中国の家庭料理
春節で中国へ帰っていた
その手土産で
冷凍した手作りの肉まん
食べてみたいな
と言ったら
今日持ってきてくれた
早速
食べてみる
最初の一口は微妙
日本で売っている肉まんとは
もちろん違う
二口目でじわっと
味が来る
ニンニクとショウガと
山菜のような葉
これが凄くあっさりしていて
おいしい
二つ頂き
二つ食べた
カラス
枝をくわえ
電線にとまる
階段をのぼると
林がある
陽がさしている
葉は知っている
暖かきを
世界が青く見える
(空色、濃い)
初老の夫婦
二人とも
白杖を持ち
サングラスをしている
この紫外線がつらいのだろう
旦那さんは奥さんの方に手を置き
階段を降りてゆく
バス停に着き
バスを待っている
足と一緒に動くこころ
足と一緒に動くこころ
音で遊んでいるだけ
言葉で遊んでいるだけ
適当な理屈を添えることは忘れずに
「怒る人たちは自分が偉いと思ってるんやろうな」
と明石家さんまさんが言った
「怒る人は相手が何を考えているのかわからず浮「ので怒るのだ」
と高橋源一郎が言った
縁について考えていた
石牟礼道子の追悼記事で
詩人の伊藤比呂美が書いていた
同郷の熊本同士
伊藤比呂美は
渡米生活と熊本の実家を行き来し
いつも石牟礼道子さんに会いにいっていたという
たくさん話を聞いてもらったという
「ひきずっているんです、辛いです」
と伊藤比呂美が言うと
石牟礼道子はこう言ったそう
「ひきずるのも縁ですよ」
伊藤比呂美にも輝く言葉であっただろうけれど
読んだ者にも
何かを思わせる言葉だった
ひきずっている
男女問わず
あるいは
すでにこの世を終えている人とさえ
未だひきずっている
それも縁だという
だとしたら
ずっと会わなくても
ふっと思い出して
今どうしているんだろう
と思った時点で
縁があるのだろう
餃子を食べながら
そういうことを
考えていた
映画『パーマネント野ばら』の中で
「人間は二度死ぬねん、一度目は体がなくなった時、二度目は人の心から消えた時」
思いということ
思うということ
それが縁とは思わなかった
先人は凄い