出勤途上、行幸通りの地下を歩く。ここで「アートアワードトーキョー丸の内」というコンテンポラリーアートの作品展が開催されている。普段はこの場所に皇居に暮らす動植物や建物の写真が展示されていて、それはそれとして東京の奥深さを感じさせる楽しい風景になっている。
コンテンポラリーアートは好きだ。作者と自分とが同じ時代の空気を呼吸している所為だと思うのだが、眺めていると作者の気持ちの振れが伝わってくるような気がして素朴に楽しい。
芸術の世界で生きるのは大変だ。常に新しいことを考えないと、「芸術家」としての存在意義が怪しくなってしまう。今回の展示に並ぶ作品のなかにも、デジャヴを覚えるものがないわけではない。誰もがコペルニクス的発想などできるわけもない。自分が影響を受けた作家や作品の影というものは、意識するとしないとにかかわらず、脳裏のどこか射しているものだろう。全くの無から独自に何事かを創り出すというのは、おそらく不可能なのではなかろうか。
それでも既存のものを組み合わせることで、化学反応のように、想像を超えたものが生まれることはあるだろう。芸術に限らず、生きることの楽しさというのは、そうした想定外のものに出会う驚きにあるような気もする。
今回の作品展の「グランプリ賞」受賞作はいい。あのヘリコプターがもっとごついやつならなおさら良かっただろうし、ヘリコプターではなくUFOならもっと面白い。電灯のスイッチのひもがちゃんと写っているというのがポイントだと思う。
コンテンポラリーアートは好きだ。作者と自分とが同じ時代の空気を呼吸している所為だと思うのだが、眺めていると作者の気持ちの振れが伝わってくるような気がして素朴に楽しい。
芸術の世界で生きるのは大変だ。常に新しいことを考えないと、「芸術家」としての存在意義が怪しくなってしまう。今回の展示に並ぶ作品のなかにも、デジャヴを覚えるものがないわけではない。誰もがコペルニクス的発想などできるわけもない。自分が影響を受けた作家や作品の影というものは、意識するとしないとにかかわらず、脳裏のどこか射しているものだろう。全くの無から独自に何事かを創り出すというのは、おそらく不可能なのではなかろうか。
それでも既存のものを組み合わせることで、化学反応のように、想像を超えたものが生まれることはあるだろう。芸術に限らず、生きることの楽しさというのは、そうした想定外のものに出会う驚きにあるような気もする。
今回の作品展の「グランプリ賞」受賞作はいい。あのヘリコプターがもっとごついやつならなおさら良かっただろうし、ヘリコプターではなくUFOならもっと面白い。電灯のスイッチのひもがちゃんと写っているというのがポイントだと思う。