熊本熊的日常

日常生活についての雑記

伝説

2012年03月02日 | Weblog
「ほぼ日手帳」というのを使っている。毎日の頁にちょっとした小咄が載っていて、今日は赤瀬川原平のこんな話だ。
(以下引用)
ようするに、勝手につくっちゃいけないわけです、
「お金」っていうのは。
ぼくは、それでも「やってみたい」と思って
模写とか印刷とかしちゃったんだけど、
その感じがね、性の話と似ていると思うなぁ。
―――赤瀬川原平さんが『貧乏と芸術の間の千円札。』の中で
(以上引用)
当然と言えば当然なのだが、紙幣を模造することは違法行為だ。紙幣だけでなく紙幣に関わる技法を公に試みることも違法行為だ。具体的には黒透かしは日本では御法度だ。もちろん紙幣の印刷には高度な技術が使われているのは確かだろうが、模造しようと思ってできないようなこともあるまい。技術以外のところで模造を思いとどまらせることがいくらもあるということなのではないだろうか。性的なことも、やってしまえばどうというほどのことなどない、ということばかりのような気がする。別にどうというほどのことはないのだけれど、世の中の了解事項として自己規制が働いているという点では、なるほど紙幣も性も似ている。なぜそういうことになるのか、ということに関しては経済史専攻の学生であった頃に何かで読んだり聞いたりしたことがあるが、今日はこの話題にはこれ以上触れない。ジンメルとかモースとかエリアーデといったあたりのことだ。

そんなことはどうでもよいのだが、赤瀬川原平といえば自分のなかでは路上観察のおじさんとして有名なのだが、実はもっと多才でスゴイ人で殆ど伝説的なゲージュツカの域に達している人らしいということを後になって知った。ネオ・ダダ運動などの前衛芸術活動で篠原有司男らと活躍、「原平」という名前も篠原の母親による姓名判断がきっかけで本名の「克彦」で活動していたのを変えたものだという。

それで篠原有司男だが、先日の東京都現代美術館での講演に続いて、今日は埼玉県立近代美術館で開催されたトークショーを聴いてきた。篠原の相手となる出席者は榎忠と同館館長の建畠哲だ。同館地下では篠原と榎の作品の展示もあり、作品鑑賞とトークショー聴講がどちらも無料という大盤振る舞いである。愉快であるだけでなく、たいへん有益な内容でこれだけでも今日は生きた甲斐があるというものだ。何がどのように有益であったかということについては、誰にも教えない。

夜7時から川口で喬太郎・三三の二人会を聴くことになっていたので、トークショーの後、鉄道博物館で時間をつぶす。以前にも書いたかもしれないが、個人的には交通博物館時代のほうが見応えがあったという印象がある。確かに今のほうが音声ガイドがあり、至る所に動画による説明が用意され、バーコードで携帯電話を利用して説明文を読むということもできる。実機も交通博物館時代より増え、至れり尽くせりと言ってもよいほどの展示だと思う。しかし、何か物足りなくなったように感じるのである。ひとつは匂いだ。鉄の匂いというのか、油の匂いというのか、交通博物館時代はそういうものがあったように記憶している。カットモデルも少なくなった。動画のほうがより具体的かもしれないが、断片や模型から全体や過去の現実を想像するということに楽しさを感じるということがあるような気がする。そういう想像の余地が展示を充実させることで狭められてしまっているのではないかと思うのだが、どうなのだろうか。

落語会のほうは殊更に書くこともない。ただ、気になるのは古典がいつまでできるものなのかということだ。風俗も習俗も違う時代の噺を聴いてあれこれ想像するというようなことは誰にでもできることではない。自分の子供と話をすると、知識としては古い時代のこともわかるようだが、噺となるとそこに人情の機微のようなものを絡ませるというようなことも必要になるので、生活のなかにそうした想像力を発揮させなければならない場面というものもないとわからないことも多い。時代は変化を続けるので、やがて古典落語というものもなくなってしまうときが来るのだろう。今は落語家を志す人が多いらしく、東西合わせて700名ほどの落語家が存在しているらしい。そういうデータとして見れば安泰なのかもしれないが、そもそも落語とは何かということを考えたときに、それを支える顧客がなければ芸自体が成立しない。落語家のほうは商売だからあれこれ精進するが、客のほうはただ聴くだけというのが圧倒的で、噺を理解するためにあれこれ勉強しようなどと考える人は少数だろう。落語に限らず、どのような芸事も演るほうと聴くほう観るほうの息が合うということが不可欠なのだが、時代の流れのようなものとしてぼんやりしたものに向かっているような気がしてならない。しかも、人口という総枠が縮小方向に転じている。人の感性や知性に訴えるようなもので生活を立てていこうと思えば、宝探しをするような根気と集中力が以前にも増して強く要求されるようになっているのではないだろうか。既に伝説と化してしまった古典芸能はいくらもある。「古典」と呼ばれるようになることが伝説化の前兆であるということは確かだろう。

本日の演目
柳家花どん 「金明竹」
柳家喬太郎 「幇間腹」
柳家三三  「妾馬」
仲入り
柳家三三  「釜どろ」
柳家喬太郎 「錦の袈裟」

開演:19時
終演:21時15分
会場:川口総合文化センター 音楽ホール

今日の写真は「石炭あられ」だ。これは「さいたま推奨土産品」の金賞にも輝いたもので、今のところ鉄道博物館の売店でしか買うことができない。なかなかおいしい煎餅で、生地に竹炭を練り込むことで仕上がりが石炭のような外観になっている。味も上等だ。所謂ブランド煎餅のおかきのような味、といえば想像できるだろうか。

ブランド煎餅で思い出したのだが、以前の勤務先でよくある「伝説のトレーダー」のひとりと一緒に仕事をしていたことがある。「伝説」というくらいなのでたいへんな金持ちなのだが、この人はたいへんなケチでもある。当時の職場の近くに播磨屋本店という煎餅屋の東京本店があった。そこではほぼ全商品を試食することができるのだが、この人は時々そこの試食を昼飯代わりにしていたのである。煎餅を昼飯にするというのもすごいことだが、試食品で腹一杯にするというのもすごいではないか。たまにこの人と一緒に昼飯を食べに出ると、必ず割り勘になる。そんなことは当たり前だろうと思われるかもしれないが、私が長年働いている業界では先輩が後輩に奢るというのが当然なのである。事実、私は社会人になって最初の3年間は先輩社員と一緒に食事をして自分で払ったことは一度もない。逆に自分が30くらいになって以降は若い同僚と一緒に食事をするときは当たり前に彼等の分を払っていた。ただ、後になって知ったのだが、そういう習慣は特定の部門に限られていたようだ。しかし、その「伝説」氏はその部門の人である。先ほど「ケチ」と書いたが、正確を期すならば、生活の論理が常人とは少し違っているのであって世間一般の所謂「ケチ」とは違う。一緒に働いていた頃、氏はスピート違反で免許停止となった。このとき捕まった場所は第三京浜で、制限速度を120キロ超過していたそうだ。よくパトカーが追いついたと思ったが、前方で通せんぼのような形で待ち受けていたそうだ。私もたまに速度超過で捕まるが、ふと気がつくと後ろに付けられていて「前の車止まりなさい!」とマイクでやられる、というパターンだ。こういう捕まり方では「伝説」は作れないということなのだろう。尤も、「伝説」を作ろうとも思っていないが。