kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

人間の懐かしさ

2007年12月31日 | 生活
大聡怐B
といっても、ガスレンジの聡怩ェ中心。
あとは窓を全部拭き、部屋は勿論、玄関、台所まわり、トイレ。
終わって、夕方散歩。
ドラッグストアで貼るカイロを買いにいったのですけど、
いつもの道のもう一本横に、細い道がありました。
ずいぶんここいらは歩いているのに、
たぶん、初めて通る道。
すっかり暗くなっていて、まわりの家屋とか、
樹木とか、見えないのです。
ただ、通ったことがない道を西へ。
すると、古い木造の二階建てのアパートから、
自転車を引いた老夫婦が出てきました。
そして、大晦日の夕方、彼らは東に向かって、
ゆっくり歩いていきました。
裕福ではけっしてなさそうですけど、
しみじみというか、細々というか、
人の営みの匂いがしました。
ふと、野球選手のことを思いました。
プロで活躍する選手の裏には、
二軍、三軍の選手達がいる。
プロにもなれなかった人もたくさんいる。
テレビで活躍する人達の大きな裏側には、
たくさんの影の人々がいる。
それはお金持ちの人でもそうで、
こんなふうにあまりお金を持っていない人がいて、
お金持ちの人がいる。
一番の人がいて、百番の人がいる。
プロ選手の人も、プロになれない人も、
全部、同じ枠の中にいる。
お金持ちの人も、そうでない人も、
同じ枠の中にいる。
どちらが良い悪いじゃなくて、
誰ひとり欠けても、この世は成り立たないということ。

古いアパートで老人になり、
静かに暮らす人達のありかを僕は見た。
ありかには、何かがあるはず。
そこには、人間があるはず、
そう思ったのでした。
ささやか生活ならば、なおさらのことです。

---

貼るカイロを買って、帰ろうと思ったのですけど、
今朝から「スウィングガールズ」が観たいなと思っていて、
一年の最後を締めくくるには、良い映画だと思いました。
それでレンタルビデオ屋に寄り、借りて観ました。
今年、この映画を何度観たのか判りません。
たぶん、5,6回。
さすがに最初観た感動はないのですけど、
エッセンスがいっぱいの映画であることは確かでした。
この映画が他の映画に影響を与えているんじゃないか、
と前から思っていたのですけど、
今日、やはり観ながらそのことを考えていました。

・川を挟んでの男女の出会い(楽器使用) 「スウィングガールズ」、「パッチギ」。

・舞台が東北 「スウィングガールズ」、「フラガール」。

・役、上野樹里、鋳?シ人、白石美帆 「スウィングガールズ」、「のだめカンタービレ」。

あと、地方(方言)のこと。
「涙そうそう」沖縄、
「スウィグガールズ」「フラガール」東北、

方言であるからこそ、おもしろい映画になっているのだと思います。
おもしろいというか、ホッとするというか。

まあこじつけかもしれないけれど、
「スウィングガールズ」は、大きな映画じゃないかな、と思っています。
「あー、同じ役者だ」と、のだめを観た人は思うでしょう。
同じというのは、観た人がすでに、知っているということで、
そこには安心があると思った。
小説でもそうだけど、
「知ってる」と自分が読んでいて思ったら、
その作品に親しみを感じ、作品に自分自身を見られるのです。
だれもが、作品に自分を見いだそうとしています。
だからこそ、川を挟んで会う男女でもそうなのですけど、
潜在的にせよ、顕在的にせよ、
「知ってる」と思うことで、親しみが出て、良い印象を与えるのじゃないか、
そんなことを思って観ていました。
もしかしたら、アラーキーが言う、
「写真っていうのは、見る人が懐かしいと思わなきゃだめだ」
の「懐かしい」も、ふだん僕らが見知っているところからくる懐かしさかな?
と思うのです。それは「知っている」ということじゃないのかな、と。
ャbプというのは、そういうことじゃないかな、と。
すいません、まだ考え中です。
「小説っていうのは、読む人が懐かしいと思わなきゃだめだ」
とアラーキーの言葉を置き換えてみて、
僕はこれから考えていくのかもしれません。

