kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

文学の役割(木村友祐の言葉)

2019年08月31日 | 生活
昨日か一昨日の
中日新聞
『大波小波』
の記事が目を引いた
切り抜きしたけれど
どうぜまたどこかになくしてしまうので
ここに書き写したい




芥川賞候補となった社会学者古市憲寿の『百の夜は跳ねて』に対する選考委員たちの厳しい選評(『文件t秋』9月号)が話題になった。古市は参考文献として、同じビルの窓ふきの仕事を主題とする木村友祐の小説「天空の絵描きたち」(『文学界』2012年10月号)を挙げたが、その利用の仕方に疑問が示されたのである。その是非は今は問わない。
 むしろ私がハッとさせらたのは、木村の次の言葉だ。「この件に関しては、『無名』の僕のことを心配してくださるより、また小説云々より、街を歩いていて見かける、ガラスの反射熱を浴びながらビルに張り付いて窓を拭く人たちに想いを寄せてくれた方が、うれしいです。こんなに機械化が進んでも、窓拭きは人力で、今も時には人が亡くなります」(本人ツイッターから)。
 目線が違う。文壇やネットという「コップの中の嵐」よりも大事なものがこの世界には山ほどある。そう極端に言えば、木村にたしなめられるかもしれない。だがかつての文学者たちの覚悟を思い出す。小説など滅びても構わない。苦しむ人々がもはや文学に救いを求めずに済むような現実が実現しさえすれば。文学がその絶頂の力で役立ってくれるなら…。


------

この記事を読んで、
久しぶりに切り抜きたいと思ったのは、
まず

① かつての文学者たちの覚悟の詳細と、その氏名に興味があったから。

② 苦しむ人々がもはや文学に救いを求めず、が究極に良い。という記述。これはドキッとした。今、文学に代わる媒体として、苦しむ人々が何に救いを求めるか。
まず、マンガ、アニメ、ゲーム、ハウツー本、映画、音楽、歌、歌詞。
そして先に記述した、相田みつお、ひろはまかずとしさんたちの短い語句である。
判りやすく、すぐに胸に飛び込み、苦しむ人を救っているからこそ、たくさん相田みつお、ひろはまかずとしさんたちの、絵と言葉は売れるのだ。求められている。現代に。

③ 高田渡さんというフォークシンガーの言葉「歌わないことが一番良いんだ」
と通底している以前の文学者たち。



つまり乱暴な言い方をすれば
書き写した記事の内容は
名もなき民の苦しみの目線である。
古市さんは古市さんで本当に聴覚障害者のために
ラディカルで大事な仕事をしているし、
それをふくめて古市さんを批判するつもりはいっさいない。

ただ、文学の役割が、現在と以前では違ってきているということ。
記述の中で「文学に救いを求める」
とある

そこにもう一つ書き加えるとしたら
高橋源一郎が以前言っていた言葉だ
「文学に救いを求めるなんて甘いですよ」
それは一般読者に向けて発されたものだと思う。
そして書き手の意識のあり方としても
今一度、言っておかなければいけない
という危機感からだろう。

ここがラディカルな源一郎の立ち位置である
すでに苦しみから救う文学が終わり
違う媒体があふれた時
文学はどこへ行くのか
という命題を含んでいる

それは言葉以外
何もない

言葉の運動性と身体性に
文学の新たなというか
非社会的な役割がある

それは
言葉そのものの
現象であり
面白さ

なんだろうな
と思う

文学の黄金期は過ぎ
今は言葉の世界だ
詩人 最果タヒに代表される
言葉の運動性と
感覚だ
そして
くどいようですけれど
身体性という実感

理と情を考える
理には情を
情には理を

高橋源一郎と谷川俊太郎の対談で
かなり前の新聞で
「これから言葉はもっと短くなる」
という記事があった
ツイッターをはじめ
本当にそうなってきている
もう長い文より
短い文を先に読む
それは誰しも実感があるのではないだろうか

