kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

養老訓

2008年08月31日 | 生活
「養老訓」を図書館で見つける。
自宅に戻り、
返却日が近い本から読まなくては、
と思うのだけれど、
「養老訓」をまず先に。


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緑の道

2008年08月30日 | 生活


   


写真は数日前に撮った名古屋城の
南側のお堀。

ここらへんは、
「風の谷のナウシカ」に出てきそうな、森のよう。
先に、「風の谷のナウシカ」のイメージがあって、
それに現実の森が重なるという、現代的な思考回路に驚く。
すでに、バーチャルが先であるのか。。

それにしても、
この緑の道はどうだろう。
歩いてみたなら、
きっと体がすっぽり草にかくれて、
草の中を歩くハメになるのじゃないかしら。
近隣では蛍が飼育されている。
そんな看板を発見。
草いきれの中を歩くと、
どうなんだろう。
足下は連日の雨でぬかるんでいるだろうから、
長靴が必要。
しかし、この森と化した緑の道は、
誰が歩くのだ。
その生態系は誰が調べるのだ。
上から見ているだけでも、
楽しく、美しい景。



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雷の音

2008年08月29日 | 生活
昨夜、雷の音が凄かった。
どーんと鳴って、目が醒めた。
それが二回はあった。
すんげんなあ、と思いながらも、
疲れていたのですぐ眠りこける。

朝、テレビ、新聞で豪雨の模様を知る。
これまたすんげえ。
東海、大雨、冠水、各所。

お金をひらう男、登場。
その男、常にお金、財布等をひらう運命。
必ず、警察に届けるという。
だから、お金がその男に拾われる、というか。

トンボ、舞う。色はシルバー。
「この3日前から飛び始めている」
とオジ。
「ほうか」
「おうよ」
と、オジとビワの葉を触りに行く。

昼、激しい雨が降る。それを見る。
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まだ暑い

2008年08月28日 | 生活
25日(月

ケサラセラ、
と、
空見て思う。
労働開始。オジと会う。

びわの葉だと、オジ発す。

26日(火

くもり空

木の実、ひらう、見る。

本、返。野菜、買い。

27日(水

やっぱり、行くか。
どんどんどん、
陽の下で。
欲を出さず、
成る所、
趣味的、道楽、
肝に銘じ、
快楽の。
「迷うな考えろ、悩むな考えろ」。

28日(木

徳さん、平尾さんに会う。びっくり仰天。7年ぶり。
外国人に、ハグされて。これまたびっくり仰天。
月、火、水の弁当のおかずはひじきの煮物、
昨夜作った切り干し大根を、
今朝持ってくるのを忘れた!
ご飯だけは別のバッグに入れていたので、
カップ麺を買って昼食。
暑いのなんのって、連日。塩舐める。

アフガニスタンで日本人青年殺害される。
サツマイモの農耕を伝授していた。
テレビで放映された青年の写真は印象的。
宮澤賢治が、岩手で農耕(稲)を伝授してまわったことを、
思い出していた。
人を助けていた人が人に殺された。



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海を見に行く

2008年08月27日 | 熊野


   


8月15日午後6時の撮影。
通常は柱も電線もない七里御浜。
すでに花火のアナウンスのスピーカー用の、
柱と電線が設置されてある。

長い浜を波打ち際まで行くと、
毎回、浜の形が変わっている。
花火が近づくと、
ブルドーザーやパワーシャベルなどで、
浜が整備される。

この海を見るために熊野に行く、
と言っても過言ではない。
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商店街

2008年08月26日 | 熊野


亀齢橋を渡ったところから撮影。
この道をまっすぐ行くと、
山に当たり、
道なりに左へ行くと、
42号線に出る。
海である。
左側が海で、
右側が熊野本宮方面になる。