これを書いたら、年越しそばをつくって、寝ます。

今年、この日記を読んでくれた方、どうもありがとう。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2007,12,31,23:16 小久保圭介


細部を見学

2007年12月30日 | 生活
先日、自転車のタイヤがパンクしました。
好きな自転車屋さんに行く暇がなかったので、
今日行きました。
でも年末だしやっているかも判らないし、
と、
ネットの地図から調べていって、店名を知らないにもかかわらず、
だいたいの住所、検索は「自転車」で、
パッと電話番号が出る。
膨大なスパムメールとかネットの弊害もあるのですけれど、
やはり便利なものだと思いました。
卓上であらゆることができるネット。恩恵は凄いです。

曇空の下、自転車を引きながら歩く。
お参りする神社は、大きな幟(のぼり)が四本すでに立ててあって、
川沿いの電線には、カラスが一匹、神社に向いていました。
「あ、やたガラスだ」と思ったのは、行く途中、熊野本宮行きの封筒をャbケに入れてあったからです。お札を送ってもらうための封書です。
名古屋の氏神に向かって、カラス(熊野)が向いている、
そう思うととてもうれしかった。

自転車屋に着き、「さっき電話した者ですけれど」
とパンクの修理をお願い。
赤いジャンパーの店主、白髪、汚れた作業服、靴下でぞうりを履き、
油で汚れた手です。
後ろタイヤのチューブを、棒二本で出していく。
生まれてからひじきしか食べていないヤツの腸みたいなチューブ。
それを電動空気入れで、ぶっとくする。
ひじき腸は、空気を入れるとゴムが伸びて、
黒い色が灰色になったんだ。
それはまるまる太ったうなぎみたいで、
うなぎを店主は水につけ、
パンクしているだろう箇所を調べていく。
その時、僕もしゃがもうかな、と思った。
っていうのは、上から見下ろしているのは失礼に違いない、
と思ったから。でも、ちょっと間が取れず、結局はそのままでした。
で、ぶくぶくと穴から空気が出て、小さなあぶく発見。
そんときゃ、わいも「あっ」って言った。
で、店主は、穴の位置を丹念に調べ、
ハサミをその小さな穴に入れて、ごそごそやっていた。
何故だ? と思っていると、たぶん、穴を大きくするのじゃなく、
部分を切って、うーん、穴をうまいことふさぐっていうか、そんな感じ。
で、今度は接着剤だろうと思っていたら、
電気ヤスリみたなもので、ぎゅぐううううううううぃいいいいいいいーん、
と店主はやった。
で、接着剤。穴が一ミリだとする。
接着剤を塗る面積は、5㎝×3㎝。
でっかく塗っておかないと、穴周辺からゴムが伸びて、
またパンクするからだ、と思う。
で、ぱっちんと何か貼ると思ったら、貼らなんだ。
店主は、水色のドライヤーで、接着剤のところを乾かしているのだ。
ここまでくると、外科医みたいだ。それもベテランの。
だから僕はこの自転車屋さんにしか来ないわけだし、
今度新品を買う時は、100%ここで買う。
で、ドライヤーで乾いた。
そいで、ムシを抜いて、空気を抜いて、
タイヤの中に入れると思いきや、
さすがプロ。
店主は指二本を使用して、
タイヤの中に入れ、しゃっ、しゃっ、とタイヤを回す。
何故か!
せっかく治したチューブを入れるタイヤに、
釘とか、画びょうとか、つまようじとか、鉛筆の芯とか、パンクの原因になった突起物がないか、調べているんだ。
そのドクターの指が、もし釘に刺さったら、
と考。凄いとわい、思った。
結局、タイヤの中に突起物はなく、
生まれてからひじきばかり食べているヤツの腸を、
タイヤに入れていって、
電動空気入れで、ドゥイッと空気を入れ、
タイヤの中は、また太ったうなぎになっているはずだ。
で、「はい、どうも」
と店主が言い、
「どうもありがとうございました」
と僕は言って、帰りました。