けれど長い文でしか現わせないという
ことも当然だけれどある
論文がそう
理には明晰なディティールが必要であり
でなければ
理にはならず
題になる


源一郎のラディカルな発言を承知した上で
「言葉を持たない者たちの通訳者」
と言った津島祐子の言葉を
わたしは今でも信じている









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『3つ良い事』運動推進本部室より

2019年08月31日 | 生活
人間はひまになると
いろいろ
暇つぶしを探すみたいです


最近
面白いアプリを見つけた
というか
教えてもらった
「寝言、いびき」アプリ。

寝る前に頭の近くに置いておいて
スタートボタンを押すだけ

いやあ驚いた
寝言、言ってる
ただ何を言ってるのかは不明
いびきはあまり聞こえない
もっといびきが酷いと思っていたので
ホッ
いや
アプリが拾っていないだけかも

それにしても
いびきと寝言を言っている
時間帯がそれぞれ表示される
朝まで録音しっぱなしでも
電源はあまり減っていない
iPhone専用アプリが断然多いけれど
androidもあるので
助かった

寝言はわたしの場合
寝てすぐに言って
朝まで無言
夢は見てるんだけどなあ

今朝はビートルズの夢を見た
何故だかまったくわからん
無意識にもない古い知り合いが出てきたり
夢ってなんか浮「わ~

最近

歌が鳴っている
寝る前に
ライブ映像を見ているから
昨日一昨日はあの歌
今日はあの歌
楽しい

労働している時は
ほぼ労働の夢
嫌になる
寝ても醒めても
ってうんざりする

今は
というか
最近は悪い夢はなくて
良い夢もなくて
わけわからん夢ばかり
夢診断とかしたりするけど
あれもアテにならない

夢見ない
熟睡してないんじゃないの?
と言われると
なんか
損してる感じ
8時間寝ないと
あかん体
やっぱ
睡眠が浅い
と思う
6時間でも
最近はキツイもんなあ

目覚めは悪いけれど
朝シャンの習慣を取り入れてから
スッキリ爽やか
ひどいことばかり続く夏だけど
いい事もある

3つ良い事
ということも
いぜん
思った
寝る前に
今日も散々だったけれど
辛く苦しく悲しく寂しくきつい1日だったけれど
3つくらいいいことがある
と思って
3つ思い出して
寝る時があった

オムライスがおいしかった
とか
雨に降られなかった
とか
自転車で坂をのぼることができた
とか

些細なこと

落ち込む時
昨日あった良い事を思い出す
落ち込むまでの良い事3つを
思い出す
すると
3つどころじゃない
たくさんいいことがあった
それは本当に些細なことだけど
それがたくさんあれば
幸せな気分になってくるから
不思議

落ち込みを
いい事で塗り替える
塗りつぶすのだ

これはけっこう
マインドコントロールとして
たいてい
うまくいく
我ながら
たいへんな生き方してる
こんなこと
書いてるんだしね

『3つ良い事』
のヒントは
以前
絵葉書をもらった時からだった
そこには絵と
文字があった
「星の数ほどの恵みに今日も感謝」
その絵と言葉を書いた人を調べると
蒲郡市に住んでいて
開放されているギャラリーもある
早速行ってみた
蒲郡で降りて
山をのぼってゆくと
その作者、
ひろはまかずとし氏

作品が山ほどあった
BGMはハンバートハンバート
類は類だな
と思いながら
見ていた

当時は
なんか凄い感動して
胸に宿った



「星の数」ほどないと思うけれど
3つくらいならあるだろう
と思ったのが
きっかけ

今となっては
本当に星の数ほど
かもしれない

村上春樹も
ずいぶん前
『小確幸』ということを言っている
つまり
小さな幸せの集まり
みたいな感覚が大事
って

なんだ
おんなじことじゃねーか
と思った

3つ良い事
寝る前に
お試しあれ
きっとあるよ



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実感した塩梅と、直喩となった『らっきょうの皮むき』

2019年08月29日 | 生活
    




     


             

    


            


     


梅干しの工程
初めてつくったわりには
食べられる味です
やったあ~
でもまたスーパーで
つぶれ梅が安く売られてきているので
来年はもう作りません

らっきょうも初めて作った
これは簡単
おいしい
市販のらっきょうは
みんな形がいいけれど
泥がついたらっきょうは
細長い

塩梅という言葉も
塩抜きの写真はないけれど
実感できたし

いくら剥いても皮しか出てこない。中身がないようなこと。
という
「らっきょうの皮むき」
の比喩も
直喩となった
本当は非凡を演じているけれど
実は平凡だということがこれで実証されたわけですねハイ

あと糠味噌、ぬかみそ、だ
「糠味噌臭い男」
ってええじゃろうが。
生活を書くというのは
本当にそうなんだと思う


梅干しはパックに二つ
一応
冷蔵庫に入れてあるけれど
常温でも大丈夫らしい
この天日干しの工程を経れば
50年は
もつという
どえらいものを
今年はこしらえてしまった!

