kotoba日記                     小久保圭介

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志賀公園

2010年01月24日 | 生活



先日、散歩の途中で、
志賀公園を通り抜けました。
僕のところからは、
名城公園が近いけれど、
この志賀公園も、
同じぐらいの距離です。
池があって、
こんな小道があります。
静かな公園で、
あまり人もいなくていいです。
この小道を抜けると、
池に出て、
以前はボートがありました。
公園を出て、道なりに、
東に向かうと、
北図書館の前に出て、
もっとまっすぐ行くと、
川(黒川の上流)に出ます。
橋を渡って、
きれいな川面を見、
野鳥保護区のゾーンを歩いて、
もっと東に行くと、
カーマに出ます。
続いて、上飯田はダイエー。
戻って、
この小道あたり、
少し北へ行くと、
角に安い八百屋があります。
公園、図書館、川、カーマ、ダイエー、八百屋、
などが、
散歩の途中の点在所、および目的地です。
志賀公園は、小さいけれど、
僕にはとても合っている公園です。
歩いていたり、座っていたりすると、
それがよく判ります。
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ワカラナイ

2010年01月17日 | 映画
昨日、映画「ワカラナイ」を観てきました。
嗚咽を抑えて、最後のシーンを見終え、
映画館はやっぱりだめだ、
特に映画は、
声を出して泣いてしまうので、
ハンカチを口に当て、こらえました。

この作品を観にいく大きなきっかけは、
いとうたかおさんの歌「Boy」が、
映画に添っているからです。
新しいバージョンで録音された「Boy」は、
映画にとてもよく合っていました。
あれこれ言いたいのですけれど、
いわゆるネタバレになってしまうので、
困っています。
上映後、一緒に行ってくれた友人二人と、
「ワカラナイ」について、
しばらく合評をしたのだけれど、
そのときに言い忘れたことを、
帰ってから思いつきました。
それは、
時代が歌に、
追いついた瞬間を、
映画館で僕らは、
確かに立ち会ったということです。

今日、レンタルで借りてきた映画が、
面白いのだろうけれど、
どうしても面白くない、
今、こうして書いている時にも、
「ワカラナイ」という映画が、
じわじわと迫ってきています。
それは上映中にも、感じたことで、
じわじわと、胸に宿ってくる感じが、
すごくて、
こんな映画体験はあまりない。
ぐい、ぐい、と押されるというか、
何だろう、
本物のすごさ、
とでも言ったらいいのかな、
どうにもワカラナイのだけれど、
何か胸に宿る感じです。
となると、
当然、もう一度観たい、
という欲求があります。
小林政広監督なんていう人は、
すんごい才能があるとしか、
思えません。
映像はきれいだったし、
現実にはそれはありえないだろう、
というシーンがありましたけれど、
そういった細部、を吹っ飛ばしてまでも、
言いたいことがある、
それを物語にしたい、
細部を飛ばし、
残ったのは、
生きている、という、
リアルさ。
こういうリアルもあるんだな、
と本当に僕はそう思いました。

あともうひとつ。
鳥のことです。
映画の中で、
鳥の鳴き声が聞こえます。
ホトトギス、
そして、
カラス。
僕はこのことが、
勘ですけれど、
この映画の深部にかかわる、
大切なことだと、
思いました。


コメント (2)
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息する言葉

2010年01月01日 | 文学
元日は、雪です。
中学生の時、
新聞配達をしていました。
元旦の新聞は、いつもの3倍はあって、
二度に分けて配達した覚えがあります。
自転車の荷台にくくりつけるには、
多すぎて、転唐キると、大変だから。
まして、
今日のような雪の日は、
配達は二重に大変だと、
想像しました。

厚い元旦の新聞を見ると、
当たり前ですけれど、
明日は休刊日。
たまに祭日の時、
「明日の朝刊はお休みさせてもらいます」
とあると、
ちょっぴりがっかりします。
あまりいつもは意識していないけれど、
僕は新聞が好きなんだと思います。
疲れている時、本は読めなくても、
新聞だけは読めます。

今朝は、
谷川俊太郎の詩が、
大きな字で載っていました。
読んでから、
いきもの地球会議(COP10)に添って、
書き下ろしされたものだと知りました。
長いけれど、
引用します。

---

みんなちがって   谷川俊太郎

たとえれば
この世は複雑精緻(せいち)なジグソーパズル
ありとある生きものがパズルの一片
風に乗るもの 地をはうもの
砂にひそむもの 岩に棲(す)むもの
水に潜るもの 草原を駆けるもの
ピースひとつがまた枝分かれして
数え切れないピースがひしめき
どんな小さいピースが欠けても
世界はその傷口から病んでゆく

たとえれば
この星は和音に満ちたオーケストラ
そこではひとつひとつのいのちが楽器
囀(さえず)るもの 吠(ほ)えるもの
コトバもつもの うめくもの
黙っているもの 地響き立てるもの
繊細微妙ないのちの波動が
スコアに書けないいのちのとどろきが
太古から豊かな調べを奏でている
確かなリズムを刻み続ける

自然が生んだ生きものたちの
さまざまな形さまざまな色さまざまな性(さが)
ヒトの都合で左右できない天与の豊饒(ほうじょう)
それをかつて一人の娘はこう記(しる)した
「みんなちがって みんないい」

(末尾のことばは、金子みすずの詩「私と小鳥と鈴と」より

---/----

谷川俊太郎はかなり高齢になったと思います。
それでもこんな詩が詩人には書けます。
去年読んだ新刊「私」も、凄く良かった。

去年の新聞で、
まどみちおさんの詩が、本人の写真付きで載っていました。
まどみちおさんは100歳、現在、
アルツハイマーのため、入院中とのこと。
それでも、現在なお、詩をお書きになっていて、
おおきな顔写真を見ると、
顔にたくさんのイボがくっついていました。
それは魚にくっついている丸い小さな貝と、
重なりました。

みんなちがってみんないい、
という金子みすずの言葉は、
あまりに有名ですけれど、
こうして谷川俊太郎によって、
引用され、解釈されるのを見ると、
「みんなちがって みんないい」
という言葉が、
本当に生きている、息をしている、
と感じます。

言葉。
声に出してみると、
肉体化される、
その不思議。

コメント (2)
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