蔦と、
多々の植物におおわれた
家屋
それは赤いテントに
パーマと書かれてある
開き窓があり
花が咲き
「紫陽花はこれから咲きますね」
と訊くと
「今年は雨がないからまだこんなに花が小さいのです」
と言う。
ほどなく、
散歩からもどった主人は、
駐車場の脇にある
枯れた花を揺すって
手にこぼれる種を
採取する
「どうするんですか」
とついてゆくと
予想通り
プランターにぱらぱらと
種を蒔く
「こうして蒔くと、花が咲くんです」
と言う。
主人の手の中にある、
3ミリの黒い種
それが
経過して
花を咲かせる
土と
光と
水を得て
花を咲かせる
蒸し暑いけれど
花のそば、
花の下にいれば
涼しいなあ、
と声が出る
エビソウ
茶色の袈裟を着た人に
「今日はちょっと天気 わからんねえ」
と言われ
「ええ、ええ」
と言う。
すぐに、来た雨。
---(細部の断片を記録。実体験者からの報告は、公にされない細部を含む。)
戦後。
中国。
天津から青島(チンタオ)まで、
無蓋列車(天井<蓋>が、ない列車の事)
に20時間か30時間、
乗って
中国人、日本人。
1万人の中で、
3分の1は餓死した(栄養失調)。
日本行きの船待ち
3カ月間。
彼は6歳だった
コーリャン(おかや)→モロコシでおかゆ? モロコシの丘?(要 再確認)
親戚10人以上での、
移動。
機関車を狙うソ連軍
貨物車ではなく
機関車を狙う
機関車を砕けば
移動ができないから。
だから、
機関車専用の
防空壕があったと言う。
隣で寝ていた人が、
朝、冷たくなっていた
それを6歳の彼の目が見た
中国の兵隊さんと物々交換
アメリカの船(軍)に、
船上500人~600人
九州の「もじ(門司港)」に着。
彼は沖縄出身だった。
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緑におおわれた
家屋
パーマと書かれてあって
何十年も経っていて、
いっぱいの緑に
蜂、アゲハチョウが寄る
見あげれば、
小さな緑の
柿の実
ビワの木、
発見。
実、
カラスくわえ、
南へ。
モリさんは角に座って
目が見るものを
見ていたので、
僕はモリさんを見ていた
雨風
雀、
パーキングに降りる。