友人のお陰

2007年12月30日 | 生活
僕の大切な友人の一人である方から、
郵便物が届いた。
何だろうと思って、封筒を開けると短い手紙と新聞記事でした。
12月27日付の朝日新聞の夕刊、「東海の文戟@07回顧」という欄で、文剣]論家の清水良典氏が、自作「空に書く」を記事にしてくれていたのでした。
「年末ぎりぎりまで『空に書く』が記事になっています」と友人は書いてくれて、
「もう目にされているかもしれないけれど、送っておきます」とありました。
ほんの少しの記事ですけれど、意外だったのでうれしかった。
そしてわざわざ9月と今月の新聞を郵送してくれた友人のお陰を、
本当にうれしく思うのです。いつもは「小久保さん」と言う友人は、
手紙の最後に、「小久保圭介さん、来年も頑張ってください」と、
フルネームで書いてくれていました。こういうふうにフルネームで書いてもらって、その効果を知っている友人の思いやりに、記事以上にうれしい限りなのです。
「空に書く」は本当にみんなが凄く盛り上げてくれるので、幸福です。
先週の日曜日、心身ともに疲れていて、「空に書く」を読みたいな、とずっと思っていて、読んだら、自分で書いたにもかかわらず、元気になりましたし、笑えました。
自画自賛の醜悪を承知でこれを書いているのですけれど、
自作で元気になれるというのは、作家としてとても幸福なことなのです。
そして、次作に向けて、「空に書く」を手から離すのです。すとん、と。

『北へ』のインプロ

2007年12月30日 | 生活
大洗濯大会。
布団干し。
外は曇、のち晴。
風、強し。風の音、西で鳴る。
空、青く、虹、出そうな空、西にあり。
寒波というけれど、
それほど寒くなし。

友人に貸してあったビデオが戻ってきたので鑑賞する。
2001年、演奏はTHIS,映像はみえちゃん、歌、朗読は僕。
エッセイ「北へ」の朗読と、即興の音楽は一度きり。
僕にとっては貴重なビデオ。
あの時は判らなかったけれど、
みえちゃんの映像の素晴らしさが今さらに判るのでした。


飲酒

2007年12月29日 | 生活
やっと労働終わり。
今朝も早いので、
今日帰るアンブレラ一家とは会わずに出かける。

こんな雨の朝、
幼稚園バスに乗っていくのが、
嫌だった。
もう何十年も前なのに、
こんな雨の日、こんな湿度、こんな日照具合、こんな寒さ、
体が覚えている。たぶん、匂いも。

夜、友人と会食。
ビール、鍋、いろいろ。
寒いので、日本酒を少し。
楽しくて、初めて芋焼酎を飲酒。
僕も友人も酔って歩いて、
カラオケ屋に行くけど、年末で予約のみ。
あらら、というわけで手にもったコーヒーとアイスクリームを、
緑の傘の下で飲食。
「まあ今年も終わるねー」
などと言いながら。
地下鉄で酔って眠ってしまうほど、
心地良きことこの上なし。

すれすれ

2007年12月28日 | 生活
Sさんが、なんかの話題から、
「すれすれが一番儲かる」
と言った。そうかもしれない。
すれすれとは、法を犯すか犯さないかのすれすれ。
これはお金儲けだけじゃなくて、
いろいろ応用が利くと思った。
すれすれが確かに一番おもしろいかもしれない。
すれすれって、良いなと思った。

