熊本熊的日常

日常生活についての雑記

或る妄想

2012年03月04日 | Weblog
バイトの登録に出かける。年末に登録した先からは、単発の口が無いらしく、このところ音沙汰がないので、別の斡旋業者にも登録することにした。首尾よく事が運べば、こちらでの初仕事は今月中にあるはず。今日の登録会には私を含め8人の出席者があったが、私の隣の席にいた青年は東京大学の学生さんだ。私が学生の頃はもう少し割の良い仕事をしていたものだが、東大の学生でもこういうところに登録するほど世間の景気が悪いということなのか、彼が東大のなかでは例外の部類に入るのか、そのあたりのところはわからない。

学生といえば、就活の人たちは今時分がエントリーの時期なのだそうだ。新卒の採用というのは訳の分からないものどうしのやり取りなのだから、下手に時間や労力をかけるよりもくじ引きのようなものにしてしまったほうがわかりやすくてよいのではないだろうかと思う。常々不思議に思っているのだが、日本の企業では人事部が採用を担当しているところが圧倒的に多い。これが欧米企業となると、採用権限は各部門にあり、人事部というのは人事に纏わる事務作業を担当するだけだ。要はそれぞれの企業の事情に合わせた採用のやり方というものがあって然るべきだろう。なにがなんでもヨーイドン、というのはどこか間抜けで不合理だ。人事部の担当者が各現場の状況を的確に把握しているのなら、人事部一元管理ということのほうが効率的なのかもしれないが、巨大企業となれば、それはあり得ないだろう。となると、人事部の採用担当者とは何者なのか、ということが問われなければならない。

また、学生の側も人事部の面接を通過するためにあれこれ策を練るらしいが、これも人生の時間の使い方としてどうなのだろう。心にも無い志望動機を雄弁に語る技術は確かに有益かもしれない。しかし、嘘で固めた人生を生きていて楽しいのだろうか。他人のことなので、私がとやかく言うことではないのだが、社会をあげて小物たることを奨励するような仕組みというのは国民としての自殺行為なのではないか。もし私が晴れて自分の商売を立ち上げることができた暁には、人を何人か雇うくらいの会社にして、何かとんでもないことをやらかすような若い人を使って仕事をしてみたい。路地裏の、地図があってもなかなかたどり着くことのできないような場所にギャラリーだか店だかを構えて、近所の人には知られていないけれど、その道の人ならば世界中の人が知っている、なんていうようなものを商っていたら楽しいだろうなと思うのである。