今日は、今池の「ぱうぜ」、
という店で、
あがた森魚を見に行きました。
急に決まった、
投げ銭ライブ、
ということもあって、
ツイッターでそのことを知った友人から、
誘ってもらい、もう一人誘って、
三人で行きました。
何と、夜の10時から、
ということで、
労働だし、
絶対に、しんどくて、行けない、
第一、電車も地下鉄もないだろうし、
行けない、と思っていました。
けれど、行かないときっと後悔する、
と、
勘があって、
自転車で行きました。
蒸し暑い夜です。
結局、ライブは10時半から始まり、
ノーマイク、狭い店のカウンターの中で、
初めて生の、
あがた森魚を見ました。
いや、見てます。
確か、30年ぐらい前、
名古屋の栄にあった、
グレイトフルユッカというライブハウスで、
20年ぐらい前、
東京はNHkホールの前の、
クロコダイルという店で。
ヴァージンVSというバンドの時に。
あがた森魚は、
稲垣足穂が好きだ、
ということは知っていて、
急きょ、作成された「ぱうぜ」での、
ライブャXターも、
見かけ、稲垣足穂のように、
黒縁めがねと、短髪というあがたさんの写真。
さておき、
ライブは、
とても素晴らしくて、
行ってよかったなあ、
と思いました。
名盤「ジパングボーイ」からの曲もあったし、
内田裕也の歌も楽しかったです。
つくづく、あー、この人は、
言葉の人だなあ、
と思いました。
遊んでいる、言葉で。
街角曲がって、街角曲がって、
と、
歌いながら、
店のドアから始まったライブは、
カウンターへゆっくり移動したのですけど、
その道程で、
「街角曲がって街角曲がって」
と歌って歩いていました、ギターを持って。
僕はこの時、
言葉だな、と強く思いました。
「街角」の「ま」と、
「曲がって」の「ま」の、
重ねなのだけれど、
センスが良いです。
絶妙でした、
これは聴いた人なら、
判るだろうけれど、
さらに、
街角を曲がる、
その先に「あるもの」さえも、
これだけのフレーズで、
出すことができる。
これを言葉の技術と言わずに、
何と言いましょう。
「内田裕也と宇宙の夕焼け」
(正しい題は「俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け」)
も、
同じ手法です。
奥田民生でもそうだけど、
無意味な歌詞の部分で、
叫んでみる、
それをあがた森魚もやっていました。
「1945年!!」とか「1946年!」
とか、歌詞の中の、
年号を、大声で言う。
そのパッション。
演劇性です。
言葉遊びだけの人と違うのは、
奥田、あがた両者は、
情熱を言葉遊びに乗せることができる、
体ごと。
ここが本当に、
あがた森魚の面白さです。
鈴木慶一や友部正人の場合は、
言葉の領域が多すぎて、
ちょっと遊びが、
鼻につくときがあるけれど、
あがた森魚は、遊びをしながら、
言葉で遊んでいることを、
忘れる。
この瞬間、
あがた森魚は、
飛んでいます。
宇宙の夕焼けまで。
これは宮澤賢治でも、そう。
むしろ、本家は宮澤賢治。
足穂が好きならば、
当然、あがた森魚は、
賢治の「飛び方」を、
勉強しているはずです。
「大寒町」が好きな友人がいたけれど、
今は音信不通になっていて、
親交があれば、
きっと誘っていたと思います。
稲垣足穂は、
滅茶苦茶だったらしいけれど、
その影響を、
あがた森魚は受けているのでしょう。
でも、あの滅茶苦茶さは、
ちょっと、メ[ズかな、
と思うけれど、
役者でもあるのだから、
それはそれで、
とても楽しいパフォーマンスでした。
今回のライブが、
今まで見た中で、
一番良かったです。
ノッテル、
っていう感じです。
ライブ後、
デニーズへ行き、
三人で、
音楽や言葉の話をして、
明け方になりました。
矢野顕子が、
あがた森魚について、
「素晴らしいソングライターだ」
とコメントをしていました。
それをユーチューブで見た時、
そうだな、
と納得しました。
歌は雰囲気はあるけど、
上手な人はたくさんいます。
詩と曲が、確かに良い。
あがた森魚も面白いけれど、
そう言った矢野顕子も、凄いです。
こんなコメントを聞くと、
良質な音楽や、文学を、
これからも聴いて読んでいきたいなあ、
って思います。
追記
当日演奏しなかった、
沢尻エリカの歌を、
こないだ見ました。
内田裕也の歌より、
断然、良いです。
尾崎亜美が、
「歌詞の一部の意味が未だに判らないのですけれど」
と言って、
「良いんですよ、遊びですから」
とあがた森魚、発。