大聡怐B
といっても、ガスレンジの聡怩ェ中心。
あとは窓を全部拭き、部屋は勿論、玄関、台所まわり、トイレ。
終わって、夕方散歩。
ドラッグストアで貼るカイロを買いにいったのですけど、
いつもの道のもう一本横に、細い道がありました。
ずいぶんここいらは歩いているのに、
たぶん、初めて通る道。
すっかり暗くなっていて、まわりの家屋とか、
樹木とか、見えないのです。
ただ、通ったことがない道を西へ。
すると、古い木造の二階建てのアパートから、
自転車を引いた老夫婦が出てきました。
そして、大晦日の夕方、彼らは東に向かって、
ゆっくり歩いていきました。
裕福ではけっしてなさそうですけど、
しみじみというか、細々というか、
人の営みの匂いがしました。
ふと、野球選手のことを思いました。
プロで活躍する選手の裏には、
二軍、三軍の選手達がいる。
プロにもなれなかった人もたくさんいる。
テレビで活躍する人達の大きな裏側には、
たくさんの影の人々がいる。
それはお金持ちの人でもそうで、
こんなふうにあまりお金を持っていない人がいて、
お金持ちの人がいる。
一番の人がいて、百番の人がいる。
プロ選手の人も、プロになれない人も、
全部、同じ枠の中にいる。
お金持ちの人も、そうでない人も、
同じ枠の中にいる。
どちらが良い悪いじゃなくて、
誰ひとり欠けても、この世は成り立たないということ。
古いアパートで老人になり、
静かに暮らす人達のありかを僕は見た。
ありかには、何かがあるはず。
そこには、人間があるはず、
そう思ったのでした。
ささやか生活ならば、なおさらのことです。
---
貼るカイロを買って、帰ろうと思ったのですけど、
今朝から「スウィングガールズ」が観たいなと思っていて、
一年の最後を締めくくるには、良い映画だと思いました。
それでレンタルビデオ屋に寄り、借りて観ました。
今年、この映画を何度観たのか判りません。
たぶん、5,6回。
さすがに最初観た感動はないのですけど、
エッセンスがいっぱいの映画であることは確かでした。
この映画が他の映画に影響を与えているんじゃないか、
と前から思っていたのですけど、
今日、やはり観ながらそのことを考えていました。
・川を挟んでの男女の出会い(楽器使用) 「スウィングガールズ」、「パッチギ」。
・舞台が東北 「スウィングガールズ」、「フラガール」。
・役、上野樹里、鋳?シ人、白石美帆 「スウィングガールズ」、「のだめカンタービレ」。
あと、地方(方言)のこと。
「涙そうそう」沖縄、
「スウィグガールズ」「フラガール」東北、
方言であるからこそ、おもしろい映画になっているのだと思います。
おもしろいというか、ホッとするというか。
まあこじつけかもしれないけれど、
「スウィングガールズ」は、大きな映画じゃないかな、と思っています。
「あー、同じ役者だ」と、のだめを観た人は思うでしょう。
同じというのは、観た人がすでに、知っているということで、
そこには安心があると思った。
小説でもそうだけど、
「知ってる」と自分が読んでいて思ったら、
その作品に親しみを感じ、作品に自分自身を見られるのです。
だれもが、作品に自分を見いだそうとしています。
だからこそ、川を挟んで会う男女でもそうなのですけど、
潜在的にせよ、顕在的にせよ、
「知ってる」と思うことで、親しみが出て、良い印象を与えるのじゃないか、
そんなことを思って観ていました。
もしかしたら、アラーキーが言う、
「写真っていうのは、見る人が懐かしいと思わなきゃだめだ」
の「懐かしい」も、ふだん僕らが見知っているところからくる懐かしさかな?
