夜勤なので昼間の空いている時間に遊び惚けていたら、いつのまにか貧乏暇無しのような状態になっていた。どのようなことであれ、自分が好きでやっていることばかりなので、そのうちそういうところから芽が出て、思いもよらぬ展開になる、というようなことも全く無いわけでも無いだろう。無くてもかまわないのだが。
先日、初めてのカメラ講座に参加した後、久しぶりに伊東屋の店内を見て回った。たまたまアンティーク・プリントの展示販売が行われていて、他に客もいなかったので、店の人からいろいろお話を伺うことができた。そのなかで額装のことに興味を感じた。日本の掛け軸でも、飾られている書画に負けず劣らず表具の出来不出来が全体の価値を左右するのだが、それは洋の東西を問わず当てはまることのようだ。何を見せるか、どのように見せるか、どちらが主でどちらが従ということではなく、何をどのように見せるかという全体が重要なのである。
ふと、中学生の頃、美術の時間に額縁を作ったことを思い出した。既に額の形になっている木枠に彫刻刀で模様を彫り彩色するというものだったが、その時は特になんということもなく、ただ課題だから作っただけだった。それが今ごろになって、額縁を作ってみたくなった。出来合いの木枠に模様を彫り込むだけでなく、その木枠から自分で作ってみたいのである。額のなかに入れるのは、たまたま手元にある鳥の絵などを想定している。シンプルな額を作って、写真を入れてもいいかもしれない。
ネットで額縁の作り方を指導してくれるところを探したら、いくつかあったので、問い合わせを入れてみた。さて、これからどうなることやら。そのうち、額に入れる絵を描いてみたくなるのかもしれない。
先日、初めてのカメラ講座に参加した後、久しぶりに伊東屋の店内を見て回った。たまたまアンティーク・プリントの展示販売が行われていて、他に客もいなかったので、店の人からいろいろお話を伺うことができた。そのなかで額装のことに興味を感じた。日本の掛け軸でも、飾られている書画に負けず劣らず表具の出来不出来が全体の価値を左右するのだが、それは洋の東西を問わず当てはまることのようだ。何を見せるか、どのように見せるか、どちらが主でどちらが従ということではなく、何をどのように見せるかという全体が重要なのである。
ふと、中学生の頃、美術の時間に額縁を作ったことを思い出した。既に額の形になっている木枠に彫刻刀で模様を彫り彩色するというものだったが、その時は特になんということもなく、ただ課題だから作っただけだった。それが今ごろになって、額縁を作ってみたくなった。出来合いの木枠に模様を彫り込むだけでなく、その木枠から自分で作ってみたいのである。額のなかに入れるのは、たまたま手元にある鳥の絵などを想定している。シンプルな額を作って、写真を入れてもいいかもしれない。
ネットで額縁の作り方を指導してくれるところを探したら、いくつかあったので、問い合わせを入れてみた。さて、これからどうなることやら。そのうち、額に入れる絵を描いてみたくなるのかもしれない。