KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

夢を見て何が悪いんですか?

2007-03-21 17:12:50 | 日記・エッセイ・コラム

 東京オリンピック招致を公約に掲げる現都知事と、対立する候補者達との公開討論をニュースで見た。

「東京には、もう一度夢を実現させなくてはならない」

「その夢のために、介護や福祉を犠牲にするのですか?」

 なるほど。ぼくらの親にあたる団塊世代がいよいよ一斉退職する時代に突入するわけだから、今後確実に増えるであろう介護、あるいは福祉を最優先するのはごもっともと思う。オリンピック招致や巨大プロジェクトといった「壮大な夢」に対しては、もはや「税金の無駄遣い」「無意味」、好意的に解釈しても「見直し・再検討」のレッテルを貼られる時代になってしまった。

 未来構想を具現化するイベントとして、「万国博覧会」というのがあり、日本でも大阪やつくば、愛知などで開かれたが、ぼくはどれにも行っていない。人が多すぎて、とても楽しめそうにないと思ったから。「愛知万博」については、手元にガイドブックがあるので改めて読みかえしてみたが、建設的なプロジェクトといえそうなのは、JR東海のリニア新幹線くらいで、あとは自然との調和や環境保全を重視したパビリオンが殆どだった。過去の開発ラッシュ、それに伴う自然の破壊への反省から、自然への回帰を強調しているのではないか?そんな気がする。去年、つくば万博の跡地に建てられた記念館を訪れたが、展示物は「未来的」というよりもむしろ陳腐なものにみえ、時代に取り残されている感じさえ覚えた。

 実生活でも、環境に対する活動が積極的に進められ、乗り物も環境対策を強化した新車が走るようになり、環境負荷は幾分下がったといわれている。それはそれで喜ばしいことだが、昔の空想小説でよく見られた「銀色の空飛ぶ自動車」や「音速ジェット機」などは、こんな時代ではとても実現しそうにない。コンコルドも今はなくなったし・・・。

 科学技術にばかり今まで目を向けてきたが、ふと等身大にもどってみると、夢のない、あるいは少ないひとが増えてきているのではないか?と思う。「将来の夢は?」と聞かれ「長生き」と答えた子供(これはCMの話だが)は例外としても、「○○がほしい!」「憧れの△△になりたい!」という夢は、ちょっと大きくなればモノは簡単に手にはいるし、逆に職業については、その困難さから簡単にあきらめてしまい、気がつけばふつうのサラリーマンに落ち着いていたり・・・ぼくもその一人なので、おおいに反省するところではあるが。

 現代のひとが見る夢って、いったいなんだろう?まさか、TVゲームやマンガの世界などで繰り広げられる、非現実的なファンタジー冒険物語だけ、ということはないだろうか?

 冒頭の話題に戻る。東京で五輪を開くことに反対ならば、先日行われた東京マラソンの場合はどうなのか?何時間も道路を規制し、ときには地域商店街の売上げにも影響を与えかねない、ある意味、都が主導となり、都民を扇動させた巨大プロジェクト、ともとれる。対立候補からは、これに懲りて「これも中止する」という発言は今のところなさそうだが(注:ぼくは都民ではないので、投票はできません・・・)。

コメント
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