昨夜は
新栄町にある
『きてみてや』
に
いとうたかお氏のライブを
見に行きました
数年ぶりの
バースデイライブ
以前はマイクなしの
生歌だったので
後ろの方に座っていると
歌とギターは聞こえても
MCが聞き取れなかった
今日はマイクがセットしてあり
内心
やったあー
って思いました
『そうかい』というアルバムを去年の初秋に買って以来
スマホで通勤時
何度も何度も聞いていて
首が痛かった時は
表題曲「そうかい」
にどれだけ癒されたことか
何があっても
どんなにつらくて
苦しいことがあっても
悲しいことがあっても
さみしいときがあっても
「そうかい、そうかい、そうなのかい、そうかい、そうなのかい」
と
いとうたかお氏の歌声が
ちゃんと受けてくれているようで
それは
いとうたかお氏(通称ペケ)
が歌っているのだけれど
何だろう
大きなものが「そうかい、そうかい」
と
わたしの無言の痛みの
叫びを
嘆きを
聞いてくれているような気がして
曲の中で
ドーンという低音の銅鑼のような音が
何回か打たれるのを聞くと
それは天地の源から
聞こえてくるようで
そんなアルバムから
何曲も今日は聞くことが
今日のペケは
凄く良かった
同時代に生きて
こうして
生で聞くことができる幸運
もうおそらく
40年以上
ペケの歌を追いかけ
考え
会い
話し
教えられ
何十回も歌を聞きにゆき
本人が
「小径にて」
という歌について話し
初めて歌ったという年のまちがいを
秘かに思い
あれは
1983年ではなく
もっと前
今池yuccaで
1980年
ペケがキャラバンの影響を受けて
forksongから
beatに変化する時だから
ペケが言うより
3年は以前に
「小径にて」
の初演はしているはず
それは今回アルバムにも参加している
朋友の宮嶋哉行氏も目撃者の一人であり
我々にとって
ペケはいつまで経っても
稀有な大先輩のグル(導師)である
以前
書いたかもしれない
わたしの書く小説や詩は
ペケの歌を
なぞっているに過ぎない
そして何気なく昨朝
ネットで見つけたこと
今年の大阪は服部緑地公園での
祝春一番コンサートに
ペケと一緒に演奏する人物
バイオリニスト宮嶋哉行の名前があって
本当に驚き
友人にもLINEした
そのことを宮嶋にもペケにも
昨日伝えることができた
このうれしさは格別
駒沢裕城さんとペケとの
『あの日ボクらは』という歌の中の歌詞
『無分別な神』をめぐる
話
この両者の深みの面白さ
40年という歳月は
何だろう
ずっとペケを聞いてきた
という自負はある
にわかファンではない
という思いもある
苦しい時に
ペケの歌で
救われてきた一人であるし
今のできごとも
これからのできごとも
もちろん
過去のできごとも
ペケの歌が
答えに導く
ヒントと知恵と心持ちを
示唆してきてくれた
木
空
海
草
風
朝
夜
闇
光
祈り
言葉
音
音楽
歌
人
笑顔
内心
沈黙の志
雲
虹
鳥
川
虫
ベランダ
体
汗
持続
変化
科学
探求心
好奇心
歩行の重要性
借景
心
魂
全部
ペケの歌の言葉
または話し言葉から
もらった
考えさせられ
気づかされた
これからも
それは変わらない
と
思う
はず。。。
新栄町にある
『きてみてや』
に
いとうたかお氏のライブを
見に行きました
数年ぶりの
バースデイライブ
以前はマイクなしの
生歌だったので
後ろの方に座っていると
歌とギターは聞こえても
MCが聞き取れなかった
今日はマイクがセットしてあり
内心
やったあー
って思いました
『そうかい』というアルバムを去年の初秋に買って以来
スマホで通勤時
何度も何度も聞いていて
首が痛かった時は
表題曲「そうかい」
にどれだけ癒されたことか
何があっても
どんなにつらくて
苦しいことがあっても
悲しいことがあっても
さみしいときがあっても
「そうかい、そうかい、そうなのかい、そうかい、そうなのかい」
と
いとうたかお氏の歌声が
ちゃんと受けてくれているようで
それは
いとうたかお氏(通称ペケ)
が歌っているのだけれど
何だろう
大きなものが「そうかい、そうかい」
と
わたしの無言の痛みの
叫びを
嘆きを
聞いてくれているような気がして
曲の中で
ドーンという低音の銅鑼のような音が
何回か打たれるのを聞くと
それは天地の源から
聞こえてくるようで
そんなアルバムから
何曲も今日は聞くことが
今日のペケは
凄く良かった
同時代に生きて
こうして
生で聞くことができる幸運
もうおそらく
40年以上
ペケの歌を追いかけ
考え
会い
話し
教えられ
何十回も歌を聞きにゆき
本人が
「小径にて」
という歌について話し
初めて歌ったという年のまちがいを
秘かに思い
あれは
1983年ではなく
もっと前
今池yuccaで
1980年
ペケがキャラバンの影響を受けて
forksongから
beatに変化する時だから
ペケが言うより
3年は以前に
「小径にて」
の初演はしているはず
それは今回アルバムにも参加している
朋友の宮嶋哉行氏も目撃者の一人であり
我々にとって
ペケはいつまで経っても
稀有な大先輩のグル(導師)である
以前
書いたかもしれない
わたしの書く小説や詩は
ペケの歌を
なぞっているに過ぎない
そして何気なく昨朝
ネットで見つけたこと
今年の大阪は服部緑地公園での
祝春一番コンサートに
ペケと一緒に演奏する人物
バイオリニスト宮嶋哉行の名前があって
本当に驚き
友人にもLINEした
そのことを宮嶋にもペケにも
昨日伝えることができた
このうれしさは格別
駒沢裕城さんとペケとの
『あの日ボクらは』という歌の中の歌詞
『無分別な神』をめぐる
話
この両者の深みの面白さ
40年という歳月は
何だろう
ずっとペケを聞いてきた
という自負はある
にわかファンではない
という思いもある
苦しい時に
ペケの歌で
救われてきた一人であるし
今のできごとも
これからのできごとも
もちろん
過去のできごとも
ペケの歌が
答えに導く
ヒントと知恵と心持ちを
示唆してきてくれた
木
空
海
草
風
朝
夜
闇
光
祈り
言葉
音
音楽
歌
人
笑顔
内心
沈黙の志
雲
虹
鳥
川
虫
ベランダ
体
汗
持続
変化
科学
探求心
好奇心
歩行の重要性
借景
心
魂
全部
ペケの歌の言葉
または話し言葉から
もらった
考えさせられ
気づかされた
これからも
それは変わらない
と
思う
はず。。。