---

帰り、寄り道して帰る途中、雨が強くなってきた。
傘ささず自転車で、冬の雨の中を走っていると、
なんだかハイになってきて、
「おとうさん、何で傘さしてこないの!」
と奥さんにしかられるオジは、
心の中で「雨が何だ」
と思うそうです。
「雨が何だ」と僕も思いながら、
なんだか体が笑っているような気がして、
「雨に濡れてこそ、雨がわかる」
と思った。それをミクシーの方で書こうと思ったけど、
面唐ネのでやめた。
夜には、すでに腰痛も足も痛まず、
やはりあのマッサージは効いたのかもしれないです。
体、冷やすとこうなるから、気をつけましょう。
アンブレラ一家と外食。
ちょっと早いけど、お年玉を子供らに。
外食先からの帰り道、フロントガラスの向こうは、
激しい雨。

くすぐったい

2007年12月27日 | 生活
早朝、腰痛と足の痛みで眠られず。
起きてからがもう大変で、起きたは良いけれど、
痛み、たけなわ。
アンブレラ氏は、
「仕事休んだら?」
と言うけれど、あと少しで休みになるし、
なんとか行く。でも今日はさすがに朝休もうかなと思った。
でも、労働すると、やはり、痛みが治まる。

帰宅。
アンブレラ氏と御子息とで、
天下無敵の「喜多の湯」へ。
年末だし、駐車場が込んでいるかもと心配したけど、大丈夫でした。
で、アンブレラ氏が言うように、全身がたぶん固まっているから、
全身マッサージが良いと考。
で、まあとにかく、マッサージの時間まで、ねころびの湯とか、いろいろ入って、
で、45分の全身マッサージをうける。
実は僕はこのマッサージがきらい。
脇とか、腰とか揉まれると、くすぐったくてどうしようもない。
で、笑ったらあかん、と辛抱すること何度も。
でも、今日はあまりくすぐったくなかった。
それだけ凝っているのだ。
「凝ってますね。がちがちです」
とマッサージのお兄ちゃんは言うし。誰にでもそう言うだろうけど。
少しだけ「こそぐったい」ともらし、とにかくマッサージが終わった。
マッサージの時間の間に、アンブレラ氏の御子息が眠ってしまった。
帰り、車を降り、御子息はアンブレラ氏に担がれて、帰宅。


風鈴

2007年12月26日 | 生活
昨夜からアンブレラ一家が宿泊している。福井に一泊して、来名。
子供も変わらず元気そう。クリスマスだったことをすっかり忘れていたので、
帰り道、ローソンでお菓子セットを二袋買い、ナントカなった。
アンブレラご夫婦とその子供二人。計4人。
その寝室を作らねばならなかったので、
日曜に一部屋あけた。パソコンデスクを僕の寝室に移して、部屋に入れてある大量の慣用植物を移動。
で、お米がきれていたのでショルダーバッグを持って買いに行った。これが決め手となり、
めでたく僕は腰痛。足まで今日はびりびり。痛いのなんのって。
張るカイロを4枚張って労働場へ。
これこれしかじかで右足と腰が痛いとオジに言うと、
「女性の邪気だ」
とオジ。
「米だ。オジ」
とまあ、ほんとに痛い。でも労働をしていると痛みが和らぐのは、
動いて血行が良くなっているせいと、何かに集中しているから。
通称、座骨神経痛ですけど、ここ2,3ヶ月、腰痛ストレッチをさぼっていたので、
やられた。「陽春の候」というミニマル小説を書いているときも、
何故だか書いている間は痛みがなかった。
でも、横になると痛くてしょうがなかった。
そんなもんだ。

---

早朝。
秋頃、自作の小説が新聞で紹介された時、
ものすごく喜んでくれた見知らぬ職人さんと会って、
「今度はどんなの書く?」
とニコニコして言った。
どうもなまっているようで、たぶん、北海道の方だと思う。
まるで自分の喜びでもあるように、
「今度はどんなの?」
と言う。
職人さんが去ったあと、
「小久保君はいいスャbトにいる」
とオジが言った。
スャbトとは、この労働場界隈の場所である。
そしてまわりの人々である。
こういう方が一人いるだけで、
本当に僕は恵まれているな、と思う。