先に歩いて行くと、
42号線沿いに、
花の巖という神社がある。

道の後方は、
記念通りと名を変える商店街が続く。
山が迫り、明るい海と広い空と、
細道に入れば、
軒先に椅子を出し、
何人かの老婆が座っている。


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浜朝顔

2008年08月25日 | 熊野
  


熊野父宅にて。
種が飛び、軒先の柱に蔓を巻き、
今や二階のベランダにまで瑞々しい紫を咲かす、
通称、浜朝顔。
その繁殖力は驚異的。
七里御浜でも、
同種の朝顔があり、
都会で見る朝顔より、
花は大きい。
葉はさらに大きい。
花の色の濃さは通常の紫。

砂浜と潮風で、
咲く花。
通常の土ならば、
更に育つ。
シダ、コケ類も、
玄関先に、
繁殖。

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ワイドビュー南紀

2008年08月24日 | 熊野



熊野市駅にて。
帰りは早い電車に乗る。
でも、今回は事情があって、
午後からの列車になった。
花火の翌日の列車は朝一か、朝二に乗ったけれど、
いつもゆったり座れる。
しかし午後からの特急は、デッキに立っての帰名となった。
宿泊の多々の乗客が乗るのは午後、と知った。

熊野から名古屋に帰る電車は、
快速を乗り継いでも、
夕方を過ぎるともうない。
あとは、夜行ではないけれど、
名古屋まで高速バスがある。
山道をくねくねと曲がっていく道も、
一興である。

名古屋から、
快速を乗り継いでみたり、近鉄で津まで行き、JRを使用する時もある。
快速「みえ」は特急さながらの速さで、
山の中を駆け抜ける。
いろんなルートで熊野と名古屋の往来を重ねているけれど、
やはり一番好きなのは「ワイドビュー南紀」。
もの凄いスピードで山と海を駆け抜けて行く。
大抵、
名古屋発8時11分の南紀一号で熊野に向かう。
乗車口は自由席に並ぶ。
30分前に並べば、
楽に席に座れる。
海が見える側の席が常。
列車がゴトンと音を出し、
動く瞬間、
ああ、熊野だ、
と思う時がある。
名古屋に帰ると、
すぐに熊野に戻りたくなる時がたまにある。
でも、行こうと思えば、
いつでも熊野は近い。
現代の熊野詣は、楽。

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青い海と青い空

2008年08月23日 | 熊野
    



いつもここに座って、
海を見ている。
ここに、寝ころんで、
空を見ている。
ここで、
両サイドからの、
波の音が聞こえる。
空に、トンビが舞うときもある。
海にトビウオが跳ねる時もある。
海岸沿いで寝ころんで、
目を閉じていると、
波打ちぎわで波の音ではない、
ピチャピチャという音が聞けた時がある。
それは、魚の群が波打ちぎわまで来ているそれだった。

ここから見る空は大きい。
ここから見る海は大きい。
海の向こうはアメリカ。

寄せては返す波の動きを見ているだけでも、
飽きない。
ずっと以前から、繰り返してきた景であるはず。
注意深い時は、
水平線が曲がっているように、
見える時もある。
地球の丸さを目が知る時である。
高い波が来た時は、
当然、打ち寄せる音も、波の高さ、質量も大きい。
来た来た、と胸躍らせ、見るのである。

熊野は、体。
その息、血、目、香り、汗。
熊野には、
何でもある。
すべてがあるのだ。
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七里御浜

2008年08月22日 | 熊野


   


8月17日午後3時半、
松本峠から。
よく観光写真で、
七里御浜の一望が映されているけれど、
それはこの峠からのもの。
松本峠から鬼ヶ城に下りられるコースがある。
ここで花火を見るのも一興。
しかし爆音が凄いかもしれない。
この山の海際に、鬼ヶ城がある。
時に、花火でこの山の木が燃える。
それでも、花火は当たり前に続行し、
山の木が燃えようが、おかまいなしの、
熊野花火である。
花火というより、
祭である。

