KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

基礎と応用

2007-11-27 23:17:40 | 日記・エッセイ・コラム

 「今の子供は、応用力がない」とよくいわれているそうだ。ニュース見ていたら、理科の問題で「質量保存の法則」の意味を正しく理解できたのは半数しかいなかった、とのこと。国語や算数で同じことをずっと言われているのだから、理科なんてなおさらだろう。

「学力低下を懸念」なんていうけれど、これはかつての「詰め込み教育」や「管理教育」への反動からはじまった「ゆとり教育」のひとつの結果だ。あれだけ教育について叩かれているのに、今更大騒ぎするものではない、とぼくは思っている。

 もっと応用力を身につけよう、というが、基礎だって怪しい(?)今の教育で応用力を身につける、というのは至難の業だろうと思う。かくいうぼくも、小学生時代、日々の授業は理解できても、応用はからきしだったからか、期末テストなどでいい点取った記憶がない(だいたいそういうときのテストの裏には落書きがあったりする・・・)。

 応用を身につけるための、基本的なことを身につけるのが先だ。「基礎ができて、応用はいまいち」というが、それは基礎がようやく身に付いたため、応用力を磨く時間が足りなかったからではないだろうか?子供が応用問題もできるようになるには本当に時間が経ってからだと思っている。自分の経験上、これはまちがいない。

 高校時代、1年ほど予備校に通っていた。が、実際は板書を一生懸命写すのが精一杯で、難関校レベルの応用問題をさらさらと「はいこれはこうなって、だからこういう定理を用いて・・・」なんて風に解いていく授業に、ついて行くのが非常に大変だった。まぁ結果として浪人はしないで済んだものの、今振り返っても、あのときの授業はいったい何だったのだろう、と思うことがある。なんか夢か魔法にかかったかのような時間を過ごしてきたような感じで、どんな問題やっていたかと昔のテキスト開くと、これがまた難しいのなんの、まったく理解できない・・・。どうやって理解していたのか、ホント不思議だ。

 昔のぼくだってこんなものだったから、いまの小学生諸君は「学力低下」と言われても別に落ち込むこともないと思うよ。

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