らっきょう漬けの写真も
もう一度
ついでにアップします
どやっ。



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~しないより、~したほうがいいだろうなあ

2019年08月29日 | 生活
散歩していて
ある「感じ」に
気づいた

「~しないより、~した方がいいだろうなあ」

という思考。
ゆるい、感じ。

あらゆることに当てはめてみた
すべて
当てはまる

今まで力み過ぎてきた
「もっと力抜いて」
と何度言われても
できなかった
生真面目だと言われても
ピンとこず
自己分析不十分

何か
楽になった

たとえば
リハビリ代わりにやっている
早朝散歩
「散歩しなきゃ、しなければいけない」
と思っていた
けれど

歩いているとき
「散歩しないより、散歩した方がいいだろうなあ」
と思った
何かピンと来た
健康にも当てはまる
「野菜を食べなくてはいけない」
から

「野菜を食べないより、食べた方がいいだろうなあ」

ゆるい
力が抜ける

塩梅という言葉
梅の塩抜きをする時
『呼び塩』なんて言葉も覚えた

まさしく
「ちょうどいい塩梅」
にするために

この
「~しないより、~したほうがいいだろうなあ」
がわたしには
ピッタリくる
結果
あらゆることに
力みがなくなり
うまくゆく

思いつき
降ってくる思考は

歩いている時が
多いような気がする
起きてすぐとか
起きた瞬間とか
まだ
脳がRESETされて
情報が寝ている間に整理整頓され
からっぽになった脳内に
ぽっかりうかぶ
長い思慮の
結論
または
インスピレーション


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良心を探そう

2019年08月28日 | 生活


昨夜は毎月送られてくるという
ネットショッピングのメールを見て
驚き
すぐに対応
発送を途中で止めることにやっき

最近のネットでは
あえて
退会させないように
退会する手続きが不明瞭になっているサイトが多い
携帯電話しかり

ほっとくと
無駄な契約をずっと続けることになる

昨夜は寸前で気づいて
今日もその対応をした

退会、中止、停止の
手続きがわからないときは
「~の退会のしかた」
と検索をかけると
すぐに手引きが書かれてある
それほど
わかりにくくしてあるので
こういうやり方は
詐欺寸前だろうし
法的整備がしていないから
といって
たとえば
高齢者など
すぐに
無駄な契約をさせられるのではなかろうか
と今から懸念
よのなか
おかしい
以前はもっと
良心がある世間だった

今は騙された方が悪い
騙した方は悪くないのだろうか
たとえば
ケータイショップで
高齢者がギガ放題のプランに入れられる
販売員は判っているはず
高齢者がゲームや
YouTube、ティクトックなんて
見ないことを
電話とメールだけでいい
それぐらい
誰だってわかる
店の利益の方針だろうけれど
店員に
良心はなくなったのだろうか
合法的詐欺の蔓延


「書いてあります」
と言う

ネットで何か契約するときは
すぐにしつこく
契約するところを
クリックしてしまえば
アウト
それを解除する方法さえ
わからない

おかしいでほんまに




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詩作

2019年08月27日 | 生活
くもりあめ

カーペット聡
ソファーカバー洗濯
さらに
洗濯
汗かく

雨が降りだすまで
干し
降り出したら
室内干し


夜はすでに寒い
長袖
長ズボンで
寝る

詩作にふける




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ゴーヤカーテン/夏の終わり

2019年08月27日 | 生活
    
    


今年は春ごろから
蔓がからまるためのネットを貼ったり
スーパーで発砲スチロールの箱をもらってきて
大きな鉢代りにして
土もたくさん盛り
種を植え
苗を植え
ゴーヤカーテンを作るスタンバイ

たくさんゴーヤはできて
今は冷凍してある
最近できる実は大きくならず
4センチくらいで
黄色く完熟する
つまりは
もうゴーヤの季節は終わる

今日改めて見ていた
横一面だけじゃなく
上部にも紐を何本か横に張り
蔓がからまるようにしておいた
我ながら
バッチリのゴーヤカーテンを
こしらえた
おかげで
西日はかなりさえぎられたし
ゴーヤの驚異的な成長を
知るに至った

