子供が合宿や旅行に持って行くカバンが欲しいというので一緒に買いに出かける。先日自分の旅行カバンを購入した百貨店の旅行用品売り場で店員の説明を聴きながら品物を選ぶ。今は百貨店の売り場というと商品知識の頼りない店員が多いのだが、先日利用したときにここの売り場の人はしっかりしていたので、今日も真っ先にここにやって来た。子供のほうもある程度自分のなかにイメージがあったらしく、比較的短時間で買い物を終えた。旅行用カバンというのは出張の多い人のようなヘビーユーザーがある商品でもあり、素材の進化が著しいということもあり、売り場としては地味でも並んでいる商品の変化が大きい。しょっちゅう使うものではないが、だからこそしっかりとしたものを気持ちよく買い物のできる店で選びたいものだ。
買い物の後、松涛美術館を訪れる。現在開催中の展覧会は「渋谷区小中学生絵画展」。渋谷区の小中学校というと経済的に恵まれた良家の子女が通う学校という印象がある。実際はどうなのか知らないが、選りすぐりの作品が並んでいることを勘案しても力作揃いで、眺めていて楽しい展覧会だ。子供たちが描く絵というのは、指導する先生や美術館に並んでいそうな作品の影響を強く受けるタイプと、そうした世の権威とは没交渉に我が道を行くタイプとがあるように思う。もちろん、きっちりと分類できるわけではないし、同じ子が教科書的なものと飛んでるものとを描き分けることもあるだろう。どちらが良いとか悪いということではなく、絵画を描くという行為に正解も不正解も無いということを学校の先生方は教えてくれているだろうか、ということが素朴に気になった。同じ学校の児童や生徒が似たような傾向の作品を出品していることが、数は多くないが、いくつか見られたので、そういうことが気になったのである。
美術館を出て腹ごしらえをする。松涛のあたりには土地勘が無いので、駅から歩いてくる途中で気がついたレストランをいくつか記憶しておいたのだが、入ろうと思っていたところが満席だった。雨も降っていて、あまりうろうろしているわけにもいかないので、その満席のレストランの近くに偶然見つけたオーストラリア料理を謳う店に入った。こちらは私たちが今日のランチ時間で最初の客らしい。場所とスタッフの数の割にメニュー単価が低めであることが少し気になったが、出て来た料理を見て、量で調整されているらしいことがわかった。それとチェーン展開で食材原価を抑えていることが推測できる。同じグループの店が味は可もなく不可もなしといったところだが、店の人の応対は好印象だ。オーストラリアということで敢えてメニューに入れているのだろうが、カンガルー肉の料理がある。モモ肉を血抜きしてスパイスに漬け込んだものを金串に刺して焼いたものを頂いたが、肉自体の味は希薄でスパイスの風味が舌に残る感じだった。つまり、カンガルー肉というのは肉そのものの印象は薄い。カンガルー肉を食べるのは今回が初めてではない。学生時代に居酒屋チェーンのメニューに既に登場していたが、あの頃から調理に進歩が感じられないということは素材に問題があるということではないだろうか。
食事の後、たばこと塩の博物館へ行く。ちょうど「林忠彦写真展」を開催していて、これだけを見ると文士にたばこはつきもののように見える。この写真展について関川夏央が芸術新潮の2月号にこう書いている。
「著しく出版文化が隆盛した「戦後」は、林忠彦がそうであったように、作家たちも異常な多忙さに見舞われていた。元来居職で同僚のいない彼らは、出勤するように酒場につどった。そして過重な労働からくるストレスを軽減するため、酒、ヒロポン、睡眠薬に依存した。タバコはそのもっとも軽い依存対象だった。」(「芸術新潮」2012年2月号 117頁 関川夏央「タバコと「戦後」 林忠彦の文士ポートレート」より)
果たしてそうだろうか? ストレスの原因は「過重な労働」だろうか? 「過重な労働」をしなければならなかったのは何故だろうか? あるいは「過重な労働」を自らに課したのは何故だろうか?
この展覧会に登場する作品の多くは1940年代後半から50年代前半にかけて撮影されたものだ。この時代の所謂「知識人」を追いつめたのは、あの戦争と自分との関わりではなかったか。挙国一致とも言える異様な国家の動きと、戦後の黒塗り教科書に象徴される価値観の大転換のなかで、自己を見失ったのは中途半端に良識を持ち合わせた所謂「知識人」たちではなかったのか。文士というのはその典型ではないだろうか。自分がその時代を生きたわけではないので、あくまで想像の域を出ないのだが、結局何事かに依存しなければならないような精神状況に陥ったのは、あまりに正直で無節操な善悪の大逆転、例えばそれまでの敵国が崇拝の対象になるというような社会のなかの価値観の混乱によって、自分の立ち位置を見失ってしまったということではないかと想像するのである。
それにしても、タバコだの酒だの薬だのへの依存というのは生理的・化学的反応に拠るところが大きいのだろうが、現実を受け止めきれないという精神的な脆弱性というのも多少は関係しているのではないだろうか。脆弱というより繊細というほうが現実に即しているのだろうが、不確実性を生きるという現実をどのように了解し対処するかということについて、事細かに段取りをつけないと不安を拭えないということだろう。その事細かな段取りをつける構想力こそが作家や芸術家と呼ばれる人々の創造力の源泉になっているのではないだろうか。だから、そういう人たちには常人とは相容れないような行動に走るのではないか。社会が安定している時ならば、そうした創造力は社会にとっての刺激になり、更なる創造への期待を得て支持を集めることになるのだろう。社会が不安定な時期ならば、そうした創造力は社会のあるべき姿を示唆するものとして注目を集めるのだろうが、当事者は創造力の源泉たる構想に不安を覚えながら生きているのだから、外部からの期待とそれに応えることができない自分との乖離に苦悩することになるということなのではないか。その苦悩が現実からの逃避行動を誘発するのだろう。具体的には何事かへの依存である。「天は二物を与えず」という言葉もあるが、芸術というようなものに対する才能と平穏に生きる能力とは相容れないものであるように思う。
