先週に引き続き、今日もカメラ講座に参加した。今日は撮影会である。講師の説明を聴いた後、実際に街へ出て2時間ほど撮影をして回り、再び教室へ戻って、今度は各自が撮影したもののなかから選んだ5枚の写真について、全員で観て、講師が講評を付けるというものだ。
先週の基礎講座に出席したとき、半ば冗談のような宿題があった。繁華街の交差点で200枚の写真を撮るというものだ。写真というのは、撮影の技術も勿論重要なのだが、被写体を選ぶ眼がなければ話にならない。日常の風景のなかに、どれだけ面白さや美しさを見いだすことができるのか、その感覚こそがプロと素人との分かれ目だというのである。
同じものを見ても、見る角度や、見る時の時間、天候、季節などによって、違うように見えるのは誰しも経験があるのではなかろうか。見るときの気分も、勿論、影響があるだろう。まして街中の風景ともなれば、切り取り方は無限にある。無限のなかの200枚などものの数ではない、というのは尤もなことだ。
しかし、いざ自分がその場に立つと、どこをどう見ても、これはと感じるものが無く、結局10枚ほどしか撮ることができなかった。どうやら、私の場合は、ものをよく見るということから訓練しないとカメラを持つ意味が無いのかもしれない。
今日は正午から午後2時まで街中を歩き回り、その交差点での10枚を含めて、50枚ほどの写真しか撮ることができなかった。そこから5枚を選び、他の参加者や講師に見て頂いた。教室で大画面のモニターに映し、まずは自分がその写真について説明する。なにをどのように撮ったのか、あるいは、撮ろうとしたのかというようなことである。その後、講師が講評を付ける。
先週の講座で、シャッターの切り方と構図の基本を学んだので、カメラをしっかり保持し、手ぶれすることなくシャッターを切るということと意識した。構図も単調にならないように意識した。とにかく撮影するという動作を意識したつもりである。さらに今日の課題としては、ホワイトバランスと露出の選択というものも加わった。カメラはいつもオートで使っているので、撮影の度に設定を変えるなどという面倒なことはしたことがなかった。露出はとうとういじらずに終わってしまい、ホワイトバランスをいじったのも数枚しかない。いろいろなことをいっぺんにはできないので、今日はとにかくシャッターをきちんと切るということを最優先課題とした。その甲斐あって、意識したことに関しては有り難い講評を頂くことができた。素人相手の講座なので、講師もなるべく褒めるところを探しながら講評をしていたのだろう。そんなことは誰でもわかるのだが、それでも褒められて悪い気はしない。すっかり良い気分になって家路についた。今度はカメラを趣味にしようかなどと考えつつ。
先週の基礎講座に出席したとき、半ば冗談のような宿題があった。繁華街の交差点で200枚の写真を撮るというものだ。写真というのは、撮影の技術も勿論重要なのだが、被写体を選ぶ眼がなければ話にならない。日常の風景のなかに、どれだけ面白さや美しさを見いだすことができるのか、その感覚こそがプロと素人との分かれ目だというのである。
同じものを見ても、見る角度や、見る時の時間、天候、季節などによって、違うように見えるのは誰しも経験があるのではなかろうか。見るときの気分も、勿論、影響があるだろう。まして街中の風景ともなれば、切り取り方は無限にある。無限のなかの200枚などものの数ではない、というのは尤もなことだ。
しかし、いざ自分がその場に立つと、どこをどう見ても、これはと感じるものが無く、結局10枚ほどしか撮ることができなかった。どうやら、私の場合は、ものをよく見るということから訓練しないとカメラを持つ意味が無いのかもしれない。
今日は正午から午後2時まで街中を歩き回り、その交差点での10枚を含めて、50枚ほどの写真しか撮ることができなかった。そこから5枚を選び、他の参加者や講師に見て頂いた。教室で大画面のモニターに映し、まずは自分がその写真について説明する。なにをどのように撮ったのか、あるいは、撮ろうとしたのかというようなことである。その後、講師が講評を付ける。
先週の講座で、シャッターの切り方と構図の基本を学んだので、カメラをしっかり保持し、手ぶれすることなくシャッターを切るということと意識した。構図も単調にならないように意識した。とにかく撮影するという動作を意識したつもりである。さらに今日の課題としては、ホワイトバランスと露出の選択というものも加わった。カメラはいつもオートで使っているので、撮影の度に設定を変えるなどという面倒なことはしたことがなかった。露出はとうとういじらずに終わってしまい、ホワイトバランスをいじったのも数枚しかない。いろいろなことをいっぺんにはできないので、今日はとにかくシャッターをきちんと切るということを最優先課題とした。その甲斐あって、意識したことに関しては有り難い講評を頂くことができた。素人相手の講座なので、講師もなるべく褒めるところを探しながら講評をしていたのだろう。そんなことは誰でもわかるのだが、それでも褒められて悪い気はしない。すっかり良い気分になって家路についた。今度はカメラを趣味にしようかなどと考えつつ。