熊本熊的日常

日常生活についての雑記

俺ら東京さ行ぐだ

2009年05月07日 | Weblog

横須賀線で車両故障が発生しダイヤが終日乱れた。と、書くと極めて日常的な出来事のように思われるし、JR東日本のプレスリリースの内容も事務的なものである。しかし、朝6時50分に発生したブレーキ故障で3時間半にわたり横須賀線全線の運転が停止され、並走する京浜東北線まで一時不通になった上に代替輸送に当たった私鉄や道路交通にも乱れが生じるという事態には考えさせられるものがある。今回の件で最も興味を感じたのは、乗客が2時間も車両のなかに閉じ込められたことである。

朝の通勤時間帯には少し早い時間だったと思われるので、混雑といってもそれほどでもなかっただろうが、客を2時間も車両のなかに留め置く関係者の神経には常人の理解を超えたものを感じる。マニュアル一辺倒で思考能力を失った人たちが何万人もの命を預かっているのかと思うと背筋に寒いものすら感じる。

一方で、2時間も車両のなかで耐える乗客にも怖いものを感じる。非常コックを開けばすぐに外に出られるものを、なぜ無策に耐えたのだろうか。確かに、無闇に線路に降りるのは危険だ。しかし、報道写真を見る限り、高架上であるとか見通しの悪い場所というわけでもなく、視認によって安全確認ができる場所のようである。現に、2時間も車両内に留め置かれた乗客は、結局鉄道職員によって線路上に誘導されている。

鉄道で投身自殺をすると遺族には損害賠償請求が来るらしいが、鉄道会社の責任で遅延が発生したきには遅延証明の紙切れと、せいぜい代替輸送用の切符くらいしかもらえない。2時間以上遅れた場合には特急料金の払い戻しは受けることができるが乗車券の払い戻しは受けることができない。これも妙なことだと感じるのは私だけなのだろうか。

以前、このブログのなかでロンドンの公共交通機関のお粗末さを何度か話題にしたが、あれは東京の近未来の姿なのかもしれない。高齢化が進展し、国民の民度が衰え、今利用している社会システムを維持できなくなる時代がやがて訪れるのだろう。

鉄道は あるけれど
まともに動くの 見たこたねぇ
おら こんな村 いやだぁ
おら こんな村 いやだぁ

そんな時代が意外とすぐそこに来ているのかもしれない。