いっしょに植えた
きゅうりも負けじと
一本だけ立派な実をつけてくれた
あれはおいしかったなあ
朝取りとはよくいったもので
水分をたくさん含んでいるのは
ゴーヤでもきゅうりでも同じ

色々トラブル続きの夏だったけれど
立派なゴーヤカーテンはできた

もう秋
まだ暑いけれど
秋である

蝉もあまり鳴かなくなったし
スズムシやコオロギが鳴いている
草の中で
たくさん
どれがどれなのか
未だに聞き分けられない

熱中症対策の
OS1は
ずいぶん余った

夏が終わった
秋が来る
来ている


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きれいの人

2019年08月26日 | 生活詩
    



その人の家には
クーラーがない
扇風機を使いだしたのも
この五日ほど前からだと言う

真夏でも
暑くない
と言う
汗をだらだらかいて
タオルで拭くのだという
ビールを飲んで

その人は今年七十歳で
丑年生まれで牛のように
がっしりした体格で
ゆっくり歩く
病気知らずの病院嫌い
給料のことを賃金と言う

その人は携帯電話を持っていない
固定電話だけだと言う
プッシュホンは壊れるから
未だ
黒いダイヤル式の電話だ

その人は商店街のさびれた市場の
酒屋で
ビールケースに座って
仕事を終えると
一杯やる
なじみの客と
馬鹿話をして
その市場の中の一軒だけやっている酒屋も
数年前に店を閉め
その人は安酒を探して違う店に行く

その人はゆっくり話し
長い『間』を持っていて
みんなその人が話し出すのを待っている
思い通りの
ユーモアがあり
みんなを笑わかせては
喜ぶ
きっと
人が笑う顔が好きなのだ
その人も誰かが笑うと
いっしょに笑う

その人は
仕事がない日
商店街の始まりから終わりまでを往来し
ぶらぶら歩き
くだらないことを
考えては忘れる

その人はいつも静かで
誰とも目を合わさず
あらぬところを見て
誰かが声をかけると
笑顔で言う
天気のことや仕事のことを

その人は余計なことは言わず
誰にもさわらない
だからみんなその人に会うと安心する

その人は大きな体で
悠然としていて
真面目に一生懸命仕事をし
餃子と冷やし焼酎を飲みながら
一日を終える

その人はユーモアのある話の中で
生きる知恵の核心を言ったりするので
みんなたまげる

その人はいつも一人で静かにしている
何を語るでもなく
何を言われても
動じない
人の悪口、不満はいっさい言わず
黙って一人でお酒を飲む

その人は
わからぬように誰かを気遣う
気遣う言葉は言わず
常に黙っている

その人は自然界より
自然に生きる
それを意図して生きるのではなく
無心で行きたいところへ
行きたい時に行く




きれい、とは何ですか
その人のことです




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じゃかあしい

2019年08月26日 | 生活



朝シャワー再開命令が出た
理由はまだ眠っている体を起こし
副交感神経と交感神経のバランスを良くするためらしい
冷えはまだ大丈夫である
シャワー後散歩するならなおのことと
見解を新たにしている

血圧測定では
異常が認められず
『時期尚早ではなかっただろうか」
という識者たちの意見がまとまったためだ

いずれにしても
残りわずかの朝シャンを
晩夏に堪能するに値する
と結んでいる

保健衛生監察官長官の小久保圭造氏は
「まあどうでもええんちゃう」
と真摯な態度で発言

これによって
しばらく
朝シャンは続きそうだ
とみていいだろう


---- ---- ----


なお別件で
午前中に
方々から一挙に電話が集中したため
留守電表示の氏名を見た小久保圭造氏は
強い懸念を示したまま
対応に追われた
ところが
どの電話も
「問題なし」
という見解に達し
「あー」
と小久保氏は
ホッとした様子

しかし
電話疲労と
気温が高いことも
手伝って
終日
「何も手につきません」
と小久保氏は苦笑い
夕方からの外出もキャンセルし
疲労困憊回復のため
アイスを3つ食べ
「たまにはええんじゃばかやろう」
と報道陣に激昂した
その様子を見た
宮内庁長官ベズルアスア氏は
「アイス3つとは、ストレス解消ということではわからぬものではないが」と身体的負担を憂慮すると同時に、
「いかがなものか」
と厳しく苦言を呈した

