先日、成人の日に見たニュースで、今年成人式を迎える若者が生まれた頃の重大ニュースなんてのをやってたが、阪神・淡路大震災と、地下鉄サリン事件のことをやっていた。
今から20年前のある春先。その日の朝、TV画面に映し出されたのは、大都市を俯瞰した画だった。いつもと違うのは、大きな道路でたくさんの人が座り込んだり、倒れていたり、そして無数の消防車や救急車がひしめいている。何が起きているのかが分からない状態。どうやら地下鉄の駅構内に毒ガスが撒かれたという騒ぎであると、時間が経つごとに少しずつ分かってきたが。某宗教団体は、犯行を否認したが、その前から、この某宗教団体を巡っては、大小さまざまなトラブルやら事件が起きた。拉致監禁、化学薬品工場、連日のTV出演や記者会見。幹部の暗殺・・・現実なのかフィクションなのか分からなくなってきたところに、この事件が起きた。
当時、「マインドコントロール」「カルト」という言葉が頻繁に使われた。事件に関わったとされる信者が次々逮捕されたり、洗脳を解くとかいう弁護士まで現れたり。で、芸能人や元信者という人が、のちにドキュメンタリー番組のインタビューなどで「私は当時、教祖に騙されていた」「あのときの自分は本当におろかだった」と告白するのを見た。
20年経とうとする今、そんな人たちは、そのころを振り返って、過去の自分を笑えるだろうか?
そう思うと、話は変わるが、フランスで起きた、新聞社襲撃事件に端を発する一連の事件。もとは、新聞に掲載された風刺画が、イスラム教を侮辱しているということで、国際的問題にまで発展しかねない雰囲気。表現の自由か、信仰か。
宗教にまつわる対立となると、もう何百年、何千年とつづくものなので、今すぐに解決できるものではないことは分かりきっている。しかし、わずかな時間でも、お互いに自分自身を振り返り、行き過ぎたところがなかったか、愚かなことをしたもんだなぁと、そう言い合えればいいのだが・・・甘い、幻想ですかね。
過去の自分を笑う。
ともすれば、何かに凝り固まった、一方向しか見えてない自分に気づかせるために、これができるかどうか。「あのころの自分って、なんてバカだったんだろうな」と、自分自身を振り返って常に反省。そのコンセプトで始めた拙ブログも、気が付きゃ今年でまる10年。一生治らないなぁ、こりゃ。
今から20年前のある春先。その日の朝、TV画面に映し出されたのは、大都市を俯瞰した画だった。いつもと違うのは、大きな道路でたくさんの人が座り込んだり、倒れていたり、そして無数の消防車や救急車がひしめいている。何が起きているのかが分からない状態。どうやら地下鉄の駅構内に毒ガスが撒かれたという騒ぎであると、時間が経つごとに少しずつ分かってきたが。某宗教団体は、犯行を否認したが、その前から、この某宗教団体を巡っては、大小さまざまなトラブルやら事件が起きた。拉致監禁、化学薬品工場、連日のTV出演や記者会見。幹部の暗殺・・・現実なのかフィクションなのか分からなくなってきたところに、この事件が起きた。
当時、「マインドコントロール」「カルト」という言葉が頻繁に使われた。事件に関わったとされる信者が次々逮捕されたり、洗脳を解くとかいう弁護士まで現れたり。で、芸能人や元信者という人が、のちにドキュメンタリー番組のインタビューなどで「私は当時、教祖に騙されていた」「あのときの自分は本当におろかだった」と告白するのを見た。
20年経とうとする今、そんな人たちは、そのころを振り返って、過去の自分を笑えるだろうか?
そう思うと、話は変わるが、フランスで起きた、新聞社襲撃事件に端を発する一連の事件。もとは、新聞に掲載された風刺画が、イスラム教を侮辱しているということで、国際的問題にまで発展しかねない雰囲気。表現の自由か、信仰か。
宗教にまつわる対立となると、もう何百年、何千年とつづくものなので、今すぐに解決できるものではないことは分かりきっている。しかし、わずかな時間でも、お互いに自分自身を振り返り、行き過ぎたところがなかったか、愚かなことをしたもんだなぁと、そう言い合えればいいのだが・・・甘い、幻想ですかね。
過去の自分を笑う。
ともすれば、何かに凝り固まった、一方向しか見えてない自分に気づかせるために、これができるかどうか。「あのころの自分って、なんてバカだったんだろうな」と、自分自身を振り返って常に反省。そのコンセプトで始めた拙ブログも、気が付きゃ今年でまる10年。一生治らないなぁ、こりゃ。
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