熊本熊的日常

日常生活についての雑記

備えあれば

2009年05月26日 | Weblog
新型インフルエンザの感染者が都内でも発見された頃、近所のスーパーのミネラルウォーターの価格が微妙に上昇したことに気付いた。普段は、住処の前の通りを挟んで斜め向かいにある小さな地元のスーパ-で98円の2リットル入りを買っており、たまに安売りで88円のときは、少し余計に買うなどして、常時10本の2リットル入りミネラルウォーターを確保している。それが、このところ100円未満の商品が置いてないのである。マスクはもちろんのこと、飲料水や保存食を買い求める人が増えているようなので、その影響が私の身近なところにも現れているということなのだろう。今日になって、ようやく98円が復活した。通常10本の在庫が9本になっており、このまま100円を下回らなかったら、少し遠くまで100円以下のものを探しに行くべきか、多少の値上がりは甘受するべきか、気になり始めたところでもあったので、少し安心した。

ミネラルウォーターは、ご飯を炊く時と水出しコーヒーを作る時に使う。毎朝飲んでいる温かいコーヒーにも使いたいところなのだが、沸かした湯を全て使い切るわけでもないので、もったいないから水道水を使っている。水の味というのは確かにあって、こだわりだしたらきりがないのだが、こだわらなければ気にならないので、自分にとっては一番安いもので上等だ。

水は地球上で循環しているものなので、全地球規模で考えれば、そう簡単になくなるものではないのだろうが、極地的にみれば需給の変動というものがある。今回の騒ぎのように需要側の特殊要因で市場価格が上昇することは、これからも比較的頻繁にあるのだろう。供給側のほうも、いろいろ問題はありそうだ。

以前、富士山の麓でゴミ拾いのボランティアをしたことがある。建築廃材がかなり転がっていて、こんなところまで捨てに来るくらいなら、きちんと処理をしたほうがよほど安上がりではないのかとも思ったものだが、そういう不心得者はいつの時代でもどの世界にでも必ずいるものである。建築廃材でも、アスベストのような危険なものもあるが、多くはコンクリートやガラス、金属などの目視可能なものだ。しかし、医療廃棄物や化学物質など目には見えなくとも確実に土壌を汚染するものが棄てられていることがあるのだそうだ。たまたま、そのゴミ拾いの現場が、ある食品メーカーのミネラルウォーターの採水施設の近くだった。当然、品質管理は万全だろうが、瓶詰めの水が水道水より安全であるとか、おいしいとか、何か付加価値があるのかどうか、よく考えたほうがよさそうだ。

最近は聞かないが、ミネラルウォーターに黴が混入しているという事件も皆無ではない。以前、ある海外産のミネラルウォーターを日本で販売し始めた直後に、黴混入が発覚したことがある。そのブランドは当初プレミアムブランドとして展開する予定だったのだが、日本市場への導入に際しては既にかなりの費用をかけていたのだろう。他にも退くに退けない事情があったのかもしれないが、一般ブランドとして現在も流通している。ブランド価値というのは、簡単に下がるが、上げるのは至難だ。

同じモノが、それを取り巻く事情によって高くも安くもなるのは、市場経済の常識だ。わかってはいるけれども、どこか釈然としないものを感じるのは私だけではないだろう。なにはともあれ、「備えあれば憂い無し」というのは単なる幻想なのだが、それで気休めになるのなら、生活必需品を備蓄しておくことも全く無意味にはなるまい。