さらに文化庁長官ラナミダホホ氏は
自動販売機の写真掲載に関して
「ピントがあっておらず、さらにこうした糖質過分飲料水の推進になるのではないか」
と憂慮をあらわにし、
小久保圭造氏のblog批判をする構えだ
「『kotoba日記』と題する記事において言葉の引用ではなく言葉の思慮でもなく、本意に沿っておらず是正を求める」
と発言し
強い姿勢で今後小久保氏に何らかの制裁処置も考慮していると
関係者に漏らしており、それについて小久保氏は
「じゃかあしいわくそたわけ」
と一喝し、各方面から顰蹙を買うことは必須とみられ
「顰蹙は金を払ってでも買え」という
文学者坂口安吾氏の言葉を引用し
対立は決定的なものになるもようだ





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夕空寝落ち

2019年08月25日 | 生活
朝シャワーの中止命令が出た

シャワーは体を
シャッキっとしてくれるけれど
出るとすでに寒い
朝の冷風が窓から窓を
吹き抜けるからだ

これは血圧にも
冷えにもつながるのが理由らしい

しょうがないので
朝シャンはやめて
顔だけ洗って
梅干しを口に入れ
名城散歩

その前に
花の水

名城もコンビニも
人がたくさん
どまつり関係の人か
見るからに
スメ[ツの関係の人多し
走っている人も
凄く多い
ん?
日曜だからかな

5時という
早めの夕食のあと
寝転んで
青い
夕空を
見ていたら
寝落ち

気がつくと
夜の10時半
真っ暗な部屋

あーびっくらこいた

あわてて
薬を飲み
歯を磨き
そのまま眠らないと
午前様になってしまう

涼しくなってきたので
いっきに体の疲れが出てきたのかな

それにしても
5時間の寝落ちって
驚くわ
それからまた眠れるのも
驚くわ



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草の川

2019年08月24日 | 生活
    


味噌汁を飲むと
熱中症予防になるらしい
そんなメールの言葉が残っていて

冷やした味噌汁を飲む

鉄道沿線沿い
南下する

コンビニで
一時間弱時間を潰し
バスに乗る


合奏

抒情詩と叙事詩



俊太郎くん


subwayで居眠り

辨野先生の冷やしそば



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どしゃ降り

2019年08月23日 | 生活
    



散歩
傘をもって
途中で
トイレに行っている間に
外はどしゃ降り

しばらく雨を見て
傘をさして
歩く

バスに乗る
雨だれの窓

貨物列車
貨物列車だ
雨の中
長い貨物列車は
岐阜方面に向かって
走っていった
それを
バスの窓から見ることができた

川の水位が増している

アイスクリームで
体を冷やすと
いくぶん
よくなり
ほどなく
平常
あのソフトクリームの美味しさ

帰宅して
疲れがどっと出たのか
二時間
良質な睡眠を得る

おかげですっきり


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見つけた宝

2019年08月22日 | 生活
見つけた
歌声が
驚く
美しい声
こんな人
どれだけぶりだろう
何度も

3つある動画を
見た
何度も何度も
驚きと
気持ち良さと

思わず
知らない歌ばかりだけれど
耳コピができる方なので
ギターで動画の歌にあわせてみた
そしたらツボ
楽しきことこの上なし

楽器を部屋で鳴らすと
部屋は喜ぶという
良い音楽を聞くと
植物も喜ぶという
その人の声と歌の素敵は
夜遅くまで
家中で鳴り
ギターもずっと
鳴っていた

生で見てみたい
けれど
プロではない
そこがいいのかもしれない
楽しんで歌っているし
自由に歌っている
欲はない
ただ
歌が好きで
時々
飛び入りで
歌っている人
好きな人の
好きな歌を歌う
本家よりも
抜群に素敵に
歌っている

