熊本熊的日常

日常生活についての雑記

プロのおしごと

2012年03月06日 | Weblog
昨日送った退職関係の書類のなかに「確定給付企業年金 脱退一時金取扱方法選択届」というものがあった。退職に際し、企業年金をどうするかというのである。これは四択だ。
1 一時金で受給する
2 通算企業年金の原資として企業年金連合会に移換する
3 確定拠出年金(個人型)に移換する
4 確定拠出年金(企業型)に移換する
四番目は次の就職先が決定してないと選択できないので、私の場合は実質三択になる。いずれにしても複数の選択肢があるように見えるが、一時金以外の選択をする人があるのだろうかと素朴に疑問に思う。

年金というものは加入者から集めた掛け金を資産運用の「プロ」が運用して受給者に対して提供するということになっているらしい。そういう説明で安心する人がいるのかいないのか知らないが、「プロが運用」というのは、要するにどのようにしているのかわからないということだ。たまたま最近、国から許認可を得て投資顧問業を営んでいた会社が運用の委託を受けて預かった年金資金を擂ってしまったことが明るみになったが、その投資顧問業者もその業者に運用の委託をした年金基金も、対外的に自分たちのことを説明するときには「運用のプロ」と謳っていたのではないだろうか。国というこれ以上はない権威から許認可を受け、社会保険庁という年金に直接かかわる役所の出身者が複数絡み、年金基金という年金の運用と管理を生業にする組織が関与していながら、2,000億円という運用資金を「消失」させてしまったのは事実らしい。それが「プロ」の仕事だ。さて、「プロ」とは何者だろうか。

プロ、専門家、評論家、…きちんと調べたわけではないけれど、カタカナの肩書きとか「家」がつく肩書きを振りかざす人というのは胡散臭いのが多いような気がする。こういうことを言い出すと、陶芸家とか陶芸作家というようなものも出てくる。以前にも書いた気がするが、「家」に続くことばに「気取る」というのがある。「専門家気取り」「評論家気取り」「陶芸家気取り」「作家気取り」「芸術家気取り」…気取るような奴に碌なのはいないということだと思う。岩波新書に「職人」という永六輔が書いたものがある。このなかにこんなことを語る職人がいる。
「職人気質という言葉はありますが、芸術家気質というのはありません。あるとすれば、芸術家気取りです」
(永六輔「職人」岩波新書 65頁)
週に一度3時間弱だけだが、私も道楽で陶芸をやっていて憧れるのは、職人倫理のようなものに対してだ。幻想と言われればそれまでなのだが、腕を上げて使う人に喜んでもらえるようなものをたくさん作ることができるようになりたいと素朴に思う。それで生活を立てるとなるときれいごとばかりでは済まないので、いくつか並行して仕事を持ちながら、ただ素朴に自分の好きなこと、人に喜んでもらえることを積み重ねていけたらどんなに嬉しいことだろうと思う。