kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

なぜだろう

2015年09月29日 | 生活
最近
川の水かさが
増している
朝だけかも
と思うけれど
夕から夜にかけても
見てみると
増水している
はて
雨が降ったわけではないのに
なぜに
どこぞの
水門が
開かれるのか

上流は庄内川からで
上飯田から
黒川(堀川)は始まる
途中
瑠璃光町あたりでは
黒いトンボがたくさん飛んでいて
地下鉄黒川駅東方面までは
美しい川沿いの道が作られ
鯉や水鳥
藻がきれいな緑を出し
桜並木になっているので
春は花見の名所の一つ
野鳥保護区にもなっていて
水あるところに
文化の基が生まれる

黒川駅付近は道路の下を流れ
北区役所横も
遊歩道になって
整備されている
でもあまり歩いている人はいず
問題はそこから下流に向かう
城北橋までの間に
サンショウウオが
生息しているのが
確認された事実
場所の特定は秘密
名古屋城から堀川と名前が変わる
先行きは
川幅を大きくして
海へとなる

ともかく
堀川になるあたりから
増水している
草が水に浸っている


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月光に拍手喝采

2015年09月28日 | 生活
夜は月が出て
明るい月が出て
月見団子も食べて
日本では
兎が餅つきというふうに
言われているけれど
外国では
本を読む老婆とか
色々あって
兎の餅つきではないらしい
どんなふうに見えているのか

月に雲がかかって
それでも
部屋を暗くすると
月光の明るさに
はあなるほど

昨夜から
拍手喝采

満月
という響き
声に出すと
もっと良い




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神様 拾った

2015年09月27日 | 生活
早朝の雨

エレベーターを降り
エントランスに
小さなクモ発見
彼らの動きは
見ていると
素早く
パッと移動するけれど
次のアクションまで
静止する
たいへん楽しい

クモは神様の化身というし
ここにおられても
誰かに踏まれるか
飢えて果てるかも

思い
これはまさしくと
もっていた
新聞紙で
ナントカ
クモ様を新聞の活字の上に乗っていただきですね
先生が動けば
こちらも
新聞紙を傾け
ナントカ
鍵をあけ
部屋に
ところが
玄関で
先生は新聞紙から落下し
黒いタイルの玄関なので
見つけるのに慎重
踏んでしまったらさあ大変
無事
発見し
再び
新聞紙の活字の上に乗っていただき
多種の植え込みの土の上に
乗っていただく
捕食もしてくれるし
ダンゴムシも
家の観葉植物の土にはおられるし
みんなで生活してますし
どうぞ
神様
ベランダもまだ寒くならないうちは
開放しておりますし
どうぞ
神様
ここでお過ごしくださいと
マジ
神様
拾う

先生は「ここはどこ」
とばかり
ササっと植木鉢の上を移動し
やがて
机の下に行かれた
はあー
神様の先生
末永く
ここでお暮しください
聡恚@で吸わぬよう
数匹はどこぞにおりますので
交流もなさってですね
聡恚@をかけるときは
ゆっくりとやりますので
どうぞ
先生
ここでお暮しください

夜は
月を見
お風呂前と
お風呂後に
ベランダで
月光浴

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記憶遺産

2015年09月26日 | 生活
尊敬する人三人
と訊かれ
その中に
杉原千畝と答えたことがある
「ほおー」
と質問者が漏らしたので
こっちがよく覚えているのだ
あとの二人は
確か
吉増剛造といとうたかおだったか

その杉原千畝の
記憶遺産というものが
新聞の記事になっていた
千畝と同時に思い出すのは
スピルバーグの作品で知った
『シンドラーのリスト』
のシンドラー
チャップリンの『独裁者』の最後の演説
『エーデルワイス』のあの、
丘を登ってゆく時に歌われるドレミの歌

こういうことを書いていると
気分が良くなる
人間だって
捨てたものじゃない
って思う

片方の靴ひもがほどけたまま
女は東へ向かった



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川の凄さ

2015年09月25日 | 生活
川を見る
名古屋は堀川
水がたくさんある
バスタブいくつ分?