浜には、ブルーシートと、
すでに人。
海岸で突き出た所が、
井戸川が海に流れ込む所で、
砂浜の下が、
コンクリートのトンネルになっている。
井戸川に海水が逆流しないように、
そのコンクリートが波で壊滅しないように、
テトラャbトがうずたかく積まれている。
その場所が、僕の熊野ャCントの一つ。

松本峠の入り口まで、
熊野市駅から徒歩で10分ぐらい。
峠まで15分だから、
気軽なハイキング。
お手軽で、
しかもこの絶景。
峠は一見の価値あり。





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海の花火

2008年08月21日 | 熊野



8月17日、日曜日、午後6時半。
熊野花火開始30分前の撮影。
場所は、獅子岩付近の42号線から。
海に浮かぶクレーン船は、花火の海上発射台となる。
もう一隻のクレーン船が、写真からはずれて左側に待機。
そちらも花火発射台となる。
海上自爆(半円形の花火)の時は、
この巨船も、避難移動する。

井戸川が海に流れ込む場所に、
テトラャbトがある。
波が強く、この船で、
テトラャbトをつり上げ、
積んでいる作業を見ていたことがある。
だから、普段はこの海域での海上作業用の船だと思う。

浜の人の密度はまだ低い。
写真、右上の白いものは、
月ではない。
月は花火開始後、
鬼ヶ城の山から、
絵に描いたように、叙情的に、山から昇った。
そして、海面と岩を、月明かりで照らし、
本当にそれはきれいだった。

海上遠く、
2隻の白い船。
実際はよく見て頂くと3隻いる。
海から花火を見る客船。
この船は、クレーン船より、
さらに大きい。
今年は3隻ということは、
それだけのニーズがあるのだろう。
熊野花火を初めて見た時、
それ以降も、
大抵は一隻だった。
豪華客船の類に入るのだろう。
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木本

2008年08月20日 | 熊野



木本と書いて、きのもと、と読む。
写真は本町通りの店の軒先にあったもの。

 七里御浜は
  かすみに暮れりゃ
   沖に漁り火
     主恋し

と謡われる。
のれんには、
木本節と書いてある。

この通りは数年前、
偶然、熊野に数日間滞在しなくてはいけなくなった折、
ふらついていたところで、何ともエロティックな感じがした場所。
写真のここではないかもしれないけれど、
この道の続きであるのは間違いない。
旧道というか、42号線ができる以前、
ここ本町通りが、本道であり、
本宮への道であったはず。
だから、ここも古道と呼ばれる。
普通の商店街ではあるけれど、
僕は今回、松本峠からの帰路、
自転車を押して歩いた。
ここには、
何かありそうだ、
と予感しながら。
気づくと、
僕が感知したかったのは、
僕がたぶん歩いただろう、
前の世、またはもっと前の、
目の記憶の具体である。
以前、今生ではない時、
ここを歩いた、この近くにいた、
という確証のない確信に、
誘導されてのこと。
それでなくとも、
道は良い。


   
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第1ゲート

2008年08月20日 | 熊野
 


17日の熊野花火。
僕が立って見ていたのは、
第1ゲートのすぐ横。
そこしかあいていなかった。
ここが、
鬼ヶ城に一番近いゲートで、
地上自爆の凄さが一番体感できる場所。
翌朝、地元の方の話では、
「浜まで行けばもっと凄かったのに」と。
浜とは、波打ち際を指す。
写真の棒と灯籠は、
第1ゲートを表示する和紙でできた案内灯。
映っている花火は、海上に浮かぶ、
巨大なクレーンがついた船から、
垂直に打ち上げられる花火。
間近のものは、
写真の左側に打たれる鬼ヶ城からの発射花火。
遠い所では、
写真右側の獅子岩前でもう一隻の船上から打たれる花火。
浜全体のお客が均等に見られるように、
ほぼ三箇所から打たれる。
でも、一番派手なのは、
鬼ヶ城からの発射。
同時に、船からも発射されて、
戦争の映像の、それに近い。
今回は、
鬼ヶ城からの発射後、
風がないため、
煙が散らずに残って、
次のセットまで時間がかかった。
それでも、
鬼ヶ城に玉を置き、
そのまま爆発させる地上自爆は、
花火大会最後を飾るだけあって、
迫力は相当のもの。
普通、花火は空に見るのが常だが、
地上自爆の場合、
花火の中心は、鬼ヶ城の岩である。

