熊本熊的日常

日常生活についての雑記

おいしいということ

2009年05月10日 | Weblog
昼に友人との会食があり、偶然、その店の近くに関係者の間では比較的名前の知られたカフェがあったので、集合時間の30分前に現地へ着くようにして、そのカフェにお邪魔した。

都心のターミナル駅から近く、大型公園の入口近くという立地だが、人の混雑する地域や車の往来の激しい通りからは外れていて、落ちついた雰囲気である。しかも、内装はヨーロッパの片田舎をイメージしたといい、手作り感が溢れていて、一見してそこに一手間も二手間もかけられていることが感じられる。そういう場所は居心地が良い。

食事の直前だったので、頂いたのはブレンド・コーヒー。コーヒーが持つ味覚的要素をバランスよくまとめたものを軽めに抽出してある。私が毎朝自分で淹れている自分だけのおいしいコーヒーとは違って、誰にとってもそこそこおいしいコーヒー、と言える。

商売で大切なのは、この「そこそこ」感であるように思う。勿論、個性的なコーヒーが飲めて、しかも繁盛している店というのもいくらでもある。コーヒーの場合は、人によって好みが大きく分かれ、しかもこだわりの強い消費者が少なくないので、とんでもない僻地にある店が不思議と繁盛していることなど珍しくない。しかし、都市部で千差万別の客層を対象にするなら、多少自分のこだわりを犠牲にしてでも、可はあっても不可の無い「おいしさ」を追求するべきなのだろう。

飲食店なのだから、食べ物や飲み物が「おいしい」のは当然であるはずだ。しかし、自宅ではなく、わざわざ出かけていって飲食するのだから、飲食物のおいしさだけでは商売としては成立しない。店の在り方に始まり、そこから導き出される内装や飲食物の内容、店員の人柄に至るまで、様々な要素の組み合わせの妙が問われるということなのだろう。勿論、誰をも満足させることなど不可能だ。「店の在り方」のなかには、対象とする客も含まれる。「おいしい」というのは、客の味覚のことだけではなく、そこにかかわるあらゆるものを包含したパッケージの在りようだと思う。