初めてカメラ教室に参加した。自分が持っているカメラのメーカーが主催する「初めてのコンパクトデジタルカメラ」という講座である。カメラを持っていても、その使い方をきちんと考えたことがなかった。時々、自分が撮影した写真を眺めては、いろいろ不満に思うことが多かったので、たまたまメルマガで届いた講座案内に反応してみたのである。1時間ほどの無料講座ということで、正直なところそれほど期待はしていなかったのだが、講師の熱さと、その講義の深さに感激してしまった。
講座の内容は、正しくシャッターを切る、ということに尽きる。それほどシャッターを切るという動作は重要で、それができなければその先はなく、それができれば他に必要ない、と言っても過言ではないように感じられた。講師の指導の下、カメラの構え方に始まり、そこでいかにカメラを振れさせずにシャッターを切るかという練習を繰り返す。最後に構図の基本について説明を受け、また練習。構図はさて置き、手振れが全くと言っていいほどに無いだけで、同じ場面を撮影したものが全然違って見える。
考えてみれば、これはカメラに限ったことではないだろう。世の中のことの多くは、基礎のそのまた基礎さえきちんとできれば、かなり完成度が高くなるのではなかろうか。しかし、その基礎というのがなかなかの曲者で、実は誰にでもできるものではないということだろう。
あとは感性を磨くことが必要だ。シャッターを完璧に切ることができたとしても、撮影する対象を見いだすことができなければ、そのような技能は意味を成さない。講座の終了近くに講師が語ったことが印象深い。
「では、みなさん、この後、そこの交差点で200枚撮ってからお帰りください。」
そこの交差点、とは銀座4丁目交差点のことだ。プロのカメラマンというのは、その極めて日常的な風景のなかに無数の面白さとか美しさを見いだす眼を持っているのだという。何を面白いと感じるか、美しいと感じるか、ということは、その人の生きる姿勢を反映しているとも言える。
カメラのシャッターを切るという動作の背景に、カメラという道具を合理的に扱う技能と、カメラに収める風景を発見する精神がある。実は、我々の日常の動作のひとつひとつに、同じように精神が反映されているのではないだろうか。
講座の内容は、正しくシャッターを切る、ということに尽きる。それほどシャッターを切るという動作は重要で、それができなければその先はなく、それができれば他に必要ない、と言っても過言ではないように感じられた。講師の指導の下、カメラの構え方に始まり、そこでいかにカメラを振れさせずにシャッターを切るかという練習を繰り返す。最後に構図の基本について説明を受け、また練習。構図はさて置き、手振れが全くと言っていいほどに無いだけで、同じ場面を撮影したものが全然違って見える。
考えてみれば、これはカメラに限ったことではないだろう。世の中のことの多くは、基礎のそのまた基礎さえきちんとできれば、かなり完成度が高くなるのではなかろうか。しかし、その基礎というのがなかなかの曲者で、実は誰にでもできるものではないということだろう。
あとは感性を磨くことが必要だ。シャッターを完璧に切ることができたとしても、撮影する対象を見いだすことができなければ、そのような技能は意味を成さない。講座の終了近くに講師が語ったことが印象深い。
「では、みなさん、この後、そこの交差点で200枚撮ってからお帰りください。」
そこの交差点、とは銀座4丁目交差点のことだ。プロのカメラマンというのは、その極めて日常的な風景のなかに無数の面白さとか美しさを見いだす眼を持っているのだという。何を面白いと感じるか、美しいと感じるか、ということは、その人の生きる姿勢を反映しているとも言える。
カメラのシャッターを切るという動作の背景に、カメラという道具を合理的に扱う技能と、カメラに収める風景を発見する精神がある。実は、我々の日常の動作のひとつひとつに、同じように精神が反映されているのではないだろうか。