色とりどりの花火だったけれど、
白いというか、黄色いというか、
火の色のそれが、
シンプルで、
一番きれい。
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定位置

2008年08月19日 | 熊野
 


今回、海の間近まで行ったのは、
二日目の土曜日。
その日は、波が高く、台風の影響。

いつもの最適な場所、
テトラャbトがある場所、
井戸川の水が海に流れる場所、
誰もいず、まっすぐ太平洋が見られる場所、
水平線が曲がって見える場所、
後ろに山を控える場所、
上に空がある場所、
左は鬼ヶ城、
右は獅子岩、七里浜海岸が続く場所、
両側で、波が砕ける場所、
コンクリートでできた突堤、
そこにいて、
写真は右側、新宮方面の海、
写真でかすかに映る半島は串本あたり。
熊野の民が来て、
「台風の時はテトラャbトから5メートルはしぶきがあがる」、
という。
「子供の時は、あの獅子岩のてっぺんまで登って遊んだ」
という。
「転勤先だった茨木の海も同じ太平洋だが、波が違う」
という。
「今は大阪で、明日は花火見ずに帰る」
という。
「7時(あと少し)に、追善供養の花火が獅子岩前であがるから、見てくれ」
という。

こんなに荒れた海は初めてだったので、
携帯をななめにして、水平線を非水平にしてみた。
見飽きることなく、
かなりの時間、
海を見ていた。
風があり、
潮の匂いが、
かなりした。

---

夜、永井荷風の特番(30分、NHK教育)を見る。
荷風の散歩の様、
浅草、ストリップ劇場の楽屋で、
踊り子らとくつろぐ様。
ただのスケベとは番組的に言えないのだろうけれど。
荷風の小説で、映画化もされている「墨東綺譚」に、
荒木経惟が自著で賛美していた。
僕が知るのは、1990年代の、
津川雅彦が主役をやっている映画のみ。

エロス。
熊野の町を歩くにしても、
男衆は男衆。
女衆は女衆。
若い衆は、若い衆。
熊野の激しさは、
同時にひどくエロティックで、
死生がそのまま剥きだしの姿で、
迫ってくる。
そのことと、
「墨東綺譚」への賛美を示す荒木経惟の動きは、
同一である。



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僕の熊野

2008年08月18日 | 熊野

 


電車で尾鷲を過ぎて、
熊野に近づき、
九鬼という駅あたりで、
僕は涙目になる時があった。
たぶんに、九鬼あたりから、
僕が思うパワーゾーンに入っているのじゃないかと思う。

そして、熊野市駅に着くと、
本当に魂のふるさとに帰ってきたような、
静かな興奮があり、
駅前のこの文字が、目に収まるのが常。
今回は、熊野市駅に降り立ち、
陽に浴び、熊野におじぎをした。

この看板は、観光者への熊野アピールではあるけど、
僕にとっては、まったくの本当の言葉。
いつもそう思う。魂のふるさとなんて、
と茶化すことができないのが、
僕の熊野。

名古屋に帰ってきたのだけれど、
まだ心が熊野にあるばかり。
たくさん撮った携帯写真をスクロールしてばかりいる。
記念写真を撮っておいてよかった、
と思うのは、
こんな気分の時だけだろう。
思い出すなんてものじゃない。
記録写真を見て、
探っている。
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