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冬の陽光

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寂しそうに歩く女性の後ろ姿を、
オジと僕は見ていて、
「風鈴だ」
とオジが言った。
「男と別れた・・・」
と僕は言った。
「そう」
とオジ。
男性と別れた女性のことを「風鈴」と比喩したのは、
オジだった。
「小久保君には伝わるなあ」
「オジ、凄いなあ」
と我らは創作した比喩を判り合った。
「風が吹けば鳴る」
と僕。
「そう」
とオジ。
「風がやんだら鳴らない」
と僕。
男性が女性と別れたら、何と言うのだろう。
「風鈴」ほど、色っぽくもないし、
たぶん、みすぼらしいし、みっともない。
鳴るも鳴らぬも男次第、
なんて書いたらバチバチに女性に怒られるかもしれないけれど、
実際は、逆で、風が女性であって、鈴が男性です。
まあ、時に鈴は風になり、風は鈴になる、
とでもいいましょうか、
風ならば、吹きましょう、
鈴ならば、鳴りましょう、っと!

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「のだめ」、アンブレラ夫妻の子供二人と見る。
明日がDVDの返却日なので、夜半まで。子供達は冬休み。


年末までの宿題

2007年12月25日 | 生活
昨夜、キャンドルを灯そうと思って、
探したけんど、ねえ。どこにもねえ。
確かカメヤマローソクがあったはずだけんど、ねえ。
たぶん、捨てたのだ。
しかたがないので、「のだめ」観る。

今日はオジと女性言葉について話していた。
オジは家で「~なのよ」と言うと、奥さんが喜ぶらしい。
いぜん、男は女だった。
「~じゃないのかしら」
という言い方。「かしら」を僕も時々使う。
時々使うととても新鮮なのです。
「~かしら」という言い方を高田渡さんがしていたことがあった。
それは歌詞だったか、文だったか忘れた。
それは誰かの詩かもしれない。
それから三島由紀夫もどこかで使っていた。
言葉がいつからどうして女性言葉、男性言葉に分かれたのか、まだ調べていない。
年末中にやっておこう。

メリークリスマス

2007年12月24日 | 生活
今日はクリスマス。
ということで、いろんな方に、
「クリスマスの過ごし方」を訊いた。

O一家のクリスマスは、ケンタッキーで3500円の肉を買う。奥さんが3時半から4時の間に取りに行くらしい。今日は予約制のみらしく、指定された時間以外に行くと、もうチキンはもらえないらしい。で、いろいろ事情があって、二個のクリスマスケーキ。
「プレゼントは?」
と訊くと、11月がO夫妻は誕生日なので、燕尾服でディナー。その時、クリスマスプレゼントも兼ねるので、今日はなし。なので、チキンとケーキのみ。お子さん達は、外出するかも知れないと言う。

T夫妻のクリスマスは、特になし。プレゼントもなし。
「じゃあ、今日は何を食べるのですか?」
と訊くと、
「そばだなあ」と発す。シンプル。

K夫妻の場合。奥さんが港でやる花火に連れていけ、という。
Kさん達は花火を見に行くらしい。なるほど。みんないろいろおもしろい。

Wさんのクリスマスは、プレゼントを3個用意。お店の女の子三人にあげるという。
今頃、飲んでいるでしょう。
「一人にしぼったらいいのに」
と僕。ま、いろいろ事情があって、そういうわけにもいかないらしいです。

ある方は、今日だけは教会に出かけるのが習慣だという。

今日は休日で、通りにはたくさんのカップルがうれしそうに歩いていた。
それを眺めていると、本当に様々で、
いろんな人がいろんなクリスマスを過ごすのだろうな、
と思っていた。
「かなりの人が、まあテレビでも見て過ごすんだ」
とオジが言った。
うん、そうかもしれないね。
僕は今日、キャンドルでも灯して、ホルストでも静かに聴いて、
詩を書いて、ろうそくの灯りを見つめ、「想像しよう」と思っていたけど、
面唐ネのでやめた。
ただ、クリスマスということを考えていて、
クリスチャンの詩人、八木重吉でも読もうかな、
とか、たくらんでいたけど、まあ八木重吉ってなピュアさもないので、
無理せず洗濯物をたたみ、洗濯をして、安売りして今日が賞味期限の皿うどんを食べ、
昨日作りすぎた筑前煮を食べねば、と思って、食べた。