こんなことって
あるんだな
コメント欄には
何故プロにならないのか
スカウトは何をしている
というコメントが目につく

ただ思う
今のままが一番いいのかもしれない
そんな気がしてしょうがない





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①は言語件pです

2019年08月21日 | 生活
http://ouraimono.terakoyapro.net/?eid=1400400

上記の
往来物手習い
というblogで
見事な図にして
吉本隆明の言語について
説明してある

つまり
②の指示表出が
伝達という言葉の作用
それがビジネスを始め
いたるところで
使われる言葉だ

大学から文学部がなくなった

乱暴な言い方を許していただければつまりそれは
①の自己表出に価値はない
ということである
つまり
件pをつかさどる言語件pよりも
グローバル重視の
コミュニケーション学科を優先
それが現実
もっといえば
実利主義
拝金主義
経済最優先主義によって
文学部
文学には意味がない
価値がない
ということが
現代日本の取り組み方である

これだけ
インターネットが
普及し
国際言語を獲得しなければ
経済発展はありえない
文化は進んでいるようにみえても
本来の
日本語の美しさなんて
どうでもいい
判りやすい言葉で
伝えることを
それも多国的言語によって
より世界的に

文学は終わった
と言われて
20年以上経った
書店から
文月盾ヘ姿を消し
小さな本屋さんは
文撃フ単行本の代わりに
エロ本とマンガ

時代は変わる
ただ
文学というのは
自分がやめないかぎり
ずっと続く
当たり前だ

文学は終わった
と言われ始めたとき
友人は言った
「だから好きなようにできるんじゃないか」
逆説であり、
納得できる

あれから
本当に
文学は終わったのか
いや
何も終わっていない
いつの日も
人が悩み苦しむ
それを補う一番手っ取り早いのが
ハウツーものの「どうやったら楽に生きていけるか」系の
大量の本
それは需要があり
コンビニでも羅列してある
それが文学の素養に代わるもの
手っ取り早く
今の自分が抱えている問題解決の答えが
そこに書いてある
それで良くなる人もいるし
そうでない人は
そういった本を買い続ける

または音楽
音楽は人生の悲しみや痛みを
救ってくれる
音楽ほど
人生を救ってくれるのは
ない
歌がそうであり
歌詞がそうである

そういうャsュラリティーを
文撃ヘ持ち合わせていない
漢方薬みたいに
じんわり
効いてくる
スピードを求めるなら
今の異常なスピードが続くなら
文学は読まれない

ただ時代は変わる
植物のように
目には見えない
ゆっくりしたスピードで
成長し冬になれば
枯葉を落とし
来たる春に備える

その自然のスピードを
もう一度
人間が
人類が
欲しがる
希求してやまない時が
来るような気がしてならない
今は人が生きるような
環境になっていないからこそ
どこの駅にも
心療内科が出現してやまない

もっとスピードを緩めていかなければ
大事なものは見落としてしまう
押し寄せる
情報のがれき
そこから
退いて
自然界のリズムに
今一度
人類は戻らないといけない

ゆっくり散歩しなければ
自転車や自動車では
通り過ぎてしまう
すすきの穂
それを街中で
ちゃんとみる
その大事さ

人類はまだ
生まれた時に
お尻に蒙古斑があり
青い
男でもまだ乳房が残っている
あれはメスが足りなくなったとき
オスが繁殖できるように
体の構造を変えることができるためではないか
と思う時がある
退化しているから
なくなってゆく途上かもしれないけれど
どうもそんな気がしない
いざとなったら
性転換が自然界の中で起こる可能性が高い

ここで話を言葉の問題、文学のことに戻してもいいのだけれど、
不自然になるのでやめておきます
これは
全部
言葉だから



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高橋悠治と藤井貞和

2019年08月21日 | 文学
   



くもり はれ

花ぐるり
風車ぐるり

セミ
スズムシ
鳴く

外周

内周の新鮮

青テント

あのベンチの記憶

汗たくさん



もれることなく
すべての人は
物語を持っている

「小久保くんには話すけど」
「こんなこと初めて話した」
「この話をしたのは小久保くんが初めてだ」

そんなことを
何人の人に言われただろう
ところが
本人にとっては
秘密で世間体の悪い
胸にしまっている内容、生い立ちであっても
実はわたし
あまり気にしていない
それからもあまり気にしたことがほぼない
ただそこに触れるような話は避けるし
誰かがその人にその類の話をし始めると
本能的に話に割って入り
今何時
だとか
なるほどねえ
ところでさあ
と話を変える

