熊本熊的日常

日常生活についての雑記

浪花節だよ人生は

2012年03月09日 | Weblog
広沢瓢右衛門は13歳から浪曲師を始め、売れ始めたのは80歳頃からだという。途中、半引退状態になっていたが3代目米朝、小沢昭一、永六輔らの勧めで復帰、80歳近くなって米朝の推薦で朝日放送の和朗亭に出演して人気を博したそうだ。自分が好きなことを真面目に続けていれば、それをちゃんと評価する人に巡り会うということもあるのだろう。自分が高齢になると、高齢になってから活躍した人のことが妙に気になるようになるものだ。

朝の世間一般の通勤時間帯の電車に久しぶりに乗った。今日の面接は午前9時からなので、混雑を避けるために早めに家を出るつもりだったのだが、いつものように出がけにぐずぐずしていたら午前8時になってしまった。某社5回目の面接で、首尾よく行けば次回に条件提示となるそうだ。2005年4月から夜勤になり、途中1年半ほどロンドンで朝夕のラッシュを経験した他は、そういう混雑とは無縁の生活を送ってきたので、今朝は面接よりも混雑に緊張して出かけた。ところが、自分も高齢になっていろいろしょうもない経験を積み重ねてきた所為か、驚くほどの混雑とは感じなかった。もちろん、高齢の所為ばかりではないはずだ。首都圏の鉄道網の密度が濃くなり、線区あたりの混雑が緩和されたという要因が大きいだろう。古い話だが、私が高校生の頃は当時の首都圏で最高の混雑率を誇った国鉄赤羽線(現 JR埼京線)を利用していた、私の記憶なのであてにはならないのだが当時の同線の乗車率はピーク時で230%というような数字だったと思う。しかも冷房なしの車両だった。当時、バスで京浜東北線の西川口駅へ出て、赤羽駅で赤羽線に乗り換え、池袋で山手線に乗り換えて新大久保駅で下車するのだが、池袋から新大久保までも半端な混雑ではなかった。ただ、山手線のほうは当時既に冷房がついていたので、赤羽線に比べればましだった。そういう経験に比べれば今朝の混雑など混雑のうちにも入らない。

面接の後、静脈瘤の手術後の定期検診のためにクリニックへ行く。経過は順調で今日を以て弾性ストッキングから解放された。ストッキングの装着自体に問題は無いのだが、歩いたりしているうちに大腿部のところがずれ落ちてきてしまう。それを直すにはズボンを半分くらいおろさないといけないので、そういう手間が鬱陶しいのである。多少小さい瘤が残っているが、これらは放置しても問題が無いものらしい。2ヶ月後に次回の定期検診があり、もしこれらを消す必要があれば硬化療法によって対応するとのことだった。

クリニックの後、銀座のアップルストアでワークショプを受講する。以前にも書いたがアップルは購入後の面倒見が良い。iPhoneとかiPadといった製品力も勿論重要だが、自分たちが扱っている商品の性質というものを十分に把握して、それに応じた販売をしているということがこの企業の今日の好業績の鍵になっているのではないだろうか。ただ、今日のワークショップを聴いていて思ったのだが、近頃のITガジェットは便利には違いないのだが「それで?」と思うような機能ばかりのような印象だ。技術の進歩は結構なことなのだろうが、使う人間の身の丈と噛み合ないような気がしてならない。IT商品のライフサイクルが短期化して、すぐにコモディティになってしまうのは、各部門の技術ばかりに注目が向き、人の生活をどのようにするのかという視点がおざなりにされている、あるいはそういうことを考える余裕がないほど部門毎の競争が激しいということなのだろう。企業としては、既に大規模化して高い固定費を抱えてしまったために、否応無く競争を続けなければならないのだろうが、結果として不採算部門が肥大化して企業の存続が危うくなるという事態に陥ってしまった事例がいくらもある。生き残るには競争の土俵を取り替えるしかないように思うのだが、それにはある種の革命的転換よりほかに方法はないだろう。ま、そんな話をここに書いてもしょうがない。

せっかく銀座に出てきたので久しぶりに明月庵田中屋で蕎麦を頂く。この蕎麦屋は昔、練馬にも店を出していて、私が鷺宮で生活していた頃には家族でたまに出かけていた。蕎麦も旨いが、私はこの店の卵焼が好きだった。今日はランチセットでセイロとミニ天丼を頂いたのだが、天ぷらが上品で少し控えめなところがいかにもちゃんとした蕎麦屋の天ぷらだと思う。天ぷらというのは、ただ具材を衣に包んで揚げたものではない。具材の旨味を最大に引き出す火の入り具合というものがあり、そのためには具材を揚げる順番も重要になる。天ぷら屋ならば、客の予約時間をやり繰りして、天ぷらの調理と客の入りとをなんとか合わせることもできるが、蕎麦屋となるとそういうわけにはいかないし、蕎麦が主役なのだから、蕎麦と天ぷらとの兼ね合いというものも考えないといけない。次善の策として、所謂「名店」とされる蕎麦屋の場合は天ぷらを控えめにしておくことが多いように思う。出前をするような街中の蕎麦屋とか立ち食いとなると話は別で、出前蕎麦なら天ぷらというよりも天かすに身も付いているというようなものが一般的で、立ち食いなら活性酸素大反応というようなぐったりしたものを「天ぷら」と称している。味覚というのは不思議なもので、限りなくタヌキに近い天ぷら蕎麦が食べたくなったり、ぐったりした天ぷらにかぶりつきたくなったりすることもあるのである。

ついでに書き添えておくと、蕎麦で満腹にするのは江戸の食い方ではない。腹が減っているときは飯を食ってから蕎麦を食うのである。だから古くから東京にある店はセイロの蕎麦の量があれっぽちしかないのである。落語にあるように確かに蕎麦好きが無闇に蕎麦を食うというのもあった。好きな人は自分の背の高さほどもセイロを積み上げた(身長という意味ではなく、テーブルの上の身の丈だ)と言われるが、それはある種の遊びであって食事としてそういうことをするのではない。あと、外で食事をしていて気になるのは、蕎麦であろうと饂飩であろうとラーメンであろうと、人によってはスパゲティも、麺とあれば無造作に啜る奴がいるが、これはベルの音を聞くと条件反射で涎を垂れるパブロフの犬のようなものだ。麺の種類が違うのだから食べる作法も当然に違う。なんでもかんでも麺なら啜るというのは不作法以前に単なる馬鹿だ。そういうのとは深く付き合うべきではない。

田中屋を出て、伊東屋に寄って店内を一巡りしてから家路につく。途中、ハニービーンズに寄ってコーヒー豆を買いながら20分ほどおしゃべりをする。今日の豆はボリビアのCOEの農場のもの。