川を見ていると
子供の時を思い出す
庄内川や
地蔵川があって
なみなみとある水が
不思議で
これは何だろう
と実は54歳の今でも思う

こんなにたくさんの水が
どこからかわからないところから来て
どこへゆくのかもわからない
人生の比喩ではなく
本当にわからない
海へ水は行くというけれど
すべての水がそうではなく
横に逸れる水路にゆくかもしれない
すると
その水は用水路を通って
稲穂の実になるかもしれないのだ

ゆっくりだけれど
水が流れているのがすごい
そこが池とは違う
生きているのだ
こう言ってしまえば元も子もないけれど
やはり
川は生きている
時間軸がある
生きているのは
川だけではなく
魚や亀
水草や
ヌートリアだって見た
目には見えない
数多の微生物
夜になっても
水面を睨んでいる生物は何か
と目をこらしてみると
ゴイサギだった
昼間は川面を
サギらが渡ってゆく
カモもいる
それは川が滞ることなく
常に
流れているからだ

川は不思議
どうして
こんなにたくさんの
水があるのだろう
しかも流れている
川の下には
もう一つ
川が流れている
と聞いたことがある
本当だろうか
もしそうなら
やってられん
川の表面なんて
ほんの一側面で
二重になっているのなら
いったいこの人は
何だ
ということになる

海のある街で暮らしたら
川の凄さは判らないかもしれない
海へ行ったら行ったで
これは何だ
何で青いんだ
何でこんなにでかいんだ
よく見ると
水平線が丸くなっているのが判り
まったくもって
水のすることといったら
雨にしても
川にしても
やってられん
まさか
水中で生きていたころの
遺伝子がまだ残っているとか
まさか
やってられん

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夜は音楽

2015年09月24日 | 生活

街から
広場から
音楽が途絶え
静かになった
呼応するのは
わたしだけではない

こんなに早く
音楽は終わってしまうのか
と呼応する自分とともに
思い至る
これが現実

またどこかで
誰かが楽器を鳴らすかもしれない
その音に合わせて
また一人
自分の楽器を鳴らし
合奏を始めるかもしれない
万という楽器が
一斉に鳴りだすかもしれない
聴いたことがない楽器の音色があるかもしれない

世界は音楽でできていて
何をするにも
音楽が伴う
美しい音楽であっても
そうでなくても
上手くても
下手でも
田園の蛙の如く
いっせいに
四方八方から
鳴りだすかもしれない
それは夜
田園を俯瞰する眼で
合唱を聴いてみる
夜空を
大きな鳥が
横切ってゆく
来光は夜に出現し
新しい朝が来る


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こんな一日

2015年09月22日 | 生活
安保法案が通ってしまったので
先日やけくそ
ドーナツを4つ食べた結果
1キロ太った
よって
朝昼は抜いて
夕食のみ

思えば
詩人の谷川俊太郎は
健康のため
夕食しかとらないという
その代わり
夕食はしっかりとるのだという
そのような健康法があるのだろうか

重ねて
古い友人は
晩酌の楽しみのためなのか
昼食は取らず
昼休みは
車の中で
本を読んでいるという

日本人は古くは
昼食はとらず
3食になったのは
欧米化の影響だという

おなかがへったら
水を飲み
デトックスにもなるかもしれない
そんな一日


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教養ショック

2015年09月21日 | 生活
学者からの
長いメールを
二度
三度読み返してみる

公で発表してもいいほど
しっかりした小論で
理路は明晰で
誠意もある
このような文を
わたしだったら
どの分野でだったら
発揮できるだろうか

耽る
焦る

わたしはやはり馬鹿なのだ
と言うと
「逃げている」
と言われるので
言わないようにしている
しかし
自分の愚かさを思い知らされ
乱暴な言い方をしていた自分を
反省する
知らないことは
言わない方がいい
というけれど
言いたくなる時がある


教養がある人は
この方に限らず
たくさんいるのだろう
でも
同じことを言われても
言われた相手次第で
立派な論も
立派でなくなり
「はあー、ご立派で」
となるのは心理の不思議
嫌いな人の言うことは
何を言われても
心に拘らず
好きな人に言われることは
何を言われても
心が揺れる

