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川崎のトロリーバスのはなし

2024-12-14 21:16:49 | Railway&RailwayModels

前回の更新以降、忙しくなったのでなかなか記事が書けていませんでした(_ _;

数日前、とある乗り物系ニュースで、川崎に保存されているトロリーバスのことが紹介されていて、さよなら、らしいとのことなので、


今日、見に行ってきました。


バスの周囲には、工事用のフェンスがされていました。


正面に、川崎市の市章と、「ありがとうトロリーバス 1968-2024」のヘッドマーク。冒頭のニュース記事によると、地元町内会の人が作ったものらしい。窓ガラスは、保護のためなのか割れてしまったのか、板が張られている。

 実はこの場所すぐ近くに、今はもうその面影はないですが、両親が勤めていた会社があり、幼い頃、両親に連れられてこのバスを見た記憶がある。当然そのときは、これがかつて川崎市内を走っていたトロリーバスだということも、非常に珍しい存在だということも知らなかった(それらを知ったのは、当然大人になって何年も経ってから)。
小さな公園の砂場にバスが留め置かれ、屋根が取り付けられていたので、全貌がなかなか見えない状況だったが、今回その屋根が取り払われ、ようやく初めて、このバスの全体像が明らかになったようだ。

バスの後部に、ポールを収納した台らしきものが見える。


バスの窓には、当時の写真が飾られていた。

帰宅後、これらの写真を母に見せたところ、面白い話を聞けたので、簡単に紹介する。

 今から50数年前の母は、先に書いた会社の内定を貰って就職し、近くの社員寮に入っていたそうだが、その頃、このバスの中で、寮生によるお茶会や生け花教室をやっていたというのだ。そうするとこのバスは、公園での保存の傍ら、公民館の施設として使われていたのかもしれない。その数年後に父と結婚し、ぼくや弟が生まれたわけだから、人生何が起きるか、そして何が聞けるか分からない。


ニュースを見てか、駅からも離れた静かな住宅街に、自分を含めた、これだけの訪問者が来れば、地元の人もなんだこれはと思っていたに違いない(うるさくしててごめんなさい・・・)。

その後、高津駅まで歩いてきた。
かつてこの高架駅の下に、

玉電(ペコちゃん)がいたことを。


最後に今回、最近出てきた、昔の写真がを小さく載せた。当時のぼく(小学校2~3年生頃)と弟(未就学児)。

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