朝、オジからお餅を頂いた。
何でも故郷から年末、板状の餅が届くらしい。
それを昨日、切ったから、と。
知らなかったけど、そのお餅は実家の方が作ったお米で、
餅つきをして、送られたもの。それを今日、皿うどんに入れて食べたら、
うん、おいしいかった。
それと、オジの奥さんから、やはり実家から送られてきた「わかめ煎餅」を頂いた。
驚いたのは、Uさんご夫妻から、
オジと僕は、「柿の種」を頂いた。
Uさんは土曜に故郷の新潟に行くといっていた。
八時の特急で行くという。土曜は雨で寒いし、
「じゃあ、列車の中で、肩を寄せ合って」とからかっていた。
ご親戚の結婚式に行ったのだ。昨日結婚式に出て、昨日帰ってきて、
今日、僕らに新潟産の「柿の種」である。
なので、僕はサンタクロースみたいに、
帰りのバッグの中は、食べ物でいっぱいでした。
おまけに、帰り、柳の木の下で、十円拾った。
うーん、これをクリスマスプレゼントと言わずして何と言う。

でもね、今日は何か街が静かで、
というか、人とか車は多いのですけど、いつものように。
でも、クリスマスだからなのか、みんな異様なオーラは出さず、
良い気を出している人が多いからでしょうか、
みなさん、和んでいました。
個人の心が殺伐としていたとしても、
まわりの雰囲気が良いので、
誰も怒らないし、苛々した人も通らなかったし、
ま、ひとり寂しさを隠そうと歩いている人は多かったけど、
それでも、なにか静かなのです。
それがクリスマスのせいなのかどうかは判らないけど、
僕には、「みんな穏やかだ」と思えました。
聖夜というぐらいだから、
清らかな気がいっぱい今日はあるのかもしれませんね。

ちょっと僕は、今から電気を消して、
キャンドルを灯そうと思います。
ホルストかけよう。
いや、無音でもいいや。
想像してみようと思います。


そして、楽しむ

2007年12月23日 | 生活
いろいろいそがしい。
体が疲れていたので、
用事は夕方以降でした。

のだめ、最終回見る。
オーケストラが演奏する前の緊張時、
練習を重ねてそれがちゃんとできるかどうかの、
不安な時、指揮者は楽屋で言う。
「さあ、楽しい音楽の時間だ」
とても良いセリフだと思います。
「のだめカンタービレ」年始に、いっきに放映とのこと。
で、ヨーロッパ編二夜連続放映とのこと。


初体験

2007年12月22日 | 生活
朝、カラスが一羽いた。
電線にとまった。
横歩きして北に向かった。
数分、カラスは横歩きしていて、
それをオジと見ていた。
カラスが遊んでいるように見えたから。

