昨日、日本のアマゾンで本を注文した。こちらの住所宛に送ってもらうと配送料を取られるのだが、この配送料が、昨年11月は5,500円、今年1月は6,400円、先月が6,700円で、昨日は7,300円だった。原油価格の上昇が止まらず、航空運賃が値上がりを続けているのだから仕方が無いのだが、物価上昇が選択的に生起しているような気がする。つまり、上がって欲しいものは上がらず、上がって欲しくないものが値上がりしているように思えるのである。
私は自動車を持っていないので、ガソリン価格への関心はそれほど高いほうではないのだが、ガソリンスタンドには大きな数字で価格が表示されているので自然に目に入ってしまう。いつも通勤途上で通りかかるガソリンスタンドでは無鉛レギュラーが109.9である。1リットルあたり1ポンド9.9ペンスという意味だ。数日前に108.9から値上がりした。ここに越してきた頃は99.9だった。
一方で、保有している株式の値段は直視に耐えない惨状だ。尤も、仕事の関係で、口座が凍結されているので、上がっても下がっても売り買いはできないのだが、これほどの評価損を抱えると気分が良くない。
小学生の頃、石油危機を経験した。当時、なぜかトイレットペーパーと砂糖が店頭から姿を消した。風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉があるが、石油が値上がりして、人々がトイレットペーパーと砂糖の買い溜めに走る理屈がさっぱり理解できなかった。
今も、世の中の物価がどのような仕組みで決まっているのか、理解できていない。少なくとも需給だけで決まっているわけではあるまい。それぞれの物に固有の事情があるだろう。それにしても、原油という世の中に流通している財貨の基礎となるものが驚くような価格になっているのである。物価上昇圧力の吸収力は、財貨や産業によって様々だろうが、上昇という方向性は同じではないのか? しかも、自分にとって上がって欲しいと思う切実さの度合いが大きいものほど上がらないと感じるのは、単なる気のせいだろうか。保有している株だけではなく、給料やボーナスも上がる気配が全く感じられない。世の中の何か根本的な部分に決定的な欠陥があるような気がしてならない。
私は自動車を持っていないので、ガソリン価格への関心はそれほど高いほうではないのだが、ガソリンスタンドには大きな数字で価格が表示されているので自然に目に入ってしまう。いつも通勤途上で通りかかるガソリンスタンドでは無鉛レギュラーが109.9である。1リットルあたり1ポンド9.9ペンスという意味だ。数日前に108.9から値上がりした。ここに越してきた頃は99.9だった。
一方で、保有している株式の値段は直視に耐えない惨状だ。尤も、仕事の関係で、口座が凍結されているので、上がっても下がっても売り買いはできないのだが、これほどの評価損を抱えると気分が良くない。
小学生の頃、石油危機を経験した。当時、なぜかトイレットペーパーと砂糖が店頭から姿を消した。風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉があるが、石油が値上がりして、人々がトイレットペーパーと砂糖の買い溜めに走る理屈がさっぱり理解できなかった。
今も、世の中の物価がどのような仕組みで決まっているのか、理解できていない。少なくとも需給だけで決まっているわけではあるまい。それぞれの物に固有の事情があるだろう。それにしても、原油という世の中に流通している財貨の基礎となるものが驚くような価格になっているのである。物価上昇圧力の吸収力は、財貨や産業によって様々だろうが、上昇という方向性は同じではないのか? しかも、自分にとって上がって欲しいと思う切実さの度合いが大きいものほど上がらないと感じるのは、単なる気のせいだろうか。保有している株だけではなく、給料やボーナスも上がる気配が全く感じられない。世の中の何か根本的な部分に決定的な欠陥があるような気がしてならない。