昨日、映画「ワカラナイ」を観てきました。
嗚咽を抑えて、最後のシーンを見終え、
映画館はやっぱりだめだ、
特に映画は、
声を出して泣いてしまうので、
ハンカチを口に当て、こらえました。
この作品を観にいく大きなきっかけは、
いとうたかおさんの歌「Boy」が、
映画に添っているからです。
新しいバージョンで録音された「Boy」は、
映画にとてもよく合っていました。
あれこれ言いたいのですけれど、
いわゆるネタバレになってしまうので、
困っています。
上映後、一緒に行ってくれた友人二人と、
「ワカラナイ」について、
しばらく合評をしたのだけれど、
そのときに言い忘れたことを、
帰ってから思いつきました。
それは、
時代が歌に、
追いついた瞬間を、
映画館で僕らは、
確かに立ち会ったということです。
今日、レンタルで借りてきた映画が、
面白いのだろうけれど、
どうしても面白くない、
今、こうして書いている時にも、
「ワカラナイ」という映画が、
じわじわと迫ってきています。
それは上映中にも、感じたことで、
じわじわと、胸に宿ってくる感じが、
すごくて、
こんな映画体験はあまりない。
ぐい、ぐい、と押されるというか、
何だろう、
本物のすごさ、
とでも言ったらいいのかな、
どうにもワカラナイのだけれど、
何か胸に宿る感じです。
となると、
当然、もう一度観たい、
という欲求があります。
小林政広監督なんていう人は、
すんごい才能があるとしか、
思えません。
映像はきれいだったし、
現実にはそれはありえないだろう、
というシーンがありましたけれど、
そういった細部、を吹っ飛ばしてまでも、
言いたいことがある、
それを物語にしたい、
細部を飛ばし、
残ったのは、
生きている、という、
リアルさ。
こういうリアルもあるんだな、
と本当に僕はそう思いました。
あともうひとつ。
鳥のことです。
映画の中で、
鳥の鳴き声が聞こえます。
ホトトギス、
そして、
カラス。
僕はこのことが、
勘ですけれど、
この映画の深部にかかわる、
大切なことだと、
思いました。