---

聡怩オていたら、一円玉を拾った。

---

胸で鳴る音楽は、ホルストの「木星」。

---

ツバキノオジが角で何か見ているので、行ってみた。
すると、40代から50代ぐらいのご夫婦が、
誰かに道をたずねていた。
「判っていない」
とオジは言った。
小さな雨が降っていた。
傘をさすほどではない。
ご夫婦も傘を持っていなかった。
信号が変わり、こっちに歩いてきたところを、
オジが話しかけた。
「判ります?」
と。
ヤフーでカラーコピーした地図を手に持っていて、
ご夫婦が行こうとしている方向に、
その場所はなかった。
オジが、へその辺りで人差し指を回して、
「あ、手話できるんですか」
と奥さんの顔がパアーっと明るくなった。
旦那さんはにこやかな方で、眼鏡をかけていた。
どうやら旦那さんは耳が聞こえない。
オジはご夫婦を東に連れていって、
目で「あの建物の奥です」
と案内した。
ご夫婦はオジに礼を言い、
オジが戻ってきた。
「耳聞こえんのんか?」
と僕は訊いた。
「ああ。話すより、目で見てもらった方が良いんだ」
とオジ。
地下街から行こうとしたご夫婦は、
またこっちに戻ってきて、
信号待ちをしていた。
見ると、手話で話していた。
僕が興味を示すので、
オジがご夫婦に近づいた。
僕も近寄った。
どんな流れだったか、
どんな間だったかしらない。
僕は緊張していた。
オジは聾唖者と手話ができるけど、
今はあまりおぼえていないという。
たぶん、オジが手話のイロハを教えてやってください、
という内容のことを奥さんに言ったのか、
それを手話でやったのか、良く判らないけれど、
奥さんはニコニコして、
僕に指文字を教えてくれた。
旦那さんも微笑んでいて、
隣のオジは声に出していた。
「あ」、「い」、「う」、「え」、「お」。
僕は練習していたのに、うまくできなかった。
それでも奥さんはもう一度、あいうえお、
をやってくれて、それに習って、僕もやった。
オジが、
「彼がね、ちょっと手話をやりますから」
と遊び心いっぱいのオジに導かれ、
旦那さんに僕は、文を作って実践しようとした。
できるのは、
「あなたのことがすきです」と「あなたの声が聞きたい」。
勿論、とっさに後者を打ち消して、
ニコニコしている旦那さんに、
初心者の僕は送った。
「わたしは、あなたの、ことが、すき、です」
と。
「すき」のところで、旦那さんは声を出して笑った。
通じた。
僕が大真面目でやっているから余計に、
滑稽にうつったのでしょう、
奥さんも笑い、オジも笑った。
そしてご夫婦はくもりぞらの下を、
北に向かった。
「小久保君、奥さんの顔が真っ赤になってたぞ」
とオジが大笑いしていた。
「わい、あれしかできんのじゃ、声聞きたい、言うわけにいかんし」
「ええて。あれで」
「初体験じゃあよお。ドキドキしたけど、伝わって良かった」
「でも何で奥さんの顔が赤くなるんじゃ? わいは旦那さんに言うたじゃろうに」
「手話は、そばにいる人も時々自分に向けて言われたと思うんだ」
とオジ。
「オジ、旦那さん、耳聞こえないのに、声出して笑ってくれたなあ」
「今頃、笑っとおる。男に『好きです』と言われたんやで」
とオジは有頂天。
僕は笑わせようとしてやったことじゃなく、
あれしか知らなかったから。でも、とにかく初めて聾唖者の方に、
手話で話せて、それが通じた。それがとても感動した。
「わたしはあなたのことが好きです」
という言葉しか、話せなかった。
それでも、その短い言葉は、
僕が言っては台無しではあるけれど、
美しい言葉のひとつじゃなかっただろうか?
少なくとも、「きらい」ではなかったのだから。
だから初めて手話が通じたということと共に、
何か、僕を通じて、神様が僕ら四人に、
あたたかい光をそそいでくれたようで、
しずかに、ずっと僕はうれしかった。
オジも「今日の夕食の話題になる」と言う。
旦那さんが声を出して笑ってくれたことに関して、
「あの人達は、ひらいている」
とオジが言った。
耳が聞こえなくても、
あの人達は、ひらいているのだ。
終日、冷たい雨だったけれど、
今日はあの人達のおかげで、幸。