長いメールを送ってくれた人
長く信頼している方なので
わたし
気落ちした
自分の乱暴な思考に

よいきっかけだ
と思い
その日のうちに
図書館の本をかたっぱしから予約して
すぐに6冊になり
思考の訓練を積まねば
と鼻息を荒くしてはみるものの
餅は餅屋
わたし
自分の餅らしきものを
ともかく
焼いてみる
焦がさぬよう

件pとは何か
技術だ



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この星

2015年09月19日 | 生活
あの時と同じだ
みんな
何もなかったように
いつもと変わらず
この浮ウ

あの時と同じだ
今日はただの晴れた土曜日
想像力
思考力を失うということ
この浮ウ

わたし
生きたいだけ
そのためのみ
うなだれる

静かの時がくるまで
夜半までかかり
お風呂も入らずに
眠りこけた

海のため
山や虫
動物

土や
みみず
鳥や空のため
どうか人類が
静かに暮らし
内戦もテロも争いなく
お金ではないものの価値を
生活の中に体現するまで
どうか人類が
前頭葉の進化を遂げ
海や
山や虫
動物

土や
みみず
鳥や空のため
どうか静かに
暮らせますように

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願い

2015年09月17日 | 生活
たとえば
引きちぎられたボタン
破れた背広
踏まれた足の治療代
そんな雑費を
わたしたちが払うのか

この人たちは
何をしているのだろう
いったい
何をしているのだろう
何のために
誰のために

話は盛られ
嘘つきだ
と誰かが言う
その誰かも
また嘘をつき
話を盛っては
混沌を楽しむ輩もあらわれ

人間は何をしているのだろう
農作業以外
何をしているのだろう
実りの祈祷をこめて
祝祭の喧噪もなく

日は昇り
沈む
月は光り
海はゆれる

時の永遠を思わせる
砂浜の寄せては返す
あの波を見たときから
あの砂浜にたどり着き
砂上に座ったときから
俯瞰する目の存在を
意識しない時はなく
いつもある空
その上に
もっと上をいつも
思っていれば
人間のすることなど
どうでもよい
と本気で思う

ただ
思いやることが
わずかでも
できれば

願うだけ

叶うだろうか



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三つの楽器

2015年09月16日 | 生活
あれとあれとあれのことを
思う
三つの楽器が
同時に鳴って
共鳴することなく
大きい音の楽器が
耳の中に入ってくる

二つの音楽は憂いに満ち
一つの音楽だけが光っている
いずれその音楽も終わるだろう

新しい音楽がどこかから聞こえ
そちらに向くと
知らない楽器を演奏する人たちがいる

知の竪琴は
場合によっては美しく
やはり演奏者に依るところが大きい

花が咲く
彼岸花の赤
彼岸花の白
秋が来た
小さい秋を見つける
という童謡の歌詞があり
それに習って
小さい秋を見つけようと
心に決めるけれど
すぐに忘れ
暮らしの煩悶に
秋を忘れ
思い出したように
空を見ては
うろこ雲で
ああ
秋が来た
と思って
小雨が降りだした街を
歩いてみる
懐かしい友は
変わらず
互いに何を気遣うわけでもなく
時はゆっくりと過ぎてゆく

あれから何年経ったのだろう
そんな感慨に捉われることは
数十秒は続かず

目前にある
問題を
一つずつ
解決してゆくしかない人生

楽しい歌を私が歌う
楽器をかき鳴らして
それを友はうれしがってくれる
楽しい歌に喝采があれば
さらにまた歌う
喜びと感動に満ちた
歌を
わたし
涙したことを
打ち明ける
感動の涙を流したい
と友は希求する

泣く
笑う
最高


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道の上の風

2015年09月15日 | 生活
数日だったけれど
体を壊して臥せっていた友
その笑顔を路上で見
元気でよかったと
思う

常の笑顔で
手渡された
品を受け取り
ありがとう
と言う

一生の友と言ってもよいだろう
おそらく喧嘩はしないし
互いに触ることなく
のんびりと
川を渡る汽車に乗っては
意味のあることや
意味のないことを話し
そして
忘れる

