『身体障害者となって生きていくということ』
これでまた
苦しい人生になるのだろうな
身体障害者となって
苦しい人生に
なってゆくのだろう
しかし よく考えてみればいい
健常者であっても
苦しい人生になっているではないか
身体障害者と健常者
この両方が社会性
生きている時に
苦しみを忘れる時が
たくさんある
すべての人に
苦しみを忘れる時が
たくさんある
忘れる人もいるし
自分の痛みから
忘れる人は賢者
生物はすべて苦しい
今日どうなるかわからない
今
想像力ならば
虫を見ればわかる
人間は 備蓄した
それが当たり前と思うのは
間違っている
今どうなのか
今日どうなのか
わからない
観察人は
苦しみが見える
すべての人に
任せるということ
この勇気が
どれだけ強いものなのか
わかった
生き続ける意味の
人に任せるという勇気
だからこそ
強くても弱くても
生きていく
覚悟
私
生きていきます
健常者からの目で
車椅子を押していた頃がある
私はまだ ありがたいことに
杖で歩いて
身体障害者となって
苦しいけれど
本物の苦しみは
これから来るのだけれど
それでも何でも
私は
もっと生きてゆく
健常者だろうが
精神障害者だろうが
身体障害者だろうが
生きていく
すべての人を
大事にするために
生きていく
人の苦しみはわからないけれど
少しだけでも声をかけよう
少しだけでも静かに横にいましょう
何もなかったら
笑顔だけで十分
利他
は
人のためじゃない
自分のためだ
苦しみから忘れる時は
人のために思う
そのことを
恵みとして持ったのは
人を思うことのみ
諦めない
戦う
常に私たちは数秒で
変わっていく
心と身体は常に
数秒に変わって
本当の自分自身を
観察してゆく
それが私の仕事
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