熊本熊的日常

日常生活についての雑記

市ヶ谷台にて

2012年03月12日 | Weblog
午前中、防衛省見学ツアーに参加する。午前9時10分から30分の間に市ヶ谷の防衛省正門で受付を済ませて、9時半から11時45分にかけて記念館を中心に見学するというものだ。場所は知っていたが中に入るのは初めてであり、朝の通勤時間帯に巣鴨から市ヶ谷まで出かけるのも初めてのことなので、早めに住処を出て市ヶ谷八幡下のタリーズで時間を潰す。防衛省を訪れるのは初めてだが、市ヶ谷には仕事で何度も来ている。かつての職務で大手印刷会社と大手家電メーカーを定期的に訪問していたので、今日は久しぶりという感じを受けた。

今回の見学は「市ヶ谷台ツアー」という名称であって、どこにも「防衛省見学」とは書いていない。そんなところに一般人がうろうろしていたら、防衛省でなくとも邪魔でしょうがない。見学は敷地内を歩くだけの時間が主で、説明を受けるのは現在の防衛省についてではなく、かつてこの地にあって今は記念館として保存されている講堂とそれに付随する施設についてである。

市ヶ谷台は都区内で2番目に海抜の高い場所である。正門はその高台の麓であり、正門を抜けるとまず11メートルの高さを階段かエスカレーターでのぼる。エスカレーターを上り詰めた場所は庁舎D棟前の儀仗広場だが、このD棟に装備施設本部や技術研究本部がある関係で、外部からの来客が多く、広場は駐車場のような状態だった。隣の庁舎A棟前の儀仗広場は主たる広場でこちらはきれいになっている。A棟は官公庁の建物としては最大規模であり、内部には大臣をはじめ内部局、統合幕僚監部、陸・海・空各幕僚監部等の防衛の中枢機関がある。屋上にあるヘリポートは都内最大規模だそうだ。海外からの来賓がある場合の屋外での式典はこのA棟前の広場で行われる。もとはこのA棟のある場所に旧陸軍士官学校本部、後に旧大本営陸軍部、さらに後に極東国際軍事裁判法定、さらに後に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地1号館として使われた建物があった。その象徴的な部分だけを集めて市ヶ谷記念館として敷地の西の端に移築・復元されている。

記念館のなかでは大講堂の見学に重きが置かれており、動画による説明が約20分間ある。この土地がそもそもどのような場所だったのかというところから始まって、極東国際軍事裁判、三島事件、移設まで場所としての歴史を俯瞰することができる。大講堂の照明は竣工当時と同じものになっているのだそうで、空間の大きさに比して暗い。極東軍事裁判の際にはGHQの指示により、法廷内において影ができないように照明が増設されたのだそうだ。講堂内には様々な展示品があるが、個人的に興味を覚えたのは栗林中将の私信類と極東裁判に使われた地図である。「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」も読んだし「硫黄島からの手紙」も観たのだが、栗林の遺族から提供を受けて現物の写真撮影を行った手紙やあの最終電報の文字を追っていると胸に迫るものを感じないわけにはいかない。地図のほうは、素朴に地図を眺めるのが好きという私の性向に拠る興味だ。モノを蒐集するという趣味はないのだが、気がついた地図は捨てずに取っておくようにしている。いつか自分のギャラリーを持つことができたら、それらの地図を商品として並べてみようと思っている。それで軍事裁判の地図だが、3点制作され、うち1点が裁判期間中ずっと法廷内に掲げられていたそうだ。ところがその法廷内にあったものが裁判終了後に紛失したという。しばらくは地図のことが忘れ去られていたのだが、ふとしたことでゼンリンという地図のメーカーの倉庫から残りの2点が発見され、1点はこうして市ヶ谷記念館に展示され、もう1点は靖国神社に保管されているとのこと。今日の説明では「同じものが3点」という表現をしていたが、リンクした地図の説明にあるように、手書きなので「同じ」ではありえない。正確には「同様」あるいは「同仕様」の地図ということになる。

記念館見学の後、隊舎の前を通って厚生棟へ行き、そこで15分ほど自由時間。厚生棟のなかには売店や食堂があり、スターバックスも出店している。自衛隊関連施設のなかにあって部外者を対象にしていると思われる売店の商品はどこも同じものらしい。先月、呉で見かけたものがここにもあったし、商品の「製造者」が全国に及んでいる。規制があることは承知しているが、自衛隊ブランドというものをもっと自由に活用すれば、ちょっとした収入源になって財政負担の軽減につながるのではないかと思う。

見学コースの最後は屋外に展示されているヘリコプターの見学と殉職者を祀ったメモリアルゾーンの見学。慰霊碑を正面に見て立つと、慰霊碑に向かって左側後方に官舎が見える。そのペントハウスの上に「自衛官募集」という広告があって、なんとなくその風景が気になった。都心なので土地に余裕がないのは承知しているし、この敷地も可能な限り建物とオープンスペースとのバランスを考えていることは歩いていて想像がつく。しかし、どうしても頼りない感じを拭い去ることができないのである。その「頼りない」感じは、防衛省固有のものなのか、日本人というもの総体についてのものなのか、もっと敷衍して人間というものが本来的に頼りないのか、それは自分でもわからない。