けれど
誰がどんな過去があろうと
なかろうと
実はあまり知ったことじゃない
自分の人生にかかわることなんて
ほぼ皆無に等しい

もれることなく
すべての人は
物語を持っている

それを打ち明けてくれた人のことは
一切言わない
それくらいの礼儀はある
信用して話してくれたことだから

たまに
「これ小説になるだろ?」
と言われる
そう言われると同時に
その気がなくなる
「ならない」
と思うし
それほど
面白い話ではない
「うーん」
と言って
ごまかす
「小説にしてもいいぞ」
と言う
「あ、はい。ありがとうございます」

ツボが違う
本当にモデルにしたい人は
みんな謙虚だ
言葉がまず少ない
だから
こっちが想像する余白がある

創作とは
余白のことだ

運気とは
血行のことだ

言葉とは
ただ書くだけの
記述するだけのことだ

---

世の中には
言葉にする習慣がない人が
多い
日記も書かない
生い立ちも記録しない
その日の気分なんて
書くに価しない
それはそうだと思う

けれど
わたしは書く
理由は簡単
好きだから
書くことが
何よりも好きだから

それは小説でも
詩でも散文でも
単語の羅列でもいい

書いている時が
一番正しく生きている

書いていない時は
書くことを探していることはあまりない
ただぼんやりして寝てるか
食べてるか
歩いているか
電話してるか
そこらへん
たまに
思ったことや
見たものを
手帖に書き留めておく

何よりも
言葉を書くこと
内容なんてどうでもいい
前後のつじつまなんて
どうでもいい
そんなこと関係ない

言葉は書きさえすればいい
それが言葉への礼儀であり
「言葉を使おうなんて、言葉に失礼だ」
と言ったのは
詩人のねじめ正一さんだった

「言葉なんておぼえるんじゃなかった」
と書いたのは詩人の田村隆一さんだった

時に言葉なんてない方がいい
そう思う時
田村さんの詩句を思い出す
まだその本当の実感までは
到達していない

詩とは何か

高橋源一郎は以前
山頭火の詩句を引用した

陽を吸う

これだけ(笑)

または八木重吉

かみさま
かみさま
かみさま

これだけ(笑)

これも詩なのだ
と断言して
どれだけ励みになったことか

それにしても
どちらの詩句も知っていたので
さらに源一郎が好きになった時期である



大切な友人の一人が
詩という言葉の意味を
引用してくれていた

寺は仕事をし体を使うこと
それを脳でいじくりまわさず
身体感覚で言葉にする
それが詩であると

異論はあるだろう
詩は極めて知的な作業であり
厳選して言葉を選び
配列する
けれど
わたしの場合
その寺と言葉の関連が
一番しっくりくる
いい言葉だと思った

中日新聞で詩を紹介している
詩人北川透さんの言っていることは
ほぼ理解できない
それでも
人はわたしを詩人だと言う

いろんな詩があるのだと思う
大岡信より
黒田三郎が好き
辻井喬より
草野心平が好き
尾崎放哉より
山頭火が好き

詩の作り方がまったく違う
今のところ
二通りの違いしか判っていない
例外は
吉増剛造だけ

言葉の面白さということで言えば
詩人や作家だけではない
現代音楽家の高橋悠治のTwitterは凄い
面白い
中原昌也並に面白い

たとえはいつだったか
源一郎が高橋悠治の本から引用していた文は凄かった

、がない
。がない
、。があってしかるべきところに
一マスの余白があるだけ
それでも十分意味が通じる
そのことに源一郎はのけぞっている

こんな感じ

わたしは 朝 散歩に出た 雨は降っていない ただ空は雲っていたけれど 傘は 持って こなかった わたしは歩いた 時々 樹木の幹の 不可思議な凹凸に 世界を見ながら 歩いた


みたいな感じ
文は今
適当に作ったけれど
つまり、
、も、。もいらない
いらなくて意味がわかる
そういうことは
文撃フ世界から
出てこなかった
実験音楽の人だし
音楽の実験を言葉に応用しているだけなんだと思う

面白いな
と思ったことは
詩人、藤井貞和とのコラボもあるのだ
それは高橋悠治と藤井貞和がコラボするというのは
当たり前すぎるぐらい当たり前なこと
どちらも
同じレベルで
言葉が壊れ
音が壊れている
壊れるという言い方は
定型に対しての
アンチテーゼみたいに
なるから
壊れるを訂正したい
言葉が新しく生まれる
音楽が新しく生まれる
これが正しい



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