kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

プロパガンダ

2015年11月15日 | 生活
https://www.dailymotion.com/video/x3cvjhq_%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3-%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%83%8F-%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E8%99%90%E6%AE%BA7%EF%BC%90%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F_news

一時間もある映像はくたびれ
でも
見たい

こういう番組が作られた

人々は言う
「目を覆う出来事だ」
しかし
わたし、
感傷は一切なくて

どうしてこういうことが起きたのか
それを知りたくて

『プロパガンダ』
という言葉が頻繁に使われることに
引っかかり

映像の起承転結の
「結」は
医師たちによる
致死の薬物投与
意図的な餓死

というふうであって
ナチスの意図は
「承転」

「起」は
優生学を唱える
医師たち

この動画では
「真実です」
と言い
確かに
真実であることだろうけれど
それを「隠された」と銘打って
衝撃を与える方法

文学には比喩より
もっとわかりにくい暗喩という言い方があり
暗に示唆する
という意味で使用される方法があり
この動画に
暗喩を感じる
それは
「プロパガンダ」
というキーワード

すべては
医師たちの積極的な優生学である
と結する内容

重ねて
「『起承転結』」の
「承」
「転」
にのみ
ナチスという特異な政治が
盛りこまれて
(ヒットラーの珍しい映像付きで)

映像の衝撃に隠されたもの
このETV特集の映像こそ
プロパガンダではないのだろうか?

そんな疑問が生じ
現政権への
「幸福な妄想だよ」

一笑されれば
ホッとするのに


プロパガンダとは
巧妙な宣伝
ナチス「だけ」が
悪いわけではない
最初に悪いのは
医師であり
最後に悪いのは
医師である
とする
番組の作り方に
とても
興味があり

プロパガンダ

誰もが
わたしも
自身をプロパガンダ

文学も
プロパガンダ
効果的に
事象をどう扱うか
どう見せるか

文学は手法
どう書くか
このブログでさえ
プロパガンダ

真実はない
解釈だけがある
と言ったのは
ニーチェ

演出に気をつけ
生活してゆきたい




足三里

2015年11月11日 | 生活
熊本
島崎
山を駆けずり回って
鳥を捕まえ
皮をはぎ
火を炊いて
焼いて
その場で食べる
そんな子供時代

小川
魚を手づかみ
ハヤ

大晦日
金峰山
御来迎
2時間歩いて
またさらに
2時間歩いて
弁当はおかあさんに


---

足三里を押す
おじいちゃんの歌 鳴る

こんなに冷たい風

コーンャ^ージュの歌
カフェオーレの歌





新宮 東仙寺

2015年11月10日 | 生活
10時間眠る
労働時間の始まりも
30分遅くしてもらった
晴(雨あがり)

川沿いの木の葉の美しさ
生きているということに
感謝
空も美しい

こころの疲れは
からだの疲れ

改めて
知る

---

新宮の
東仙寺

ヤマダさんは
言った
行ってみたい
そう思った
大馬神社の所在も
ヤマダさんの言葉の中にあった
きっと
東仙寺も
良いに違いない
旅の友に伝えなければ
そのうち

熊野に行きたい

L修験道で
涙する朝

---

罪を憎んで
人を憎まず
「ごはん食べた?」
(フィリピンの生活について)

---

りんごと
ヨーグルトと
キャベツを買った



人が好きになった

2015年11月09日 | 生活
雨は
朝のみで
あがり
うれしい

人(間)が好きになった
「おじいちゃんの歌」

言葉を書いた
たくさん眠った
おいしいものを食べた
友としゃべって笑った
銭湯で安らいだ
そういう昨日の流れの先に
人が好きになった
つまりは
世界が
近くなった



湯治

2015年11月08日 | 生活


大根の煮つけ
睡眠
肉ランチ
コーヒーではなく
ミルクティー

流れで
近くの銭湯へ
薬湯につかり
体を洗い
二階の露天風呂へ
雨が湯船に落ちてきて
ライオンの口から
湯が出ている
ぬるめのお湯に身を浸し
体の芯から
温まるとは
このこと
半身浴
全身浴をくりかえり
湯治という言葉が
ぽこっと
お湯から出てきた

流れを作ってくれた
友に感謝



冬に至る

2015年11月05日 | 生活
ありがとう
という気持ちが
静かに波打っていた

わたし
本末転唐ゥも

足の悪い男が
西日の中を
歩いていった
日は傾き
もうすぐ冬至 (冬に至る)

話をしたくても
体力がない
あの夏の夕暮れ
まだわたしたち
元気だったのに

けれど
冬に至れば
また
新たな果実が実る
それを得て
手でとって
かぶりつき
腹に落としてから
それから
改めて
クリティックシンキング

須藤先生

2015年11月04日 | 生活
スマホで調べてもらった
めぼしい住所を見つけ
定時に労働を終わらせてもらい
予約の電話を入れ
自転車で路地を入ってゆく

階段をあがり
受付で名前と住所を書く
カーテンの向こうの机の上は
乱雑で
大きな図鑑を広げて
説明を受け
コピーをもらった

安心して
ぐったりと疲れ
どんどん庵で
うどんを食べた

わたし
こうやって
いつも
不安にさいなまれ
生きてゆくのか

多めに入れた
ネギを食べた

須藤先生は
良い感じの人で
それが本当に良かった