たばこと塩の博物館1階にあるカフェでクレープを頂いてから家路に就いた。
買い物の後、松涛美術館を訪れる。現在開催中の展覧会は「渋谷区小中学生絵画展」。渋谷区の小中学校というと経済的に恵まれた良家の子女が通う学校という印象がある。実際はどうなのか知らないが、選りすぐりの作品が並んでいることを勘案しても力作揃いで、眺めていて楽しい展覧会だ。子供たちが描く絵というのは、指導する先生や美術館に並んでいそうな作品の影響を強く受けるタイプと、そうした世の権威とは没交渉に我が道を行くタイプとがあるように思う。もちろん、きっちりと分類できるわけではないし、同じ子が教科書的なものと飛んでるものとを描き分けることもあるだろう。どちらが良いとか悪いということではなく、絵画を描くという行為に正解も不正解も無いということを学校の先生方は教えてくれているだろうか、ということが素朴に気になった。同じ学校の児童や生徒が似たような傾向の作品を出品していることが、数は多くないが、いくつか見られたので、そういうことが気になったのである。
美術館を出て腹ごしらえをする。松涛のあたりには土地勘が無いので、駅から歩いてくる途中で気がついたレストランをいくつか記憶しておいたのだが、入ろうと思っていたところが満席だった。雨も降っていて、あまりうろうろしているわけにもいかないので、その満席のレストランの近くに偶然見つけたオーストラリア料理を謳う店に入った。こちらは私たちが今日のランチ時間で最初の客らしい。場所とスタッフの数の割にメニュー単価が低めであることが少し気になったが、出て来た料理を見て、量で調整されているらしいことがわかった。それとチェーン展開で食材原価を抑えていることが推測できる。同じグループの店が味は可もなく不可もなしといったところだが、店の人の応対は好印象だ。オーストラリアということで敢えてメニューに入れているのだろうが、カンガルー肉の料理がある。モモ肉を血抜きしてスパイスに漬け込んだものを金串に刺して焼いたものを頂いたが、肉自体の味は希薄でスパイスの風味が舌に残る感じだった。つまり、カンガルー肉というのは肉そのものの印象は薄い。カンガルー肉を食べるのは今回が初めてではない。学生時代に居酒屋チェーンのメニューに既に登場していたが、あの頃から調理に進歩が感じられないということは素材に問題があるということではないだろうか。
食事の後、たばこと塩の博物館へ行く。ちょうど「林忠彦写真展」を開催していて、これだけを見ると文士にたばこはつきもののように見える。この写真展について関川夏央が芸術新潮の2月号にこう書いている。
「著しく出版文化が隆盛した「戦後」は、林忠彦がそうであったように、作家たちも異常な多忙さに見舞われていた。元来居職で同僚のいない彼らは、出勤するように酒場につどった。そして過重な労働からくるストレスを軽減するため、酒、ヒロポン、睡眠薬に依存した。タバコはそのもっとも軽い依存対象だった。」(「芸術新潮」2012年2月号 117頁 関川夏央「タバコと「戦後」 林忠彦の文士ポートレート」より)
果たしてそうだろうか? ストレスの原因は「過重な労働」だろうか? 「過重な労働」をしなければならなかったのは何故だろうか? あるいは「過重な労働」を自らに課したのは何故だろうか?
この展覧会に登場する作品の多くは1940年代後半から50年代前半にかけて撮影されたものだ。この時代の所謂「知識人」を追いつめたのは、あの戦争と自分との関わりではなかったか。挙国一致とも言える異様な国家の動きと、戦後の黒塗り教科書に象徴される価値観の大転換のなかで、自己を見失ったのは中途半端に良識を持ち合わせた所謂「知識人」たちではなかったのか。文士というのはその典型ではないだろうか。自分がその時代を生きたわけではないので、あくまで想像の域を出ないのだが、結局何事かに依存しなければならないような精神状況に陥ったのは、あまりに正直で無節操な善悪の大逆転、例えばそれまでの敵国が崇拝の対象になるというような社会のなかの価値観の混乱によって、自分の立ち位置を見失ってしまったということではないかと想像するのである。
それにしても、タバコだの酒だの薬だのへの依存というのは生理的・化学的反応に拠るところが大きいのだろうが、現実を受け止めきれないという精神的な脆弱性というのも多少は関係しているのではないだろうか。脆弱というより繊細というほうが現実に即しているのだろうが、不確実性を生きるという現実をどのように了解し対処するかということについて、事細かに段取りをつけないと不安を拭えないということだろう。その事細かな段取りをつける構想力こそが作家や芸術家と呼ばれる人々の創造力の源泉になっているのではないだろうか。だから、そういう人たちには常人とは相容れないような行動に走るのではないか。社会が安定している時ならば、そうした創造力は社会にとっての刺激になり、更なる創造への期待を得て支持を集めることになるのだろう。社会が不安定な時期ならば、そうした創造力は社会のあるべき姿を示唆するものとして注目を集めるのだろうが、当事者は創造力の源泉たる構想に不安を覚えながら生きているのだから、外部からの期待とそれに応えることができない自分との乖離に苦悩することになるということなのではないか。その苦悩が現実からの逃避行動を誘発するのだろう。具体的には何事かへの依存である。「天は二物を与えず」という言葉もあるが、芸術というようなものに対する才能と平穏に生きる能力とは相容れないものであるように思う。
たばこと塩の博物館1階にあるカフェでクレープを頂いてから家路に就いた。