ピアノ弾きたい

2007年12月21日 | 生活
帰り道、あー、来週はユキちゃん達が来るなー、
と思っていた。ユキちゃんの家にはピアノがあるなあ、
保育所でもピアノがあって、家でも保育所でも弾かせてもらったなあ、
楽しかったなあ、ピアノ弾きたいなあー、ピアノ欲しいなあー、ピアノ置けるとこに住みたいなあ、と思っていた。
そう思いながら、高橋悠治の「いちめん菜の花」というアルバムの中の、曲名知らないけど、
アメリカ民謡をアレンジしたのをハミングしていた。そのアレンジは凄いアレンジで、
センスがあるつーか、あれ聴いた時、度肝抜かれたなあ、と、でも、
今でもかなり凄いなあ、とハミングしてて思った。
何故、ピアノかというと、ずっと毎日「のだめカンタービレ」のDVDを見ているから。
これが本当におもしろい。おもしろいだけじゃなく、いろいろ、お勉強になる。
だからピアノなのだ。
で、自転車を自転車置き場に置いて、道を歩いたら、
ピアノの音が聞こえてきた。
同じ敷地内にある家の人が、よく弾いているのだ。いつもは、あー、ピアノだあ、いいな、
と思っても通り過ぎてしまうのだけど、
今日はピアノの音が聞こえる部屋を見た。明るくて、後ろ姿では男性なのか女性なのか判らない。ともかく芝生に座って、聴いていた。曲は坂本龍一の「戦メリ」。それが終わったら、どこかで聴いたことがあるジャズの曲。いいなあピアノって。あんなふうに弾けたらいいなあ、
とうっとりしてた。で、家に戻る途中、武満徹がピアノがなくて、当時、ピアノが聞こえる家があったら、行ってドアを叩き、ピアノを弾かせてもらったという話を思い出した。その後、黛敏郎が武満にピアノを買ったという。そんな話も思い出して、さっさと「のだめ」を見た。
やっぱりおもしろい。ドラマの中でクラシックがたくさんかかるのだけど、
なんだかとっても良い。明日は「のだめ」の最終回。一度みたけど、忘れているところも多くあり、明日が楽しみ。そして年始だと思うけど、「のだめスペシャル」が放映される。
ああああ、楽しみ。あー、ピアノ弾きたいなあ。弾けないけど。

一陽来復

2007年12月20日 | 生活
今日も一日寒かった。
寒いとテンションが下がります。
「元気ないね」とか、「どうした?」とか、
この日記を読んでいる人も、「最近暗いね」
と言います。
それほど労働時間が延びているのでもないし、
労働自体が忙しいわけでもないのに、
何故かな、と今日考えていました。
どうしても思いつかないので、
たぶん、寒さのせいだと思うのです。
困ったな。
でももうすぐ冬至。
冬至を境に、また日照時間が長くなる。
ということは、
冬至を過ぎれば、確実に夏に向かうのです。
折り返し地点が冬至(22日)。

冬至について、
先日、新聞の「くらしの歳時記」
についてこう書かれてありました。

「今年の冬至は今週末の二十二日です。この日は、一年のうちで昼の長さが一番短く、
一番夜が長い日です。
毎年のことですが、この時期はすぐに日が暮れて暗くなってしまので、慣れてくるまではなんとなくさみしいような気持ちがしてしまうのは私だけでしょうか。
でも、いったん冬至の日を過ぎてしまえば、そこからはどんどん昼の長さが伸びていきます。
実際には寒さはまだまだ続くのですが、その様子は弱っていた太陽の強さがまたよみがえってくるかのようです。
そんなところから冬至には「よくないことが続いてもまたいいことがめぐってくる」という意味の『一陽来復』という別の名前があります。冬至かぼちゃを食べたり、ゆず湯に入って温まるのもこの日の楽しみです」(中日新聞 くらしの歳時記 広田千悦子著から引用)

僕はこういうなんでもないようで、
なにか元気になるなー、と思うような記事が好きで、
切り抜いていたりするのです。





疲労困憊

2007年12月19日 | 生活
労働が終わったら、
オジも僕もくたくたでした。
本当にくたくたでした。
なので、外食にして、帰ってからするべきことを全部やめて、
お風呂だけ入って、すぐに眠りました。
目が醒めて時計を見たら、
まだ日付が変わってすぐでした。
あー、まだ眠れると思って、すぐ眠りました。
10時間は眠った。
翌朝、昨晩するべきことを簡単に済ませました。