と思うのです。それは「知っている」ということじゃないのかな、と。
ャbプというのは、そういうことじゃないかな、と。
すいません、まだ考え中です。
「小説っていうのは、読む人が懐かしいと思わなきゃだめだ」
とアラーキーの言葉を置き換えてみて、
僕はこれから考えていくのかもしれません。
これを書いたら、年越しそばをつくって、寝ます。
今年、この日記を読んでくれた方、どうもありがとう。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2007,12,31,23:16 小久保圭介
といっても、ガスレンジの聡怩ェ中心。
あとは窓を全部拭き、部屋は勿論、玄関、台所まわり、トイレ。
終わって、夕方散歩。
ドラッグストアで貼るカイロを買いにいったのですけど、
いつもの道のもう一本横に、細い道がありました。
ずいぶんここいらは歩いているのに、
たぶん、初めて通る道。
すっかり暗くなっていて、まわりの家屋とか、
樹木とか、見えないのです。
ただ、通ったことがない道を西へ。
すると、古い木造の二階建てのアパートから、
自転車を引いた老夫婦が出てきました。
そして、大晦日の夕方、彼らは東に向かって、
ゆっくり歩いていきました。
裕福ではけっしてなさそうですけど、
しみじみというか、細々というか、
人の営みの匂いがしました。
ふと、野球選手のことを思いました。
プロで活躍する選手の裏には、
二軍、三軍の選手達がいる。
プロにもなれなかった人もたくさんいる。
テレビで活躍する人達の大きな裏側には、
たくさんの影の人々がいる。
それはお金持ちの人でもそうで、
こんなふうにあまりお金を持っていない人がいて、
お金持ちの人がいる。
一番の人がいて、百番の人がいる。
プロ選手の人も、プロになれない人も、
全部、同じ枠の中にいる。
お金持ちの人も、そうでない人も、
同じ枠の中にいる。
どちらが良い悪いじゃなくて、
誰ひとり欠けても、この世は成り立たないということ。
古いアパートで老人になり、
静かに暮らす人達のありかを僕は見た。
ありかには、何かがあるはず。
そこには、人間があるはず、
そう思ったのでした。
ささやか生活ならば、なおさらのことです。
---
貼るカイロを買って、帰ろうと思ったのですけど、
今朝から「スウィングガールズ」が観たいなと思っていて、
一年の最後を締めくくるには、良い映画だと思いました。
それでレンタルビデオ屋に寄り、借りて観ました。
今年、この映画を何度観たのか判りません。
たぶん、5,6回。
さすがに最初観た感動はないのですけど、
エッセンスがいっぱいの映画であることは確かでした。
この映画が他の映画に影響を与えているんじゃないか、
と前から思っていたのですけど、
今日、やはり観ながらそのことを考えていました。
・川を挟んでの男女の出会い(楽器使用) 「スウィングガールズ」、「パッチギ」。
・舞台が東北 「スウィングガールズ」、「フラガール」。
・役、上野樹里、鋳?シ人、白石美帆 「スウィングガールズ」、「のだめカンタービレ」。
あと、地方(方言)のこと。
「涙そうそう」沖縄、
「スウィグガールズ」「フラガール」東北、
方言であるからこそ、おもしろい映画になっているのだと思います。
おもしろいというか、ホッとするというか。
まあこじつけかもしれないけれど、
「スウィングガールズ」は、大きな映画じゃないかな、と思っています。
「あー、同じ役者だ」と、のだめを観た人は思うでしょう。
同じというのは、観た人がすでに、知っているということで、
そこには安心があると思った。
小説でもそうだけど、
「知ってる」と自分が読んでいて思ったら、
その作品に親しみを感じ、作品に自分自身を見られるのです。
だれもが、作品に自分を見いだそうとしています。
だからこそ、川を挟んで会う男女でもそうなのですけど、
潜在的にせよ、顕在的にせよ、
「知ってる」と思うことで、親しみが出て、良い印象を与えるのじゃないか、
そんなことを思って観ていました。
もしかしたら、アラーキーが言う、
「写真っていうのは、見る人が懐かしいと思わなきゃだめだ」
の「懐かしい」も、ふだん僕らが見知っているところからくる懐かしさかな?
と思うのです。それは「知っている」ということじゃないのかな、と。
ャbプというのは、そういうことじゃないかな、と。
すいません、まだ考え中です。
「小説っていうのは、読む人が懐かしいと思わなきゃだめだ」
とアラーキーの言葉を置き換えてみて、
僕はこれから考えていくのかもしれません。
これを書いたら、年越しそばをつくって、寝ます。
今年、この日記を読んでくれた方、どうもありがとう。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2007,12,31,23:16 小久保圭介