Life style of health and sustainabilityを略して”LOHAS”と言うのだそうだ。よく耳にする言葉で、なんとなく洒落た雰囲気が漂う。声高に環境だの健康だのが語られるのは、語る余地があるからだ。あまりに自明のことは語る必要がないので話題になることは少ない。わからないことが多く、不確かな情報が錯綜しているからこそ、議論の種になる。
「洒落た雰囲気」と書いたが、LOHASというのは経済的に余裕のある国や地域で暮らす人々にとっては耳に心地よく響くように思う。例えば農作物に関して「健康や環境を意識して、過剰に農薬や化学肥料を使わないようにする」と聞けば、それは容易に賛同を得られそうに思う。しかし、生活が困窮していて、今日の生活を乗り切るために少しでも多くの収入を得たいという人々にとっても、同じように心地よく響くだろうか?
農薬や化学肥料の効果は絶大で、先進国の余裕のある農家ならいざ知らず、世の中の多くの農家は収穫極大化のために、あるいはより直接的に自身の生活のために、農薬や化学肥料に依存した農業を展開せざるを得ないのではないだろうか。
そうだとしたら、「環境のため」という大義名分を振りかざし、無農薬だのオーガニックだのと生産の現実を無視した要求を当然のように突きつける消費者の存在は、果たしてsustainableと言えるのだろうか?
LOHASがいけないと言っているのではない。人々の健康と地球環境の持続可能性は我々ひとりひとりの課題でもある。しかし、ろくに考えもなしに世間の風潮に乗って勝手な妄想を声高に語る評論家や活動家と呼ばれる人たちの言説に強い違和感を覚えることがあるのは事実だ。
「洒落た雰囲気」と書いたが、LOHASというのは経済的に余裕のある国や地域で暮らす人々にとっては耳に心地よく響くように思う。例えば農作物に関して「健康や環境を意識して、過剰に農薬や化学肥料を使わないようにする」と聞けば、それは容易に賛同を得られそうに思う。しかし、生活が困窮していて、今日の生活を乗り切るために少しでも多くの収入を得たいという人々にとっても、同じように心地よく響くだろうか?
農薬や化学肥料の効果は絶大で、先進国の余裕のある農家ならいざ知らず、世の中の多くの農家は収穫極大化のために、あるいはより直接的に自身の生活のために、農薬や化学肥料に依存した農業を展開せざるを得ないのではないだろうか。
そうだとしたら、「環境のため」という大義名分を振りかざし、無農薬だのオーガニックだのと生産の現実を無視した要求を当然のように突きつける消費者の存在は、果たしてsustainableと言えるのだろうか?
LOHASがいけないと言っているのではない。人々の健康と地球環境の持続可能性は我々ひとりひとりの課題でもある。しかし、ろくに考えもなしに世間の風潮に乗って勝手な妄想を声高に語る評論家や活動家と呼ばれる人たちの言説に強い違和感を覚えることがあるのは事実だ。