友が元気でいるということ
それがオクラの花が咲くように
うれしい

道があって
彼は通ってゆく
そこそこの挨拶をして
ではなまたと
互いの場所に戻ってゆく

時代は変わり
時は流れ
わたしたち
歳をまたひとつ
とって
過去を見るでもなく
未来を見るでもなく
ホロリフラリしたい
と友が言う
常識を重んじる山頭火のようでいて
破天荒を行うときは
容赦なくやる

炎天や
寒風を過ぎ
山を歩き
海辺を歩き
社殿に手を合わせる

海の波の白
木の幹の茶
花の色色

風は吹いている
ここにいる


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坂道

2015年09月13日 | 生活
地下鉄を降り
いつもの道をゆく
ゆるやかな坂道を
のぼってゆく
夏は終わり
秋が来る
空はいつも頭上にあり
遠くには海がある

日々が旅であり
どこにゆくかも
朝にならないと
わからない
いつ
労働を終え
夕飯を終え
眠りにつくかも
わからない

それでも私たち
何があっても
どこにいても
必ず
朝を迎え
夜にゆく

知らない言葉が飛び交い
その意味をあいまいに知り
人間のすることを
見ている

緩やかな坂を
しゃべりながら歩き
地下鉄に乗って
家に帰ってゆく

宇宙のほんの少しの空間に
わたしは横たわる
それでも
ここも
宇宙の中であることには
違いない

時には
きたないコトバを使って
時には
きれいなコトバを使って
今日も生きている


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折口信夫までの道

2015年09月12日 | 生活
今日で
54歳になったというのに
相変わらず
正確な歳が言えず
前後でごまかす
54歳
と覚えておくには
5、4のカブ
と覚え
世の中が
大変を迎えているというのに
変わらず
誕生日をプライベートとして迎え
ケーキとか大福とか
お祝いの言葉までもらっているのに
いつの時と同じく
淡々としている

朝の空は
うろこ雲
東京で地震が早朝にあり
新聞では
詩人の伊藤比呂美が
石垣りんをまともに読んだ
と書いてあり
今まで
伊藤比呂美が
ほぼ石垣りんを未読であったという
ことに
驚く
そんなことがあるのか

つまり
見過ごすという
ことが
先鋭な詩人であっても
起こり得るという事実
ならば
わたし
もっと
多くを
見逃してきているに
違いない

間に合うだろうか
あの図書館の本のどれだけを
人々は読めるのだろうか

天井裏に住んでいた
小窓があって
イチジクの木があった
宮田織物の寮

チョコボール

吉増剛造の詩集
『裸のメモ』を
卓をまたいで
手渡すと
箸はとまり
天ぷらや刺身は
意外に放り出される

この詩集は
無人島に持っていける
何が書かれてあるか
まったくわからないのに
混沌だとか
前衛だとか
詩であるとか
そんな社会通念の語彙とは
ほぼ
無関係に
存在する
「言葉の海」
または
「海の言葉」
海流や深海魚
魚の腹に光る
海面の光
夜の月や太陽
海水温の変化
地殻変動に準ずる
生物たち
波の音
船の油
海藻に
サンゴ
台風が生まれる時の
海中で起きている
生物たちの生態
凍る北極の海
灼熱の砂浜
新たな微生物の目覚め
海流のぶつかり
もちろん
海に降る雨
秋刀魚

鯖の
稚魚たちの群
食物連鎖の真っただ中
今日 生きる生命
そこに差し込む
太陽
揺れ動く海流
そういう海のすべて
この『裸のメモ』に
書かれてあるように
思う
吉増剛造という詩人
もう一人
霊性を帯びた
藤井貞和の言葉

この二人の詩人の口から
発される共通の人物名
それは
折口信夫


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すっかり秋

2015年09月11日 | 生活
すっかり


朝顔
空の秋

季節が変わる
この

暑いお盆までの数週間

今年も
熱中症に
ならずにすんだ

送風機の威力は
熱射を
吹き飛ばし
氷水は
血液を冷やした

すっかり

やがて
冷たい
冬が来る
冬になれば
冬しか意識せず
夏になれば
夏しか意識せず
秋のみ
四季を俯瞰する

気が流れる
その中にいる
いつも

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