜のつぼみ。
もう、来るね、明日にでも。

ぽこぽこ歩いて、
とても安い八百屋まで。
リュックにたくさんの野菜を入れて、
これがかなり重い。
たぶん、疎開先からじゃがいもをしょって、
歩いた人は、
こんな重さを毎日、体験してたんだろうな、
と思。

行きはあまり風景に敏感じゃなかったのに、
帰りはびんびん感じて、帰ってきました。






この写真は、もう咲いている桜。
を撮ろうと思ったのですけど、
もう日が陰っているので、
あまりうまく映らず。
桜をあきらめ、
しかたがないので、
僕が近寄っても、
香箱を作ったままの、
猫を二匹、写。
判りますか?
左の猫は、
見つめていました。
右の猫は、
笑っていました。

そんなこんなで、
2時間も歩きました。

帰ってから、
さんまを焼いて、
筑前煮を温めて、
春の夕食。

ということは

2008年03月22日 | 生活
来週、月曜、火曜(24,25日)が、
急に労働になりました。
それで、また弁当を作らなくちゃいけないので、
八百屋に行きました。
ところが、労働先から電話が入って、
「月曜、雨なら順延になるかもしれない、」
と発し、
げえ、「月曜、雨だよおおおおおお!」
と返し、
ということは、
天気次第で、火、水(24,25日)が、
労働ということになるのです。
ということは、
予定が入れられない、
ということです。
ということは、
もしかしたら、
いつ、休みで、
いつまで順延になるか、
判らないということです。
弁当、どうしましょう。
まるで、

「梯子をはずされたような」

気分です。
二日間には、間違いないけれど、
予定が立たない。ふむ。



ヒーのワルツ

2008年03月21日 | 音楽
僕が尊敬するまわりの人達が、
口にする京都のバンド、
ふちがみとふなとの、
「ヒーのワルツ」
をやっと入手して、
聴きました。
こっちも、
すんごく良い、
としか言い様がないのです。
あまり良いので、
二回続けて聴きました。
でも二回目の途中から、
眠ってしまいました。
渕上純子さんの声や、歌い方が、
本当に上手、
詩もユニークだし、
船戸さんのベースも、勿論、良いです。
一番、素敵だな、と思ったのは、
歌とベースだけが基本のバンドであって、
そのシンプルさが、
とても現代的だと思いました。
だから、デリコも良いのだけれど、
音(声も含めて)が少ない分、
声も楽器も、
すぐ横で演奏していてくれるような、
ロマンティックな言い方をすれば、
すぐ横にいてくれるような、
優しい「ふちがみとふなと」でした。
すぐにでもライブに行きたいと思ったけれど、
スケジュールを調べたら、
まだ名古屋は先のようです。
その頃は、また小説書きに追われているかも、
と思うと、少しガッカリしました。

ふちがみとふなとは、
一昨年の、大阪は服部緑地で行われた、
春一番コンサートで、
初見でした。
その時、僕よりも、
連れの方が、
「良いねえ」
と漏らしていたのを覚えています。

その数年前、名古屋は今池の得三というライブハウスで、
いとうたかおさんとエミグラントのライブを観に行った時、
船戸さんがエミグラントでも、
ウッドベースを弾いていて、
あの時のペケ(いとうたかおさん)と、
エミグラントとの共演は、
本当に刺激的な音でした。
誰かがあのライブを、
そのままペケのCDにできるね、
といったことを言っていましたけれど、
本当にそうだなあ、と僕も今でも思っています。
ライブは、
一回性なので、
ああいう素晴らしい演奏を聴くと、
本当にラッキーだった、
としか言い様がありません。

ふちがみとふなと、
は、
たとえば、
矢野顕子あたりが、
「こんなに素敵な音楽があるなんて!」
とニコニコして言いそうな気がして、
知ったら、きっとカバーしそうです。
もっと有名になって、
たくさんの人に聴いてほしいな、
と思いました。

それと、「ヒーのワルツ」を聴いていると、
鋳?シ人作「無能の人」を思い出しました。
あの映画の音楽は、ゴンチチで、
似ていなくもないけれど、
ぜんぜん違います。
そこで連想したのは、
「無能の人」が大好きだと言っていた、
大貫妙子のこと。
ふちがみとふなと、
は、
大貫妙子も、きっと気に入る音楽だと、
思いました。

そうそう、
さっき書いた「バベル」の音楽で、
坂本龍一の曲が流れていました。

バベル

2008年03月21日 | 映画
今日は一日、よく晴れました。
風も雨の後はよく吹きます。


昨夜、映画「バベル」を観ました。
もの凄く良かったです。
どうして良いのだろう、
と、お風呂に入りながらここに書く要点を、
考えていたのですけれど、
まだ、もの凄く良かったとしか、
言えない。
モロッコ、東京、メキシコ、
での人々が、
絶望的な状況に追いやられていくのですけど、
その過程が本当にありそうな感じなので、
まるで映画じゃないみたいです。
特にメキシコの国境あたりで、
炎天下、さまようシーンは、
すごく恐かった。
でも、青い空が、パッと映されて、ハッとした。
青い空を、こんなに無情に現す映画は、
久しぶりで、北野とか、ゴダールみたいな、
青色のショックでした。
そして、誰も死なない映画。
「J-POP」という店の名前は、
日本人としては、妙な印象を受けましたけれど、
ダイナミックな構成には、
本当にどっかああああーん、
と来ました。
一週間レンタルなので、
もう一度観ることができます。
たぶん、僕が今年観るだろう映画の、
ベスト10に、
入ることになる映画です。
ああ、良い思いした。

自虐の詩

2008年03月21日 | 映画
映画「自虐の詩」を観ました。
最近、レンタルになったようで、
昨日借りて、今日返さなくてはいけない。
評判を知らない映画でしたけど、
「嫌われ松子の一生」の、
中谷美紀と、
「結婚しない(ん? できないだったかな?)男」の、
阿部寛が主演なので、
面白いに決まっています。
ちょっと「嫌われ松子の」の続編みたいに思いましたけど、
やっぱり違います。
「自虐の詩」なんて、
とんでもなくダークな感じがするけれど、
これはお笑いの映画です。
そして、恋の映画です。
ラストの方は、
ちょっとうっとりします。

というわけで、
目がちかちかしていますけど、
この映画も、あたりー、でした。めでたい。